ラウダがいなかったら、僕のタイトルは1度限りだった……ハミルトン語る
ルイス・ハミルトンは、ニキ・ラウダがいなければ、自身は1回のみのチャンピオン獲得で終わっていただろうと語った。
写真:: Sutton Images
メルセデスのルイス・ハミルトンが、5月20日に亡くなったニキ・ラウダについて初めて語った。曰く、ラウダがいなければ、自身が複数回のワールドタイトルを獲得するのは難しかっただろうという。
ラウダはメルセデスのノン・エグゼクティブ・チェアマンとして、2012年に初めてハミルトンと関わりを持った。ハミルトンは当時、優勝を争う常連のひとつであったマクラーレンのドライバーだった。一方のメルセデスは、上位争いに手が届き始めたばかりという存在だった。
結局ハミルトンは2013年からメルセデスに加入。1年目こそ1勝に終わったが、2014年以降は圧倒的な強さを見せ、4度ワールドチャンピオンに輝いている。対するマクラーレンは、ハミルトンが抜けた後は1勝も挙げることができていない。
「もし電話がかかってこなかったら、僕のタイトルは1度限りで、勝利数もマクラーレンで勝った時のまま(21勝)だっただろう」
そうハミルトンは語った。
「僕は今では、5回もチャンピオンを獲得している。大いに彼のおかげだと感じているんだ」
ラウダが亡くなった直後だったということもあり、ハミルトンは当初出席が予定されていたFIAの水曜日合同記者会見への出席を免除された。またチーム代表のトト・ウルフも、水曜日のメディア向け会見スケジュールを変更した。
「先日は本当に……(話すための)準備ができているとは思わなかったんだ」
そうハミルトンは説明した。
「トトも同じような状態だったと思う。そしておそらくバルテリもね(※ボッタスはハミルトンの代役として、水曜会見に出席した)」
「僕とトトは、今週何度も話をした。そしてブリジット(ラウダの妻)ともね。この8ヵ月の間、ニキとは本当にたくさん連絡を取っていたんだ」
「僕らは互いにビデオメッセージを送りあっていた。だから受け入れるのは難しかった。なぜならある日には、彼はとても体調が良さそうだったし、本当に元気そうだった。そして、『私は戻ってくる。強くなって戻ってくるよ。このレースに私はいるだろう』と言っていたんだ」
「その後、間を置かずに、すごく痩せてしまったように思えた日もあった。遠くから見ても大変そうだった」
ラウダが亡くなったという知らせを聞いた後の時間は、厳しいものだったという。
「今週初めは、本当に、本当に厳しかった」
そうハミルトンは語った。
「水曜日にここ(モナコ)に来た時は、まだそれ(ラウダについて語ること)をする時だとは思わなかった。僕らはみんな彼のことが大好きだったし、彼を恋しく思っている。誰かが亡くなってしまった時、もう2度と会えないし、話すこともできないということを想像するのは、難しいことだ。でも、僕は彼との素晴らしい思い出を持っている。彼は僕ら全員の思い出の中で、生き続けていくだろう」
ハミルトンはモナコGPの予選Q3で渾身のアタックを決め、チームメイトのボッタスからポールポジションを奪った。ハミルトンは、ポールポジションを手にしたことを知ると無線で感情を爆発させ、マシンを停めると観客席のフェンスによじ登り、ファンと喜びを分かち合った。
「ああいった周回をまとめたこと、そのパフォーマンスに対する彼の満足感だったのだろう。この日のバルテリは、ルイスにとって本当に力強い競争相手だった。それから、ニキに関する感情……そういう全てが溢れ出たように見える」
そうウルフ代表が語った。
「彼にとっては難しいセッションだった。最後にそういうのを見るのは、いつでも印象的だ。最初のアタックラップで彼は、タイヤを適切な作動温度領域に入れることができなかった。そのことは、バルテリに味方したんだ」
「でもその最後の1周は、彼はただ全てをまとめ上げ、ミスも犯さず、マシンをポールポジションに導いた。それを見るのは、とても印象的だった」
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