特集

F1

逃した魚はあまりに大きかった……鮮烈デビューのミハエル・シューマッハーをわずか1戦で失ったジョーダンF1、明暗分けた契約書の“トリック”

1991年にジョーダンからF1にデビューし、わずか1戦でベネトンに電撃移籍したミハエル・シューマッハー。当初ジョーダンと1993年シーズンまでの契約を結ぶ予定だったシューマッハーがなぜ、チームを離れることに“成功”したのか?

Matt James

公開日時: 2023/01/24 9:29

Copy link

Facebookでシェアする

Twitterでシェアする

WhatsAppでシェア

Linkedinでシェアする

Pinterestでシェアする

Viberでシェア

Google検索でmotorsport.comをお気に入り登録

Michael Schumacher, Jordan

Motorsport.com's Prime content

The best content from Motorsport.com Prime, our subscription service. <a href="https://www.motorsport.com/prime/">Subscribe here</a> to get access to all the features.

 史上最多となる7度のワールドチャンピオンに輝き、偉大なるレジェンドとして今もF1の歴史に名を残すミハエル・シューマッハー。彼は1991年のベルギーGPでベルトラン・ガショーの代役としてジョーダンからF1デビューを飾り、いきなり予選7番手に入ったことでその才能が関係者の目に留まり、2週間後のイタリアGPで当時“4強”の一角を担っていたベネトンに移籍したのはあまりにも有名だ。

 ただ実はジョーダンは、1993年までシューマッハーを起用すべく契約にサインまでさせていた。その文書の存在は、2005年にmotorsport.com傘下の『Motorsport News』紙によって公にされている。

 ではなぜ、シューマッハーは契約にサインしたにもかかわらず、わずか1戦でベネトンに移籍することができたのか? その秘密は、シューマッハーがジョーダンのチームオーナーであるエディ・ジョーダンに宛てた文書の文言に隠されていた。

シューマッハーとジョーダンが交わした契約書

シューマッハーとジョーダンが交わした契約書

Photo by: Motorsport News

 1991年8月22日、つまりベルギーGP前の木曜日の日付が入った契約書にはこう記されている。

親愛なるエディへ

1991年のベルギーGPに私を起用してもらえるのであれば、私はモンツァ(イタリアGP)を前に1991年、1992年、1993年(メルセデスの承認次第では1994年)のドライバー契約にサインする。

 この文章を見れば、シューマッハーが1993年までジョーダンでドライブする契約が成立したように見えるが、原文ではとある箇所に修正が加えられている。それが『ドライバー契約(driver agreement)』の前に付く冠詞。元々の文書では“the driver agreement”となっていたところを、“a driver agreement”に書き換えられた跡がある。

 この些細な修正をジョーダンが見落としたことは大きな痛手となった。driver agreementの前に“the”が付く場合、その契約は以降の文章で示された1991年〜1993年(1994年)の契約全体を指す。しかし“a”が付く場合、契約はそれらの内のたったひとつだけを指すことになる。つまり、期間中のファクトリー訪問など些細な取り決めを結べば、それが“a driver agreement”と解釈することもできた。

 かくしてシューマッハーは法廷闘争の末にベネトンへ移籍。1992年に初優勝を飾ると、1994年からはドライバーズタイトルを2年連続で獲得し、現役最強ドライバーとしての地位を確立した。もしシューマッハーがオリジナルの文章のままでジョーダンとの契約にサインしていれば、ジョーダンチームの未来が大きく変わっていたかもしれない。

 Motorsport Newsに対し、ジョーダンは次のように語っていた。

「契約に関して色んなことを教えられた」

「F1では多くの人と多くの契約を交わすので、細かいところまで把握しきれないんだ。サッカー選手と1試合だけ契約することなんて普通ないだろう?」

「確かに我々は彼を引き留めたいと思っていたし、彼も残りたいと思ってくれていたはずだ。ベルギーGPの後、テストに彼が現れなかった時、戦いが始まることを予感した」

「信じられないことに、F1では契約に“the”を使うべきところを“a”とするだけで大きな何かが決まってしまう。ただそれがモーターレーシングの世界だ。あれ以降、全ての文章に注意を払うようになった」

