motorsport.com編集長日記:今宮純と交わした、挨拶の意味
今月急逝した今宮純氏を偲ぶ……。
写真:: Glenn Dunbar / Motorsport Images
もう10年も前になるが、私は最愛の呑み友達を失った。私よりひとつ年齢の若いNH君で、彼が若くして病気で亡くなった時、何事に対してもあまり感傷的にならない私が、さすがに辛さを隠しきれなかった。その辛さはどういうものかと言えば、最愛の友を失った自分はこれまで彼と共有していた時間をこれから先誰と過ごせばいいのかという身勝手な感傷だった。彼と呑んでいた酒を誰と飲めば良いのか、彼と交わしていた会話を誰と交わせばいいのか。突然空虚な時間を押し付けられても、それにいかに対処すればいいのか。ひとりの人間がいなくなるということは、残された人間にとってそれほど大きな緊急事態なのだということを突きつけられた。
そのNH君が逝ってから10年経ってまたひとり戦友が旅立ってしまった。私などより遙かに純粋にモータースポーツを愛していた今宮純は、私はもちろんのこと誰ひとり、最愛の奥さんにもサヨナラを言わないまま旅立った。あまりに突然のことで誰もが茫然自失である。
齢を重ねると、生きてきた証や人生の意味を考えるようになるが、まあそれは本人が生きることに執着するからであり、考えようによっては潔さの正反対にある。今宮氏が存命中にそうした考えをまったく持たなかったかといえば、これは本人に聞いたことがないので私の勝手な解釈だが、恐らくそうしたことにはあまり頓着しなかったのではないかと思う。それよりなによりいま目の前で起こっている事象と、その事象に自らがいかに絡み合っているかという現実にこそ意味を見いだしていたように思う。それこそがモータースポーツと共に生きていく彼の術だったのだろう。
40年もの長い間おなじフィールドを歩き回ってきたが、実は今宮氏と膝をつき合わせて何かを語り合ったという記憶はない。サーキットで会っても軽く挨拶をするのが常で、立ち話にさえ長い時間を費やすことはなかった。これは恐らく我々があうんのうちにお互いを理解し合っていたからだと、今になって思う。私は彼の、彼は私の領域に踏み込まないように、それでいてお互いの存在を認め合う。考えてみると我々は二卵性双生児だったのかもしれない(そんなこたぁない、と彼は言うだろうけど)。
彼の功績に関してはここでは触れない。すでに多くのメディアが取り上げているし、彼のファンにはいまさらそんな必要はないと思うからだ。今私は、彼と交わした短い挨拶に込められたお互いの気持ちを再確認しようと思っている。
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