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美しきF1マシン:「日本人が”夢”を見た、白い流星」ティレル022・ヤマハ

F1マシンは美しい。その中でもひときわ美しいマシンというモノがある。今回取り上げるティレル022は、1994年シーズンを戦ったF1マシン。ヤマハのOX10Bエンジンを搭載し、片山右京がドライブ……一時2位を走るなど、日本人に”夢”を抱かせた1台だった。

Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha

Ercole Colombo

 1994年のF1グランプリを戦った1台のマシン、ティレル・ヤマハ022。このマシンもまた、実に美しいF1マシンである。

Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Mark Blundell, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha, with glowing brakes
Mark Blundell, Tyrrell 022 Yamaha
Mark Blundell, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Gerhard Berger, Ferrari 412T1B leads teammate Jean Alesi, Ferrari 412T1B and Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha at the start of the race
Damon Hill, Williams; Michael Schumacher, Benetton; Mark Blundell, Tyrrell
Ukyo Katayama, Tyrrell 022 Yamaha
Yamaha engine in a Tyrrell 022
15

 1993年のティレルは非常に苦しんだ。シーズン序盤は使用3年目となる020を使用。この020は投入初年度の1991年には好パフォーマンスを披露することもあったが、さすがに3年目ともなると戦闘力不足は否めなかった。シーズン中盤にようやく投入されたニューマシン021も不発であり、片山右京とアンドレア・デ・チェザリスのコンビをもってしても、1度も入賞することができずにシーズンを終えた。

 そして1994年シーズンにティレルが投入したのが、この022である。1990年から使ってきた”超ハイノーズ”+”アンヘドラルウイング”のコンビネーションは封印。低く細いノーズとなった。カラーリングも、前年の濃紺+白+赤の塗り分けから、白一色に変更。マシン形状もカラーリングも、実にシンプルだった。

 しかしこの022は速かった。テストで初めて乗った時、片山右京も好印象を抱いたと語っている。

 マシンをデザインしたのは、ハーベイ・ポスルズウェイト。後にホンダがF1にワークスチームとしての復帰を目指した1999年、テスト用として登場させたホンダRA099をデザインすることになる人物である。彼は前年F1にデビューしたザウバー最初のF1マシンC12をデザインしており、ティレル022にもその面影が色濃く残っている。

 ティレルとしては初めてセミオートマチック・ギヤボックスを採用。ヤマハのV10エンジン”OX10B”は小型軽量であり、良好なマシンバランスの実現にも寄与した。

 実戦でもティレル022は速さを見せ、開幕戦ブラジルGPでは片山右京が5位入賞。これは片山にとってもF1初入賞である。その後片山はサンマリノとイギリスで入賞。チームメイトのマーク・ブランデルは、スペインGPの3位表彰台を含む、全3回の入賞を記録した。

 しかし、日本人を一番興奮させたのは、第9戦ドイツGPだろう。予選で5番グリッドを獲得した片山右京は、絶好のスタートを決めてミハエル・シューマッハー(ベネトン)とデイモン・ヒル(ウイリアムズ)をパス。フェラーリ勢2台に次ぐ3番手に上がった。そしてその直後、フェラーリのジャン・アレジのマシンにトラブルが発生し後退……片山は2番手に上がった。シューマッハーには抜かれたものの、片山はヒルを抑え、3番手を堅持していた。がしかし、7周目にマシントラブルによりリタイア……片山が後日語ったところによれば、チームの作業ミスにより、スライドバルブが全て緩んだ状態でスタートしてしまったのだという。

 このレースの結果を見れば、フェラーリのゲルハルト・ベルガーが優勝。2-3位にはリジェの2台が入った。ヒルは1周遅れ、シューマッハーも結局エンジントラブルによりリタイアしている。優勝したベルガーも、ギヤボックスにトラブルを抱えていた。

 レースに”タラレバ”は禁物ではあるが、もし無事にレースを走りきっていれば、日本人が初めて表彰台の頂点に登っていたかもしれない。片山も後年のインタビューで、そう語っている。

 その後、佐藤琢磨や小林可夢偉が表彰台に上がり、日本のF1ファンを興奮させた。しかし、F1で優勝した日本人ドライバーはまだいない。1994年7月31日、ホッケンハイムに忘れてきたモノを誰かが取りに行かねばならない……のだろう。

 なおこの年の活躍により片山には、翌年のベネトンのシートがオファーされたという。1995年のベネトンといえば、シューマッハーが王座に就き、チームメイトのジョニー・ハーバートも2勝を挙げたシーズン。ハーバートの代わりに、片山がベネトンを走らせていた……そんな可能性もあったのだ。

 

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