エディ・ジョーダン(左)とシューマッハー

エディ・ジョーダン(左)とシューマッハー

Photo by: Sutton Images

「シューマッハーのマネジメントチームはベネトンに移籍することでより多くの資金を得られると考えていた。バーニー・エクレストンもフラビオ・ブリアトーレ(ベネトン監督)に対し、彼を引き抜くよう言ったようだ」

 またジョーダン曰く、法廷闘争の末にシューマッハーを手放すことになったものの、示談金のようなものが支払われることはなかったという。

「私は一切の金銭を得られなかった」とジョーダンは言う。

「ただ人生には不思議な巡り合わせというものがある。シューマッハーがいなくなった後、我々は弟のラルフを獲得し(1997年)、ラルフがウイリアムズ移籍を希望した時にはミハエルがその契約を解除させるために金を払ったんだ」

 1991年に発足したばかりだったジョーダンは同年のコンストラクターズランキング5位に入るなど健闘したが、シューマッハーの離脱後は低迷した。1992年はヤマハエンジンを搭載してマウリシオ・グージェルミンとステファノ・モデナを起用するも、獲得したのは1ポイントのみ。初優勝を飾ったのはそれから6年後の1998年だった。

1992年は苦しいシーズンとなったジョーダン

1992年は苦しいシーズンとなったジョーダン

Photo by: Sutton Images

「ミハエル・シューマッハーをキープできていればどんな未来が待っていたのか、それについて答えるのは非常に難しい」と語るジョーダンは、さらにこう続けた。

「ベネトンも彼が加入するまではそれほど成功したとは言えない状況だったが、我々だって当時は新興チームだった。結果的に我々はベネトンほどの素晴らしい成果を収められたとは言わないが、自分たちの力は出し切れたと思っている」

「彼がベネトンで成し遂げたことを考えると、我々にも同じことができたかもしれないとも思う。アンラッキーだった」

 当時シューマッハーのマネージャーを務めていたウィリー・ウェーバーも、Motorsport Newsで当時のことを回想している。彼は“a”の一文字が自分たちを救ったと表現した。

「契約書に書かれていたのは、『スパで走った後、“契約”(a contract)にサインする』ということだった。つまり年に2回、ファクトリーを訪問するという契約にもできた。それが“a contract”だ。何でも良かった」

「エディが(1992年に)ヤマハエンジンを積もうとしていることは知っていたが、それは我々が期待するものではなかった。この“a”が我々を救ったのだ。法廷でも、『ミハエルとウィリーは“a contract”にサインした』ということは明確で、すぐに判決が出た」

 もし、契約書に“the contract”と書かれていた場合、シューマッハーはジョーダンに残留する必要があったのか? そう問われたウェーバーは次のように返した。

「そうだ。ミハエルは後1年、もしかすると2年残る必要があっただろう。ただあの時(1992年)のジョーダンは大失敗で、リザルトを見る限りは1年を棒に振ることになっていただろう」

 

関連ニュース:

あなたの意見が聞きたい!

Motorsport.comで何を見たいですか?

