トヨタが”ル・マン”に挑戦する理由

日本vs欧州という構図に違和感。トヨタは、なぜル・マンへの挑戦を続けるのか?

 今年のル・マン24時間レースでは、ゴール寸前にトヨタTS050 HYBRIDがストップして優勝を逃した。その横をポルシェ919ハイブリッドが駆け抜けて、思いがけない勝利を挙げた。その瞬間を目の当たりにして地団駄を踏んだ日本のモータースポーツファンは大勢いたはずだ。トヨタの永年の夢であるル・マン制覇が目前で露と消えたのだから、その悔しさはよく分かる。

 ところで、ル・マンに限ってのことなのかどうか、日本の挑戦という言葉をよく聞く。迎え撃つのは欧州勢、ということになっている。なんか変でないですか、このフォーマットの作り方。ル・マンは確かにヨーロッパの伝統のレース。そのレースで優勝を飾ることがいかに難しく、いかに名誉なことであるか、という理屈はよく分かる。しかし、そこに日本の挑戦だとか、欧州勢の胸を借りるだとか、ゲルマンの牙城を崩すだとか、そんなフレーズが並ぶのを見て、いささか凝り固まったステレオタイプの見方ではないかと思う。

 自動車メーカーがル・マンに挑戦するのは、ル・マンが厳しいレースであり、挑戦しがいのあるレースだからだ。それは何も日本を代表してのトヨタではなく、いち自動車メーカーとしてのトヨタの挑戦だ。トヨタにとってル・マンに勝つということは、ポルシェに勝つことでもアウディに勝つことでもなく、ル・マンに打ち勝つということに他ならない。ポルシェもアウディもプジョーもフェラーリもフォードも、これまでそうしてきた。彼らはライバルに勝つためにル・マンに挑戦してきたのではなく、ル・マンに打ち勝つためにやって来て、そして勝ってきたのだ。戦う相手はル・マン。それゆえ、10回でも20回でも挑戦し、10回でも20回でも勝ち続けようとする。

 現在、ル・マンのトップクラスにはドイツからポルシェとアウディの2メーカーが参加している。日本からはトヨタ。ポルシェもアウディもル・マンで何度も勝利を上げたドイツのメーカー。だからといって、ドイツの完璧に日本の打算が敗れたというような表現はして欲しくない。そういう表現をする人やメディアがいることを知り、知見の浅さにウンザリしている。実際にはトヨタも、ポルシェやアウディと同等、あるいはそれ以上に完璧な準備をし、完璧な戦略を立て、勝つためにル・マンに挑戦している。それでも勝てないのは、思いがけないトラブルの発生であったり、小さなミスであったりするものが、タイミング悪く出るからだ。そうしたことはポルシェにもアウディにも起こっている。今年ル・マンを観た人はよく分かっているだろう。ゆえに、トヨタの不幸をポルシェやアウディは決して喜ばなかった。それは、自分たちにも降りかかってくる(きた)不幸だからだ。

 民族や人種や国籍で物事を見ようとすると、そこには必ず偏見が含まれる。トヨタが勝てなかったのはドイツのメーカーがトヨタに勝たせまいとしたからではなく、彼らが自分たちが勝とうとして、その通りにことが運んだからだ。その通りに運ばなくても、運ぶように努力したからだ。トヨタも同様に勝とうとし、勝つ寸前まで計画通りことが運んだ。ところがゴールテープを切る寸前、マラソン選手が脇腹に痛みを感じてうずくまるように、100m走者の脚の筋肉が攣って走れなくなるように、ホンの小さな、それでいて勝利を逃すには十分な痛みが襲ったのだ。その痛みが、24時間レースのゴールからずっと遠い時点で起こっていたら、中嶋一貴はTS050 HYBRIDをピットに持ち帰って痛みを取り除いていたかもしれない。

 トヨタにとれば辛いレースの終わり方ではあったが、それは次の年に再び同じようにレースを戦いなさいという、ル・マンからの誘いであったと理解すべきだ。「待ってますよ、いつでもいらっしゃい」と、ル・マンは囁いてるように思える。

Text by 赤井邦彦

Be part of something big

コメント
コメントを書く
この記事について
シリーズ Le Mans , WEC
イベント名 ル・マン24時間レース
サーキット ル・マン
チーム Toyota Gazoo Racing
記事タイプ コメンタリー