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【特集】勝利への執念があってはならない方向に……F1史に残る不正行為を振り返る:前編

F1ではこれまで、ライバルに対し少しでも優位に立つためにルール違反や不正行為を働くケースが多く見られたが、その中から最も記憶に残るものをピックアップする。今回はその前編。

Nelson Piquet Jr., Renault F1 Team R28 crashes into the wall

Nelson Piquet Jr., Renault F1 Team R28 crashes into the wall

Sutton Images

 モータースポーツの最高峰であるF1には、互いに競い合うことを好み、勝つためには手段を選ばないような者たちが集まってくる。「最高のドライバーになりたい」「最高のマシンを作りたい」といった欲望は、やがてレギュレーションの“合法ギリギリ”を狙うといった行動に繋がる。チームは時間をかけて話し合い、ルールを見極めて自分たちなりの解釈を導き出すが、それが合法とされるラインを超えてしまうこともある。

 一方、ライバルに対して少しでも優位に立つため、明らかに悪質な不正行為に手を染めたチームやドライバーもいる。もちろん、不正行為は見つかれば厳しい罰則の対象になるため、彼らはその事実をできる限り隠蔽しようとする。

 こういった不正行為は、ドライバーがコース上で行なうものや、チームが技術面で行なうものなど多岐にわたる。今回は、これまでF1チームやドライバーがアドバンテージを得るために行なった様々な不正行為や悪事、ルール違反の中から、特に有名なものを見ていこう。

1. スパイゲート

Kimi Raikkonen, Ferrari F2007 leads Lewis Hamilton, McLaren MP4/22

Kimi Raikkonen, Ferrari F2007 leads Lewis Hamilton, McLaren MP4/22

Photo by: Sutton Images

 2007年シーズンのF1を揺るがしたスパイゲートは、長編のドキュメンタリー作品が作れるほどのスキャンダルだった。当時フェラーリのチーフメカニックであったナイジェル・ステップニーが停職処分を受けた際、フェラーリは「ファクトリーで不正が発覚したこと」がその原因だと説明していたが、ステップニーはマクラーレンの従業員(後にチームデザイナーのマイク・コフランと発覚)に、フェラーリの機密情報が書かれた書類を渡していたのだ。

 ステップニーがコフランに渡した機密書類はおよそ800ページにも及ぶとされており、コフランはこれを妻に渡し、イギリス・ウォーキングにある印刷店にコピーのため持っていかせた。しかし、この印刷店が告発をしたことで事件が明るみに出ることになった。

 マクラーレンはこれを受けて調査を実施し、フェラーリの機密情報が「他のチームメンバーに行き渡ったり、マシンに組み込まれたことはない」と結論付けた。そしてFIAも十分な調査を行なった結果、マクラーレン側に機密情報が渡ったことは確かであるが、フェラーリのマシンに関する機密がマクラーレンのマシンに落とし込まれたという証拠はないとした。

 しかし、その後新たな証拠が提出されたことにより、マクラーレンは2007年のコンストラクターズ選手権除外の処分を受け、1億ドル(約109億円)という高額な罰金を科された。一方でドライバーズ選手権に関しては罰則の対象とならず、ルイス・ハミルトンとフェルナンド・アロンソのふたりがチャンピオン争いを繰り広げたが、当時フェラーリのキミ・ライコネンが最終戦で逆転し王座を勝ち獲った。

2. クラッシュゲート

Nelson Piquet Jr., Renault R28 crashes into the wall

Nelson Piquet Jr., Renault R28 crashes into the wall

Photo by: Sutton Images

 F1では2007年の『スパイゲート』に引き続き、2008年には『クラッシュゲート』が発生した。この『〇〇ゲート』とは、かつてのアメリカ大統領リチャード・ニクソンの政権が、野党の民主党本部への侵入を隠蔽した事件『ウォーターゲート事件』にちなんだものだ。

 クラッシュゲートが起きたのは2008年のシンガポールGP。当時のルノーはフェルナンド・アロンソがチームに戻ってきたことで競争力を取り戻しつつある時期であり、シンガポールGPでもアロンソはポールポジションを狙える速さを見せていたが、予選Q2で燃料トラブルに見舞われた結果、15番グリッドからのスタートとなってしまった。

 迎えた決勝レースで、アロンソは12周目にピットインして最後方でコースに戻った。その直後、チームメイトのネルソン・ピケJr.がターン17のウォールにクラッシュ。ここでセーフティカーが出動し、ピットレーンが一時クローズされたことはアロンソに極めて優位に働き、各車がピットストップを終えた後にトップに躍り出た。そしてアロンソは見事優勝。“偶然”出されたセーフティカーにも助けられ、ルノー復帰後初勝利を挙げたのであった。

 しかし、これらは全て周到に計画されたものであった。ピケJr.は成績不振を理由に2009年途中にチームから放出された後、「フラビオ・ブリアトーレ(マネージングディレクター)とパット・シモンズ(エンジニアリングディレクター)に『クラッシュしてセーフティカーを出し、アロンソに勝つチャンスを与えてほしい』と頼まれた」とFIAに証言した。

