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美しきF1マシン:まるで戦闘機。美しくも苦戦した、フェラーリF92A

フェラーリが1992年シーズンに登場させたF92A。まるでジェット戦闘機のようなフォルムは実に美しかったが、それが好成績に繋がることはなかった。

Jean Alesi, Ferrari F92A
Jean Alesi, Ferrari F92A
Jean Alesi, Ferrari F92A
Jean Alesi, Ferrari F92A
Jean Alesi, Ferrari F92A
Ivan Capelli, Ferrari F92A
Jean Alesi's Ferrari F92A
Engine and rear suspension detail in a Ferrari F92A
A Ferrari mechanic works on the back end of a stripped down Ferrari F92A
Nigel Mansell, Williams FW14B Renault, leads Riccardo Patrese, Williams FW14B Renault, Jean Alesi, Ferrari F92A, Ayrton Senna, McLaren MP4-7A Honda, Michael Schumacher, Benetton B192 Ford, Ivan Capelli, Ferrari F92A, Gerhard Berger, McLaren MP4-7A Honda, and Karl Wendlinger, March CG911 Ilmor, at the start
Michael Schumacher,  Benetton B192  and Jean Alesi, Ferrari F92A
Jean Alesi, Ferrari F92A, recovers from a spin
Ivan Capelli, Ferrari F92AT
Jean Alesi, Ferrari F92A
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 速いマシンは美しいとよく言われる。しかし美しいマシンが速いとは限らない。その代表的な一例が、1992年のフェラーリF1、F92Aである。

 前年1991年シーズン、アラン・プロストとジャン・アレジというコンビを擁しながら1986年以来の未勝利となってしまったフェラーリ。シーズン終盤にはチームとプロストの確執が生じ、プロストはシーズン終了を待たずにチームを離脱してしまうという事態となった。

 そして迎えた1992年シーズン。残留のアレジのチームメイトとして迎え入れられたのは、レイトンハウスで表彰台を獲得するなど活躍したイワン・カペリだった。カペリはフェラーリにとって、久々のイタリア人レギュラードライバーであり、大きな期待が集まった。

 そのフェラーリが1992年用に開発したのがF92Aだ。このF92Aはスティーブ・ニコルズとジャン-クロード・ミジョーが開発を手掛けた1台。実に意欲的なマシンだと言えた。

 ノーズは前年モデルの643よりもさらにハイノーズ化が進み、フロントウイングはその先端に吊り下げられるようになった。サイドポンツーンは、開口部が前方に突き出すような独特形状となり、その姿はまるでジェット戦闘機のようだった。これは、乱れることが多い車体中心部から、サイドポンツーンをできるだけ離そうとした処理であり、空気力学的には理に適った方法だった。

 またこのサイドポンツーンはフロアから持ち上げられ、その間に隙間が設けられた。この隙間には乱れの少ない空気が流れるが、これによりフロア下の気流と、マシン上面の気流を分離。ディフューザーで効果的にダウンフォースを生み出そうとしたのだ。

 そういう意味でフェラーリF92Aは、空力コンセプトという点で言えば非常に優れたマシンだったのかもしれない。しかし、その効果を十分に発揮することはできなかった。

 その元凶の一番手とも言えるのが、フェラーリの”御家騒動”だ。F92Aを開発したミジョーは、シーズン早々に離脱。複雑な空力コンセプトを持っていたF92Aを熟成させるためには、それを考案したミジョーの頭脳が欠かせなかったのだ。後にハーベイ・ポストレスウェイトがフェラーリ入りし、F92Aの改良を試みるも、功を奏すことはなかった。

 また、最大の武器とも言えるダブルフロアも、マシンの戦闘力の足を引っ張ることになった。

 ダブルフロアを実現するために、サイドポンツーンを持ち上げた……このことにより、マシンの重心を引き上げることになってしまったのだ。近代のF1では、重心を下げるというのは鉄則。F92Aはこの部分で大きな足かせとなってしまったのだ。

 さらにフロアの剛性不足という問題もあったと言われる。フロアは通常、サイドポンツーンと一体化している。しかしカーボンの板1枚では、強大なダウンフォースが発生した際に、フロアがたわんでしまうのだ。これにより、ダウンフォースを生むどころか、ドラッグを増すことになってしまった。

 新開発のV12エンジンも、軽量化を目指したあまり剛性が不足。ギヤボックスの精度も悪く、V12のメリットを活かすことができなかった。

 そんなマシンを駆るアレジとカペリも、シーズンを通して苦しんだ。大雨となったスペインGPでは、アレジが水を得た魚のように走り、何度もスピンしながらも3位入賞。カナダでもアレジが3位に入った。しかし、表彰台はその2回だけ。カペリは入賞わずか2回だけという結果であり、最終戦を待たずしてチームを離れることになった。

 なおシーズン後半にはギヤボックスを横置きにしたF92ATに進化。アクティブサスペンションも搭載した。しかし戦闘力向上には至らず、カペリの後任として28号車のステアリングを握ったニコラ・ラリーニは、日本GPでデビュー1年目の片山右京(ヴェンチュリ・ランボルギーニ)にオーバーテイクされてしまった。

 こんな風に期待外れのシーズンに終わった1992年のフェラーリ。翌93年も未勝利に終わり、久々の勝利を手にするのは、1994年のドイツGP(ゲルハルト・ベルガー)まで待たねばならなかった。

 ただF92Aのコンセプトが完全に間違っていたわけではなさそうだ。このF92Aの登場から約20年後、2011年に登場したトロロッソのマシンは、サイドポンツーンの下部が急激に抉れており、F92Aのダブルフロアのようになっていた。そういう意味でF92Aは、登場するのが早すぎた……ということなのかもしれない。

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