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美しきF1マシン:「速いが脆い……鈴木亜久里、予選トップ10常連に」フットワークFA14

1993年のF1シーズンを走ったフットワークFA14。アクティブサスペンションを搭載したこのマシンは高い戦闘力を発揮し、鈴木亜久里は予選トップ10入りの常連に。しかしその速さが、決勝結果に繋がることはなかった。

Aguri Suzuki,  Footwork Mugen-Honda FA14
Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen Honda
Aguri Suzuki, Footwork Mugen-Honda FA14
Gil de Ferran, tests the Footwork FA14
Aguri Suzuki, Footwork Mugen Honda FA14 spins
Derek Warwick, Footwork Mugen Honda FA14
Jos Verstappen, Footwork Arrows FA14
Derek Warwick, Footwork FA14 Mugen-Honda
Derek Warwick, Footwork FA14 Mugen-Honda
Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen-Honda
Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen-Honda
Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen-Honda
Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen-Honda
 Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen-Honda
Ayrton Senna, McLaren MP4-8 Ford, leads Aguri Suzuki, Footwork FA14 Mugen-Honda, Derek Warwick, Footwork FA14 Mugen-Honda, and J. J. Lehto, Sauber C12
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 鈴木亜久里のF1ベストシーズンと言えば、多くの人が1990年だと言うだろう。ローラLC90を駆り、入賞3回。日本GPでの3位は、日本人ドライバーとして初のF1表彰台という快挙だった。

 ただ中には、1993年こそ鈴木亜久里にとってのF1ベストシーズンだったのではないかと考える人もいるだろう。同年の相棒となったマシンは、フットワークFA14だった。

 このFA14は無限ホンダのV10エンジン(MF-351HB)を搭載。アラン・ジェンキンスが手掛けた1台で、第3戦ヨーロッパGPでデビューした。このマシンを鈴木と、同年からチームに加入したベテラン、デレック・ワーウィックがドライブしたのだ。

 当初の成績は、特に目を見張るようなモノではない。ワーウィックも鈴木も、予選順位は20番手前後。中団グループの後方というポジションであったことは否めなかった。

 ただし、ある時から状況が一変する。第9戦イギリスGPである。ふたりの予選順位は一気に改善し、ワーウィックが8番手、鈴木が10番手と好グリッドを手にしたのだ。しかもワーウィックはこのグランプリで、シーズン初となる6位入賞を果たしている。

 実はこのイギリスGPから、FA14にアクティブサスペンションが搭載されたのだ。

 当時のF1はハイテクデバイス全盛期。このアクティブサスペンションやセミオートマチック・トランスミッション、トラクションコントロール、アンチロック・ブレーキシステムなど、様々な電子デバイスが各チームによって開発された。その出来不出来が、チームの成績を左右したと言っても過言ではない。

 そのハイテクデバイスを昇華させ、当時完璧なまでの強さを誇ったのがウイリアムズ。1992年にはシーズンを席巻し、1993年にも強さを誇った。しかし他チームがハイテクデバイスを熟成させると、その差は徐々に縮まっていった。

 そのうちのひとつ、マクラーレン製のアクティブサスペンションが、フットワークに供給され、それが抜群の効果を上げたのだ。

 その速さはイギリスGP以降全レースにわたって続いた。ワーウィックは、最終戦こそ予選17番手だったものの、それ意外は7〜11番手とトップチームに次ぐ位置を常にキープ。鈴木も第14戦ポルトガルGP以外は全てトップ10圏内。第12戦ベルギーGPでは6番グリッドを獲得し、アイルトン・セナの横にマシンを並べてみせた。

 毎レース安定して上位グリッドにつける鈴木の姿に、1990年日本GPでの3位と同等、またはそれ以上の成績を残すことに対する期待感が膨らんでいった。

 しかし、ワーウィックがハンガリーGPで4位になったことはあったものの、その速さが決勝結果に安定して繋がることはなかった。結局ワーウィックは入賞わずか2回。鈴木に至っては第9戦イギリスGPから第15戦日本GPまで、7戦連続リタイアだった。

 この原因は、マシンの信頼性不足。特にセミオートマチック・トランスミッションのトラブルが頻発していたため、リタイアを積み重ねることになってしまったのだ。速いが脆い……フットワークFA14は、そんな1台だったと言うことができよう。

 ちなみにフットワークは日本の運送企業であり、1990年にアロウズを買収。1991年からチーム名もフットワークとなった。しかし本業の業績悪化により、1993年限りでチームを売却。1997年からは再びアロウズと名を変え、2002年までF1活動を行なった。

 なおこの最終年に使われたA23のモノコックを流用したマシンを使い、2006年からあるチームがF1に参戦した。その名もスーパーアグリ。鈴木亜久里が代表を務めたチームである。

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