 これを受けて、ブリアトーレとシモンズは2009年9月にルノーを離れることを発表し、ピケJr.の証言が真実であったことが明らかにされた。そして自白したシモンズには5年間の追放処分が下された一方で、ブリアトーレにはF1チームの役職に就くことを一生涯禁止するという重い処分が下った。また、当時ルノーのタイトルスポンサーであったINGもチームを離れている。

 なお、彼らの処分は後の法廷闘争によって覆されることとなるが、ブリアトーレはF1へと公式に“復帰”しないまま今日を迎えている。

3. 水冷ブレーキ事件

Nelson Piquet, Brabham BT49D Ford

Nelson Piquet, Brabham BT49D Ford

Photo by: Motorsport Images

 F1にターボ化の波が押し寄せつつあった1980年代初頭、ターボエンジン搭載車は信頼性にこそまだ難があったものの、その圧倒的なパワーを活かして幅を利かせはじめていた。一方、自然吸気(NA)エンジン車には重量が軽いというアドバンテージがあり、レギュレーションで定められた最低重量を下回るマシンを作りあげた後、バラストを積んで重量を調整するということが可能であった。

 この最低重量には、冷却用などに使われる液体の重量も含まれる。これに目を付けたのが、NA勢の雄であるブラバム、ウイリアムズ、マクラーレンの3チーム。彼らがターボ勢に対抗するために発案したのは、“水タンク”を利用した『水冷ブレーキ作戦』であった。

 彼らのマシンに搭載された水タンクには、レース前に満タンの水が入れられ、この状態で重量検査をパス。そしてこの水はレース中にブレーキの冷却水として使用され、ブレーキに向けて放射される。つまり、レースが進むにつれてタンク内の水はなくなっていき、規定重量を下回る軽い状態で走行できるようになるのだ。

 1982年の第2戦ブラジルGPでは、この水冷ブレーキを活用したブラバムのネルソン・ピケ、ウイリアムズのケケ・ロズベルグがそれぞれ1位、2位でチェッカーを受けた。しかし彼らはライバルからの抗議を受けた結果、水タンク使用に歯止めをかけようとしていたFIAから失格を言い渡された。これによってフェラーリ、ルノーらのターボ勢と、ブラバム、ウイリアムズ、マクラーレンらノンターボ勢との関係が悪化し、第4戦サンマリノGPではノンターボ勢の多くがレースをボイコットすることとなった。

4. 水タンク事件

Stefan Bellof, Tyrrell 012-Ford

Stefan Bellof, Tyrrell 012-Ford

Photo by: Sutton Images

 1970年代前半にはジャッキー・スチュワートなどを擁し、F1のトップチームのひとつとして君臨していたティレルは、予算が高騰していく中でライバルチームから徐々に後れをとるようになり、1980年代には中堅チームへと成り下がっていた。F1ではターボエンジンが主流になっていく中、ティレルは安価な自然吸気エンジンを使用し続けていたが、1000馬力近くを発揮するターボ勢に対し、非力なフォード・コスワースDFYのV8エンジンを搭載するティレルは特に予選で全く太刀打ちできなかった。

 1984年シーズン、ティレルは少しばかりの“創意工夫”によって、ターボ勢に対抗しようとした。

 ティレル012は元々、最低重量を下回るように設計されたマシンであり、バラストを積むことによって重量を調節していた。しかし、FISAはレース後に水を補給するなどといった行為を封じたため、前述のブラバムやウイリアムズのように、レース中は最低重量を下回る状態で走行し、レース後に帳尻を合わせるという作戦ができなくなっていた。

 そこでティレルが目を付けたのがピットストップ。この年、ピットストップ時の燃料補給は禁止となっていたが、水タンクの中身を補充することは禁止されていなかったのだ。そのため、ティレルはレース終盤にピットストップを行ない、そこで水と散弾(鉛)を混ぜたものを水タンクに入れて、必要な重量に到達させるという作戦を採った。この時、他チームからはティレルのピットボックス付近に散弾が落ちていることが度々指摘されていた。

 鉛は金属の中でも比重が大きく、かなり重い素材として知られている。つまり、ティレルは上記の作戦を実行することで、レースの大半で最低重量をかなり下回った状態で走ることができたのだ。ただティレルによると、最終的にはマシンに余分なウエイトを積み過ぎていたケースもあったようだ。

 ティレルの“仕掛け”はそれだけではなかった。彼らのタンクには水と散弾以外にも、芳香族炭化水素が混入していた。これをエンジンの吸気口に噴射することによってエンジンパワーを増強させていたという。

 ティレルはピットストップを駆使して違法に重量をコントロールし、さらには違法にエンジン出力を上げていたとして、1984年シーズンの全リザルトを抹消された。この年ティレルはステファン・ベロフとマーティン・ブランドルのルーキーコンビが表彰台を獲得するなど健闘していたが、結果的にそれらのリザルトも全てなかったことになってしまった。

 

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