ロベルト・モレノ インタビュー第2回:”友人たち”の助けで得た歓喜

1990年の日本GPで歓喜の2位表彰台を得たロベルト・モレノ。この好結果は、多くの”友人たち”の支持がある、実現したモノだった。

 今年の11月18〜19日に鈴鹿サーキットで行われた「RICHARD MILLE SUZUKA Sound of Engine 2017」に、特別ゲストとして来場したロベルト・モレノ。約30年前のことにもかかわらず、代役参戦としてベネトンの一員として臨んだ1990年のF1日本GPの様子を、こと細かく振り返った。

 ユーロブルンを離れ、急きょベネトンから日本GPに参戦することになったモレノ。当時の彼には一つに不安材料があった。それが「体力」だったという。

「体力的に不安はあった。だって、このシーズンはほとんどが予備予選落ちで、週末に1時間しかマシンに乗っておらず、本戦を走ったのもたったの2回だけ。1レースきっちり持つだけのトレーニングができていなかった」

Roberto Moreno, Benetton B190

Photo by: LAT Images

 その上戦闘力が大幅に上がったベネトンのマシン……金曜のセッションを終了した時点で、モレノは早くも音を上げてしまっていたのだ。

「金曜日にフリー走行と予選を走ったけど、それだけで疲れ切ってしまって、夜ホテルに戻った時にどうしたものか……と考え込んでしまった」

 そこでモレノはブラジルの友人に電話をしたという。

「彼は空手の黒帯を所持している人で、『体力的に厳しいのだが、何とか対処方法はないか?』と尋ねたんだ。そうしたら彼はもともと宗教に熱心な人で、『旧約聖書の詩編23篇を読むといい』とアドバイスをくれた」

「僕は最初『精神的や宗教的なことではなく、体力的な部分を何とかしたいんだ!』と言った。でも彼は『詩編23篇は人を強くする。私が大学で、これを三日三晩寝ずに学んだ。そこで人に強さを与えてくれることもわかった』と言った」

 翌日の土曜日もフリー走行と予選2回目を参加。それでも自己ベストとなる予選9位(ジャン・アレジの欠場により決勝は8番手スタート)を獲得した。しかし、モレノはすでに疲労困憊だった。

 そして日曜日の決勝。スタート前にモレノのマシンはエンジントラブルに見舞われてしまい、急遽チームメイトのネルソン・ピケ仕様のセッティングになっていたスペアカーでレースに臨むことになった。このマシン変更も、ひとつの幸運だったと語る。

「レース前にエンジントラブルが出て、ピケ仕様のスペアカーに乗ることになった。僕のマシンよりも良い状態だったし、何よりこれが最初の幸運だったと思うよ」

「ネルソンはハードタイヤを履いてピットストップをしない作戦を組んでいた。僕は彼に『あなたがやることと同じことを僕もやる』と言った。そうしたらネルソンは『最初は慎重にレースを進めていって、終盤に勝負をかける』と作戦を教えてくれ、僕もそれに従った」

Alain Prost, Ferrari and Ayrton Senna, McLaren collide in the first corner

Photo by: Jean-Francois Galeron/WRI2

 この日鈴鹿に集まった14万1000人の観衆の大半は、フロントロウに並んだアイルトン・セナ(マクラーレン・ホンダ)とアラン・プロスト(フェラーリ)のチャンピオン争いに注目していた。しかし、スタート直後の1コーナーで2台は絡んで共にリタイア。代わってトップに立ったゲルハルト・ベルガー(マクラーレン)も2周目の1コーナーでスピンを喫しリタイアしていく。これでナイジェル・マンセル(フェラーリ)がレースをリードするが、彼も26周目のピットストップ時にギヤボックスを壊しリタイア。当時優勝争いを繰り広げていたマクラーレンとフェラーリの2チーム4台が揃って姿を消すという、大波乱のレース展開になった。

 代わってレースをリードしたのはベネトン勢。前半は抑え気味のペースで行き、ライバルが消えた後半に一気にスパートをかけ後続を引き離していく。この時点でピケの後ろを走行していたモレノだったが、心配していた体力がすでに限界を迎えていた。

「レース中盤になって、ステアリングを切るのもやっとなくらい疲れ切っていた。ネルソンはどんどんリードして、彼とのギャップも随分広がってしまった」

Podium: race winner Nelson Piquet, Benetton, second place Roberto Moreno, Benetton, third place Aguri Suzuki, Larrousse

Photo by: Jean-Francois Galeron/WRI2

 モレノは最悪の場合、マシンを止めることも考えたという。そんな厳しい状況の中で思い出したのが、金曜日の夜に友人がくれた“アドバイス”だった。

「もう無理かな……と思った時に、友人が教えてくれた詩編23篇を思い出した。それを試して、2つくらいコーナーをすぎたら、一気に体が目覚めたような感覚だった。『よし、いける!』と確信した瞬間だった」

 そして、ついに53周を走りきり、歓喜のチェッカーフラッグを受けたモレノ。長かったレースを無事に走りきり、自身初となる2位表彰台を手にした。ウイニングランを終えパルクフェルメにマシンを止めると、そこに待っていたのは、チームメイトであり、同郷の先輩であり、自身のレースキャリア開始を支えてくれたるピケだった。

 当時、号泣しながらピケに抱きついたシーンは、今でも多くのファンに語り継がれているが、その時の心境について、モレノはこのように語った。

「すごく……すごく特別な瞬間だった。マシンを止めてピケが迎えに来てくれた時は、色々なことを思い出した。1979年、イギリスでレースキャリアをスタートした時に助けてくれたのが彼だった。ヨーロッパに行くことを勧めてくれたのも彼だったし、当時は本当にお世話になりっぱなしだった」

ロベルト・モレノ

Photo by: Tomohiro Yoshita

「あの時は、レースで2位になれたと言うことよりも、ピケへの感謝の気持ちでいっぱいだった。昔のことだけど、あの時助けてくれてありがとうって。それ以上、言葉はいらなかった」

 あれから27年が経ち、鈴鹿サーキットを訪れたモレノ。当時使っていたオリジナルのレーシングスーツ姿も披露し、期間中は時間があれば集まったファン一人一人に丁寧にサインをし写真撮影にも応じていた。

「日本のファンは熱狂的だし、礼儀正しいし、知識も豊富なんだ。当時のことを僕よりもずっと細かく知っているんじゃないかってくらい。そして皆今から20年以上も前の(1990年当時の)雑誌とかグッズにサインしてくれって持ってくるんだよね。本当に日本のファンは素晴らしい」

コメント
コメントを書く
この記事について
シリーズ F1
ドライバー Roberto Moreno
チーム ベネトン
記事タイプ インタビュー