【F1】スチュワート卿「ハロ批判は、過去の安全政策への抵抗だ」
ジャッキー・スチュワート卿は、ハロを批判することは、彼が50年前に取り組んでいた安全政策に抵抗するようなものだと語った。

3度のチャンピオンであるスチュワート卿は、1960年代にF1で安全キャンペーンを行っていたが、当時はあまり多くのファンには知られていなかった。
そのスチュワート卿は、もし彼らがモータースポーツにおける犠牲者のことを考えていたら、こんなにもすぐにハロを批判することはなかっただろうと考えている。
昨日イギリスのUKTVの番組『the Great British Racing Season』開始に伴い話をしたスチュワート卿は、ハロを使用するという彼の信念は、ドライバーの安全を守ることができるのかどうか、というところにあるという。
「私の考えはこうだ。もし命を守ることができたら、もし私と同じくらい葬式に出席した人々や、私と同じくらい泣いた人々、友人の死を間近で見た人々を救うことができたら……」
「我々は効果的なテクノロジーを手に入れたのだから、こういうことは全てこれでおしまいだ」
「残念ながら、私はハロについてネガティブな考えを持っていない。私が読んだコラムには、”これがF1の終わりだ。それには反対だ。ハロを使いたくない”と書かれていた。私にとってそういうのは、トラックの安全性のために”ジャッキー・スチュワートがモータースポーツを殺そうとしている”と書かれているようなものだ」
「我々は自分たちが見出せるだけの安全性を確保しなければいけないし、同時にモータースポーツやF1を破壊していると考えなければいけないと思っている。つまり、フルフェイスのヘルメットは、ドライバーの顔をよく見ることができないと批判されてきた、ということだ」
またスチュワート卿は、ドライバーの安全性に関して、”先制ポジション”を獲る方が良いと考えている。
「予防薬というのは、中和薬よりもはるかに重要なものだ」とスチュワート卿は語った。
「また中和薬というのは、予防薬よりもはるかに高価なものだ」
「私の意見では、ハロは必要なものだ。なぜなら、ヘンリー・サーティースは自分のマシンではなく、他人のマシンから飛んできたタイヤによって亡くなったからだ。こういうことはいつでも起こりうるのだ」
「あれはただの不運だった……しかし、なぜ運を頼るのか?」
スチュワート卿は、安全面の進歩したとしても、ドライバーが危険な行為をすることはないと説明していた。
「私が言っているのは、かつては”本当に危険で、気をつけて、用心深くいなければいけなかった”時代があったということではない。ばかばかしい」
「レーシングドライバーは、タツィオ・ヌヴォラーリやルドルフ・カラツィオラ、それよりも前の人々から変わっていない」
「仲間の生死に関わるような何か大きなアクシデントを起こす可能性があるならば、ドライビングをもう少し寛容にした方が良いかもしれない」
「熱くなりすぎてはいけない。命が奪われるような状況を生まないようなやり方で、マシンをドライブすべきだ」
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この記事について
シリーズ | F1 |
ドライバー | Jackie Stewart |
執筆者 | Alex Kalinauckas |