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ウイリアムズFW14Bを当時TDを務めたパトリック・ヘッドが解説

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ウイリアムズFW14Bを当時TDを務めたパトリック・ヘッドが解説
2017/12/11 11:10

1992年のF1シーズンを席巻した稀代の名車ウイリアムズFW14Bを、当時テクニカルディレクターを務めたパトリック・ヘッドが解説する。

 1992年のF1シーズン、それまで”無冠の帝王”と呼ばれていたナイジェル・マンセルは16戦中9勝を挙げる強さを見せた。その強さは他を寄せ付けず、8月に行われた第11戦ハンガリーGPで早々にワールドチャンピオンを決めてみせた。しかも完走した12戦はいずれも2位以内。マンセルがタイトルを手にしたのはこの年限りだったが、それでも手をつけられないほどの強さだった。チームメイトのリカルド・パトレーゼは日本GPの1勝のみにとどまったものの、2位6回、3位2回と、”最強のセカンドドライバー”の名を欲しいままにした。

 ふたりの活躍を支えたのは、この年のウイリアムズのマシン”FW14B”である。エイドリアン・ニューウェイがデザインした空力に優れたシャシーに、ルノーの熟成なったRS3C/RC4と名付けられたV10エンジン、さらには各所盛り込まれたハイテクデバイス……ライバルのベネトンやマクラーレンを蹴散らした。

 このウイリアムズFW14Bは、F1の歴史上もっとも成功したマシンの1台に数えられる名車だ。その強みは一体どこにあったのか? 当時ウイリアムズでテクニカルディレクターを務め、同社の共同創設者でもあるパトリック・ヘッドが解説する。

セミオートマチック・ギヤボックス

 現在ではすべてのF1マシンが採用するパドルシフト。セミオートマチック・ギヤボックスは、その先鋒となる技術だ。1989年にフェラーリが初めて実用化。これを各チームが追従し、現在のパドルシフトに繋がった。

パトリック・ヘッド(以下PH):「我々は1991年に初めてこれをレースで使った。しかし信頼性に乏しく、多くのポイントを失うことになった。とはいえ問題を解決した後は、大きなアドバンテージになってくれた。なぜなら、4〜5倍も速く変速することができたし、エンジンがオーバーレブするのを防止することにも繋がったんだ」

Nigel Mansell, Williams FW14B
Nigel Mansell, Williams FW14B

Photo by: LAT Images

革命ではなく”進化”を遂げた

 近年のF1では、同一のシャシーを複数年使うことは稀である。しかし以前のF1では、ひとつのシャシーを複数年にわたって使うことが多く、ティレル020やロータス102などは、3〜4年も使われた。ウイリアムズFW14Bも基本的には前年のFW14であり、そこに取り付けられたデバイスが異なるだけで、空力コンセプトはほぼ同一。にもかかわらず圧倒的な強さを見せた。

PH:「(1991年に使われた)FW14とこのFW14Bの主な違いは、アクティブサスペンションがあるかどうかだった。今そのプログラムを振り返ると、注目に値する」

「2011年には、我々はそのシーズンの終盤で、翌年用のフロントウイングを試した。しかしFW14とFW14Bは、空力面での変更は最小限だった。FW14は元々良いクルマだった。レイトンハウスのマシンから、多くの関連性を受け継ぎ、そこにはエイドリアン(ニューウェイ)がいたんだ」

トラクションコントロール

 ホイールスピンなどを防ぐために、トラクションをコントロールするためのシステム。これが登場したことで、ドライビングを大きく補助することとなった。すぐに禁止されたものの一時復活を経て、現在も禁止されている技術。しかし当時とはまた別の形で、現在もトラクションの制御が行われているようだ。

PH:「トラクションコントロールは、10年後に使われるモノとよく似ていたが、まだあまり精巧ではなかった。その開発が始まった時には、ソフトウエアはまだ比較的単純なものだった。しかしその方が多くの開発を必要とはせず、時間的にも有効だったんだ。それでも、ウエットコンディションの時には大きなメリットに繋がった」

「ドライバーがエンジンのパワーを調整する時は、多くの時間を要する。一方で自動コントロールシステムは、ドライバーよりも少し早くそれを行うことができた」

Nigel Mansell, Williams FW14B
Nigel Mansell, Williams FW14B

Photo by: LAT Images

ドライビングスタイル

 アクティブサスペンションを搭載したマシンは、搭載していない従来のマシンと大きく挙動が異なっていたという。そのため、これに慣れることができたドライバーと、慣れることができなかったドライバーに二分されていたと言われる。

PH:「アクティブサスペンションのシステムは、(ドライバーが)予測しなければならない要素があったが、本質的には反応しなければならなかった。つまりそれが意味することとは、普通のクルマとはロール剛性の感触が違うということだった」

「コーナーに入る際、短い期間ではあるもののマシンは浮遊するような感じになり、その上安定していた。ナイジェルはこの短い間に、より多くのグリップがあることを掴んだ。しかしチームメイトのリカルドは、いつもよりしっかりとした感触を欲しがっていたんだ」

ルノーエンジン

 それまで”エンジン至上主義”だったF1。ホンダは1986〜1991年まで、その優れたエンジンパフォーマンスにより、6年連続でコンストラクターズタイトル獲得に貢献した(1986〜1987年はウイリアムズ、1988〜1991年はマクラーレン)。しかし、ルノーはパワーとドライバビリティの”両立”を目指したV10エンジンを登場させ、これを開花させると、6年連続でコンストラクターズランキング獲得を後押しした(1995年はベネトン、それ以外はウイリアムズ)。

PH:「当時のルノーエンジンは、マクラーレンが使っていたホンダエンジンよりも確かに優れていて強かった。ホンダは、単純に言えば強力ではあったが、非常に重かったんだ」

「一方でルノーは、その後登場するエンジンに比べたらずっと重かったものの(ハンガリーで投入されたRS4エンジンはわずか140kgだったが)、パワー、重量、燃費、取り付けなどを考えると、最高のレーシングエンジンだった。そして、非常に信頼性の高いモノだった」

Nigel Mansell, Williams FW14B
Nigel Mansell, Williams FW14B

Photo by: LAT Images

アクティブサスペンション

 サスペンションは、路面からの入力に”反応”する形で作動するデバイスだ。しかしこのアクティブサスペンションは、路面からの入力をサスペンションが能動的に働くことで受け止め、車体の姿勢変化を抑制。空力効果を安定させることで、高い戦闘力を発揮した。1980年代前半にロータスが初めて実戦投入。1992年にウイリアムズによって開花されると、マクラーレンやフェラーリなども追従した。1993年限りで使用禁止。現在では乗り心地を改善するために、鉄道車両などで使われている。

PH:「我々は1985年から、アクティブサスペンションを開発していた。それは、 APレーシング社が我々と組んだことから始まったんだ。彼らは市販車用のシステムを開発していた。しかし彼らはそれを続けるつもりはない事を決めていたし、それを葬り去るつもりはなかったので、当時APのブレーキを使っていた我々に連絡してきた」

「最初は純粋に機械的なモノだった。しかし電子的に制御するため、我々はデジタル形式にする必要があった。そして基本的には、前後のライドハイトを整えることを目指していた」

「プログラムが進むにつれ、コントロールはより洗練されるようになった。コース上のマシンの姿勢を変えることができ、ドライバーがアンダーステアを訴えたり、オーバーステアを訴えたりするという問題を、我々は克服することができたのだ」

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