ミハエル・シューマッハーのフェラーリ初載冠から25年……「あの鈴鹿でのレースは、経験してきた中でも最高レベルの1戦だった」
25年前の10月8日、ミハエル・シューマッハーがフェラーリで初めてのF1ドライバーズタイトル獲得を決めた。2000年の日本GPでのことである。
2000年10月8日、鈴鹿サーキットで行なわれたF1日本GPで、フェラーリのミハエル・シューマッハーが優勝した。シューマッハーはこの勝利で、同年のF1ドライバーズタイトル獲得を決めた。あれから25年が経ったということになる。
このシューマッハーの載冠は、フェラーリにとっては随分と久しぶりのタイトル獲得となった。実に1979年にジョディ・シェクターがチャンピオンに輝いて以来のことであった。フェラーリの熱狂的なファン、いわゆる”ティフォシ”は、長くその時を待っていた。
シューマッハーは1994年と1995年にベネトンでチャンピオンに輝き、1996年からフェラーリに移籍。1997年と1998年は、ウイリアムズのジャック・ビルヌーブやマクラーレンのミカ・ハッキネンとタイトル争いを繰り広げたが、一歩及ばなかった。1999年にはシューマッハーがシーズン途中のクラッシュで足を骨折、代わりにチームメイトのエディ・アーバインがハッキネンを追い詰めたが、やはりチャンピオン獲得とはならなかった。
31歳になったシューマッハーは、2000年には新たなチームメイトとしてルーベンス・バリチェロを迎えた。バリチェロはフェラーリ加入発表時、「僕はナンバー2ドライバーだけど、実際には1Bに近い」と、笑顔で語り、さらに次のように続けた。
「とはいえ僕は間違いなくナンバー2だ。ナンバー1になりたいなんて言うのはおこがましい。チームに入ったのは、ミハエルよりずっと後だ。そのポジションは彼のモノだよ」
「ミハエルは絶対的な世界最高のドライバーではないかもしれないが、”世界最高レベルのドライバーのひとり”であるのは間違いない。そんなミハエルと、自分の能力を比較するチャンス、自分の実力を証明するチャンスだ。それが僕の挑戦なんだ」
シーズンが始まると、シューマッハーは開幕3連勝。ナンバー1ドライバーとしての立場を確固たるものにした。
そのままシーズンを圧倒するかに思われたシューマッハーだが、夏に3戦連続リタイア(エンジントラブル1回、1周目の接触2回)を喫し、タイトル争いは熾烈なモノになった。
シーズン残り2戦となった日本GP、シューマッハーとハッキネンの差は8ポイントであった。シューマッハーがここでタイトルを決めるためには、ハッキネンよりも2ポイント多く獲得しなければいけなかった。
Michael Schumacher, Ferrari F1-2000
Photo by: Motorsport Images
ふたりの戦いは予選から熾烈なものとなった。ハッキネンとシューマッハーは互いに最速ラップを出し合い、シューマッハーは1/100秒ハッキネンよりも速いタイムを記録して、ポールポジションを奪った。
「最終シケインでは、コーナーからの立ち上がりで思ったほど加速できなかった。2番手という結果にとてもがっかりしている」
ハッキネンはそう語って悔しがった。
スタートでシューマッハーは、コースを横切るような進路を取り、ハッキネンを封じ込めようとした。しかしハッキネンも黙っておらず、まさに電光石火のスタートを切り、首位に立ってみせた。
シューマッハーはハッキネンを逃すことなく食らい付き、2回目のピットストップまでその差が3秒を超えることはなかった。この2回目のピットストップ、シューマッハーはハッキネンよりも3周後ろ倒しにしたことでオーバーカットに成功し首位を奪い返した。しかも3周多く第2スティントを走ったことで、給油時間にも大きな差が生じた。
「生涯を通じて、ロス(ブラウン/当時のテクニカルディレクター)の無線を忘れることはないだろう」
シューマッハーは、2013年にスキー事故に遭い重傷を負う直前にそう語っていた。
「2回目のピットストップを終えてピットレーンを走ってきた時、彼が無線で『良い感じだ、良い感じ!』と言ったんだ」
「僕はとても緊張していた。彼はその後も『良い感じだ』と言うだろうと覚悟していたんだけど、彼は突然『とんでもなく良さそうだよ!』と言ったんだ」
「2回目のピットストップを終えた後では、うまくいくとは思っていなかったんだ。ピットに入る前の2周は、あまりよくなかった。トラフィックにつかまり、スピンオフしたベネトンを抜かなければいけなかったんだ。そしてロスからのその無線メッセージが聞こえてきた。信じられないような思いだった」
「ピットレーンを出た後、トップに立ったことがすぐに分かった。ミスをせず、マシンに問題が起きなければ、優勝は確実だと思った。鈴鹿では、オーバーテイクはほぼ不可能だからね」
Mika Hakkinen, Mclaren MP4-15, Michael Schumacher, Ferrari F1 2000, champion
Photo by: Sutton Images
シューマッハーはハッキネンに1.8秒差をつけてチェッカーを受けた。最終戦マレーシアGPを残して、チャンピオン獲得を決定付けたわけだ。
「チェッカーを受けた瞬間は、信じられなかったよ」
シューマッハーはそう語った。
「それまでは、喜びを感じる勇気などなかった。絶対に確信を持って、フィニッシュラインを越えたかったんだ」
「後になって、あの瞬間に何を一番強く感じていたのかと、何度も聞かれた。でも、一度も適切な言葉が見つからなかった。この幸せを、どう表現すればいいのか全く分からなかった」
「振り返ってみると、このレースは僕にとって本当に特別なモノだった。タイトルを獲得できただけでなく、非常にハイクラスなレースだったからだ。まさに最高レベルのレースだった」
「40周以上、僕とミカはほぼ同じタイムを刻み、まるで予選ラップが永遠に続くような感じだった。間違いなく、これまで僕が走ったレースの中でも最高の、いや最高のレースのひとつだった。ミカも素晴らしく、僕を限界まで追い込んでくれた」
シューマッハーはこの年を皮切りに、2004年まで5年連続でチャンピオンを獲得。この5年連続チャンピオンという記録は、今日まで誰も成し遂げていない。
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