ジェームス・ロシターがF1デビューに近づいた3つのタイミング

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ジェームス・ロシターがF1デビューに近づいた3つのタイミング
2018/06/02 10:07

今季もスーパーフォーミュラなどに参戦するジェームス・ロシター。長く日本で活躍しているが、彼がF1デビューに近づいた日があった。

 今季、VANTELIN TEAM TOM’Sの一員としてスーパーフォーミュラに参戦、スーパーGTにも代役として参戦し”スーパーサブ”としての役割を十二分に果たしているジェームス・ロシター。そのロシターが、F1デビューに近づきつつも、それを逃した”3つのタイミング”を振り返った。

 ロシターは2004年のBARホンダのヤングドライバープログラムに選ばれると、翌2005年には同チームの開発ドライバーに抜擢。以後、ホンダやスーパーアグリ、フォースインディアなどのテスト/開発ドライバーを歴任してきた。しかし、ついにF1デビューの日は訪れなかった。

 その後ロシターは2013年に来日。スーパーGTやスーパーフォーミュラなど、日本国内のトップカテゴリーへの参戦を開始し、以後今日まで活躍を続けている。スーパーフォーミュラでの優勝こそないものの、スーパーGTでは通算6勝を挙げている。

 そのロシターが、F1デビューに近づいた当時のことを振り返った。

「歳を重ね、より賢明になった今振り返ってみると、レースシートを獲得するためにもっと違ったやり方をすることができたかもしれない」

 そうロシターは語った。

「2007年のトルコGPのことだ。当時、僕はF1デビューにすごく近づいたと思っていた。レースに行く前の水曜日に僕はそう言われ、F1デビューへの期待を胸にイスタンブールへと飛んだ。その時、(佐藤)琢磨は非常に体調が悪かった。しかもその年のマシン(スーパーアグリSA07)については、僕はよく理解していたんだ」

 スーパーアグリSA07は、ホンダの協力の下生み出されたF1マシンであるというのは周知の事実。そのため、ホンダの2006年マシン(RA106)で培われた技術が、多く投入されていたと言われる。ロシターはそのRA106で数多くテストしていた。

「金曜日の朝、僕はフリー走行に出る準備ができていた。しかし、琢磨が乗ってみるという決定が下されたんだ。だから、僕には希望があったけど、それが実現することはなかった」

「僕はそのチームで4年間過ごした。ジェンソン(バトン)やルーベンス(バリチェロ)、そしてアンソニー(デビッドソン)の時代にはすごく多くのことを学んだ。彼らは、学び取るには素晴らしい存在だった。そしてアンソニーとのテストは、彼は何歳か僕よりも年上だし、すでにF1で膨大な経験を積んでいたから、素晴らしいモノだった」

「多くのことを学ぶ絶好の機会だった。でも今は、若いドライバーたちはF1をテストする機会をほとんど得ることができない。そのことは残念だね」

 ロシターは2008年もホンダのテスト兼開発ドライバーを務めていた。しかしホンダは、同年限りでF1撤退を発表。この決定はシーズン閉幕後だったため、すでに翌2009年用マシン”RA109”がほぼ完成していた。

 この2009年用マシンは、ホンダとして活躍する機会を手にすることはなかったが、チームを引き継いだロス・ブラウンが運営するチーム”ブラウンGP”の第1号(かつ唯一の)マシンとして、2009年シーズンを戦うことになった。そのマシンの名はBGP001。搭載するエンジンはホンダではなく、メルセデスとなっていた。

 しかしこのBGP001は圧倒的な速さを見せた。開幕7戦中6勝を挙げ、ブラウンGPは参戦初年度にしてコンストラクターズタイトルを獲得。ジェンソン・バトンもドライバーズタイトルを手にした。

 この、RA109になるはずだったマシンの開発を担当したのが、ロシターだった。当時のことについてロシターは、次のように語る。

「2008年にはまだホンダにいて、かなりのテストを担当した。そのテストは、2009年用に使う多くの有用な情報を手にするために活用された」

「シャシーを速く走らせるためのパーツをテストした。いくつか興味深いプロジェクトもあったよ。僕は4年間、本当にたくさん走ったんだ」

 ロシターは当時、ヨーロッパのサーキットだけではなく、来日してのテストも行っていたとも示唆した。

 その後も、ロシターはF1デビューを諦めなかった。そして2010年、F1デビューを目指していたアメリカのF1チーム、USF1との契約を交わした。ただUSF1は、エントリーリストに記載されるまでには至ったものの、結局資金難に見舞われ、参戦が実現することはなかった。

「僕は、署名されたレースドライバーの契約書をまだ持っている。僕の父親が、家にそれを持っているんだ。残念ながら、それは実現しなかった。僕とホセ・マリア・ロペスが、USF1と契約を交わしたんだ。F1デビューに近づいたと思ったね」

 USF1が参戦することに疑いはなかったかと尋ねられたロシターは、次のように語った。

「僕は当時、それを信じていた。アメリカにも行ったし、ファクトリーのすべてを見て回った。大きな挑戦になると思った。しかし何らかの理由で、それもうまくいかなかった。当時、ピーター・ウインザー(元F1チームのマネージャーであり、ジャーナリストでもある。USF1のスポーティングディレクターを務める予定だった)は僕のサポーターであり、僕のために戦ってくれた。実現しなかったのは残念だ」

 ロシターには、2013年にもF1”デビュー”のチャンスが訪れた。フォースインディアから声が掛かったのである。フォースインディアのCOOであるオットマー・サフナウアーは、ロシターがテストドライバーを務めていた当時ホンダに在籍しており、共に仕事をした間柄なのである。

 しかし、またしてもロシターのF1デビューの機会は潰えてしまった。

「そのチャンスを奪ったのは天候だった」

 そうロシターは語った。

「オットマー・サフナウアーとは、BARとホンダで共に仕事をした。彼ら(フォースインディア)は出来上がったばかりのシミュレータプログラムを持っていて、僕はその仕事を手伝っていたんだ。そして、実際のマシンをドライブした経験を得るために、マシンを走らせた。そしてシミュレータに戻り、多くのモノを改善した」

「シルバーストンのファクトリーで、レースの週末をシミュレータで再現したこともあった。FP1とFP2でレースドライバーと議論して、シミュレータでマシンを試し、そして修正しようとした。その相関関係はかなり良かったし、良い結果をもたらした。その相関関係をさらに良いモノにするための最高のチャンスが、イギリスGPのFP1だった」

「しかし、当日は本当に打ち砕かれた。その日はウエットコンディションで、できることは何もなかった。そして、レースドライバーに走らせた方がはるかに良いという決断をしたんだ」

「何年もテストドライバーを務めた後、ホームグランプリのFP1でドライブするチャンスを手にするのは、非常に興奮することだった。でも、それは実現しなかったんだ」

Interview by Marcus Simmons

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この記事について

シリーズ F1
ドライバー ジェームス ロシター
記事タイプ インタビュー