「ロッシが欲しい」ブリビオの未来を変えたスズキからの突然の連絡
昨年までスズキのチームマネージャーを務めたダビデ・ブリビオは、ドゥカティ時代の2012年にバレンティーノ・ロッシの意向についてスズキからFacebook上で問い合わせを受けていたことを明かし、それが間接的に自身のスズキ加入にも繋がったと語った。
Joan Mir, Team Suzuki MotoGP, Valentino Rossi, Yamaha Factory Racing
Gold and Goose / Motorsport Images
2020年はスズキMotoGPチームのチームマネージャーとしてタイトル獲得に貢献し、2021年からはアルピーヌF1でレーシングディレクターを務めることになったダビデ・ブリビオ。彼はスズキがMotoGP復帰を目指していた2013年にチームに加入したが、その時のエピソードを明かした。
ブリビオはヤマハのチームマネージャーとしてバレンティーノ・ロッシと共に一時代を築いた後、2011年にそのロッシと共にドゥカティへと移籍した。一方その頃スズキは金銭的な問題に直面しており、2011年シーズンを最後にMotoGPから一時撤退。数年後の復帰に向けて準備を進めていた。
motogp.comのインタビューの中でブリビオは、2012年にスズキの現MotoGPプロジェクトリーダーである佐原伸一からFacebook上で連絡があったことを明かした。その内容は「スズキがロッシを獲得できる可能性があるのか?」というものだったという。
「私はバレンティーノ・ロッシと仕事をしてきた。彼がヤマハを離れる時も、契約など彼の個人的な事柄の手伝いもしていた」
そうブリビオは語る。
「サハラはFacebookを通して私に連絡をしてきたんだ。私は普段Facebookを使っていなかったから不思議だった。アカウントは作っていたけど、使ってはいなかった。何なら今でも使い方が分からない」
「しかしメッセージが来ていたので読んでみると、そこにはサハラの名前があった。彼はバレンティーノ・ロッシの今後の意向を知りたがっていた」
「彼曰く、スズキが2014年からMotoGPに復帰したいと思っているとのことで、バレンティーノ・ロッシを獲得できるかどうかを尋ねてきた」
「私はバレンティーノと話をしたが、彼はスズキで走ることに関心を示さなかった。バレンティーノはヤマハに戻りたがっていたんだ」
「そして私はサハラに丁寧に返事をして、バレンティーノがそれに興味を持っていないことを伝えた」
「それから少し話をしたが、サハラはもしチームがイタリアで始動したら、そこに加わることに興味があるかを尋ねてきた」
「私はイエスと答えた。そうして我々は2013年の4月1日から共に始動したんだ」
ブリビオがスズキへと加入した2013年、ロッシは2シーズンを過ごしたドゥカティを離れヤマハに復帰。2020年を最後にファクトリーチームからは離れたものの、2021年もサテライトチームであるペトロナス・ヤマハSRTでファクトリーと同等のサポートを受けながら参戦する。
なお、ロッシ獲得が叶わなかったスズキは最終的にフル参戦での復帰計画を1年後ろ倒しし、2015年からマーベリック・ビニャーレスとアレイシ・エスパルガロを起用してMotoGP復帰を果たした。そして2016年にはビニャーレスの手によって復帰後初優勝がもたらされ、2020年はジョアン・ミルがスズキにとって20年ぶりのタイトルを獲得した。
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