5分間のアンケートにご協力ください。

- Motorsport.comチーム

関連ニュース :

記事をシェアもしくは保存

Copy link

Facebookでシェアする

Twitterでシェアする

WhatsAppでシェア

Linkedinでシェアする

Pinterestでシェアする

Viberでシェア

前の記事 メルセデス”1年生”のラッセル、昇格初年度でハミルトン打ち負かすも気分はF1ルーキー?「コース内外で学びがたくさん」

次の記事 F1日本GPでの王座巡る世紀の大混乱……FIA会長はポイントシステム変更を明言もご立腹「元々チームが決めたことなのに、責任を取るのは我々」

More from

ミハエル シューマッハー



フェラーリ、イタリアGPでミハエル・シューマッハーをオマージュした特別カラーリングを用意

F1

F1

イタリアGP

14 日前

フェラーリ、イタリアGPでミハエル・シューマッハーをオマージュした特別カラーリングを用意



ハミルトンにはシューマッハーと共通する能力がある? フェラーリ内部で話題に……元エンジニア証言「ルイスには感謝したいね」

F1

F1 30 日前

ハミルトンにはシューマッハーと共通する能力がある? フェラーリ内部で話題に……元エンジニア証言「ルイスには感謝したいね」



悪名高き2006年モナコGPから20年。「シューマッハーが何度か見せた短絡的な行動のひとつ」と言われる“ラスカス駐車事件”

F1

F1

モナコGP

3 ヵ月前

悪名高き2006年モナコGPから20年。「シューマッハーが何度か見せた短絡的な行動のひとつ」と言われる“ラスカス駐車事件”

More from

ジョーダン



2025年は”巳年”だから蛇のF1……大胆なノーズ先端カラーリングのジョーダン197

F1

F1 2025/01/01

2025年は”巳年”だから蛇のF1……大胆なノーズ先端カラーリングのジョーダン197



ホンダと”アストンマーチンF1”が組むのは初めてではない? 同チームの前身はジョーダン……佐藤琢磨デビューの2002年以来のコンビ復活

F1

F1 2023/05/24

ホンダと”アストンマーチンF1”が組むのは初めてではない? 同チームの前身はジョーダン……佐藤琢磨デビューの2002年以来のコンビ復活



ホンダと組んでチャンピオンを目指す……アストンマーチンF1の原点|F1・ザ・ルーツ

F1

F1 2023/05/24

ホンダと組んでチャンピオンを目指す……アストンマーチンF1の原点|F1・ザ・ルーツ

最新ニュース



これが“ヨーヨーレース”の功罪か。イタリアGPは各所で膠着状態が発生……その中で際立ったメルセデスとアントネッリの傑出度

F1

F1 F1

イタリアGP

9 時間前

これが“ヨーヨーレース”の功罪か。イタリアGPは各所で膠着状態が発生……その中で際立ったメルセデスとアントネッリの傑出度



キミ・ライコネンの息子ロビンがレッドブル育成入り! 11歳の”2代目アイスマン”に翼を授ける

F1

F1 F1

イタリアGP

9 時間前

キミ・ライコネンの息子ロビンがレッドブル育成入り! 11歳の”2代目アイスマン”に翼を授ける



VR46、モルビデリ後任にニッコロ・ブレガを2027年ライダーに起用。WSBKで2026年を支配する強者がMotoGPに転向

MotoGP

MGP MotoGP 10 時間前

VR46、モルビデリ後任にニッコロ・ブレガを2027年ライダーに起用。WSBKで2026年を支配する強者がMotoGPに転向



メルセデスはラッセルを優先するべきだった? モントーヤ主張「そうすれば良いバトルが見られたのに」

F1

F1 F1

イタリアGP

11 時間前

メルセデスはラッセルを優先するべきだった? モントーヤ主張「そうすれば良いバトルが見られたのに」

Subscribe and access Motorsport.com with your ad-blocker.

フォーミュラ 1 から MotoGP まで、私たちはパドックから直接報告します。あなたと同じように私たちのスポーツが大好きだからです。 専門的なジャーナリズムを提供し続けるために、当社のウェブサイトでは広告を使用しています。 それでも、広告なしのウェブサイトをお楽しみいただき、引き続き広告ブロッカーをご利用いただける機会を提供したいと考えています。

次の 2 つのオプションがあります。

購読中 すでに購読していますか? ここからサインインします

広告ブロッカーを無効にしましたか?
ページをリロード

お知らせの管理

登録