ライコネンは2000年にフォーミュラ・ルノーやフォーミュラ・フォードで圧倒的な存在感を見せ、4輪デビューから1シーズン23戦、F3やF3000(現在のFIA F2)を経験することなく、2001年に飛び級でザウバー(現アルファロメオ)からF1デビューを迎えた。下位カテゴリーでの経験不足もありFIAから発行されたスーパーライセンスは“仮免許”状態だったが、初戦のオーストラリアGPでから6位入賞を果たし周囲の疑念を吹き飛ばした。また、F1初レース開始5分前まで仮眠を取っていたという逸話が残っている。
ルーキーイヤーでF1界を驚かせたライコネンは2002年にトップチームのマクラーレンへと移籍。メカニカルトラブルなどによりその年は4度の表彰台獲得に留まったが、翌2003年の第2戦マレーシアGPでF1初優勝を上げた。このシーズンの第9戦ヨーロッパGPでは初ポールポジションも獲得している。
ライコネンのベストレースのひとつとも言えるのが2005年の日本GP。降雨によりライコネンは予選17番手から決勝レースを迎えたが、怒涛の追い上げを見せ最終ラップのホームストレートで首位ジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)を交わしトップチェッカーを受けた。最終レースに先立ってF1公式ポッドキャストに登場したライコネン自身も、「キャリアベストレース」として2005年日本GPを挙げている。
予選4番手から決勝レースをスタートしたライコネンだったが、残り28周というところでマシンにトラブルが発生しロウズヘアピンを抜けた先のターン7でマシンを降りた。リタイア後はチームが待つガレージに戻るのが定石だが、カメラがライコネンを捉えたのは港に浮かぶヨットの上でくつろぐ姿だった。
ミハエル・シューマッハーの後任として2007年にフェラーリ入りを果たしたライコネン。マクラーレンのフェルナンド・アロンソとルイス・ハミルトンとともに三つ巴のドライバーズタイトルを争い、最終戦ブラジルGPで勝利したライコネンはハミルトンとアロンソを1ポイント上回り、大逆転でワールドチャンピオンに輝いた。現時点ではフェラーリとしては最後のドライバーズチャンピオンである。
2009年末にフェラーリを離脱したライコネンは、世界ラリー選手権やNASCARへのスポット参戦などで2シーズンに渡りF1から離れていたが、2012年にロータス・ルノー(現アルピーヌ)からF1復帰。最終戦アブダビGPの決勝レースでトップに立ったライコネンは、エンジニアからの「君の後ろはアロンソ……タイム差とペースを逐一報告するね」との無線に「ほっといてくれ(Leave me alone)、やるべきことはわかっているから」と“ライコネン節”を炸裂させた。
2014年から再びフェラーリへ戻ったライコネン。2017年スペインGPでは、バルテリ・ボッタス(メルセデス)とマックス・フェルスタッペン(レッドブル)に挟まれオープニングラップのターン1でレースを終えた。彼のリタイアに泣きじゃくる6歳のトマ君とその家族を国際映像が捉えると、フェラーリは彼を笑顔にするべくパドックに招き、待ち構えていたライコネンと面会を果たした。
2018年アメリカGPでは、2013年のオーストラリアGP(ロータス時代)以来113レースぶりの勝利を挙げた。5年半ぶりの勝利も、ライコネンは「大騒ぎするほどじゃない」と冷静だった。結果として、ライコネンとしてはこれがF1では最後の勝利となった。
2019年シーズンから古巣アルファロメオ(元ザウバー)に戻ったライコネン。翌2020年ポルトガルGPの決勝レースでは、ダンプコンディションの中卓越したマシンコントロールを見せつけた。オープニングラップで他車がスリッピーな路面に苦戦する中16番手から6番手にまでジャンプアップ、10台抜きを披露した。
2022年シーズンを締めくくるアブダビGPがライコネンのF1キャリア最後のレースとなった。決勝レースではマシントラブルに見舞われリタイアとなったが、他のドライバーを初め多くの関係者から彼の引退を寂しく思う声が聞かれた。史上最多353レース出走のうち、ワールドチャンピオン1回、レース勝利21回、表彰台獲得103回という通算成績だった。
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