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ニキ・ラウダ1949-2019 その栄光の経歴

5月20日(月)に70歳で亡くなった、ニキ・ラウダの経歴

Podium: race winner Niki Lauda

Jean-Philippe Legrand

 ニキ・ラウダが、5月20日(月)に亡くなったことが分かった。享年70歳だった。

 ラウダは1971年のオーストリアGPでマーチからF1デビュー。この年は1戦限りの参戦だったが、翌1972年からフル参戦。しかし、初入賞はBRMに移籍した1973年のベルギーGPまで待たねばならなかった。

 1974年にフェラーリに加入すると、その初戦アルゼンチンGPで2位に入り、F1での初表彰台を記録。第4戦スペインGPでは、初優勝を遂げた。なおこの初優勝はポールポジションとファステストラップも記録する”ハットトリック”であった。

 同年は2勝を挙げるも、シーズン後半に5戦連続リタイアがありランキング4位に終わったが、1975年にはフェラーリ312Tを駆って5勝。初のチャンピオンに輝いた。

 1976年には開幕2連勝を果たすなど、第7戦スウェーデンGPまで全戦表彰台を獲得する。しかしドイツGPでは大クラッシュを喫して炎に包まれ、全身大火傷。瀕死の重傷を負い入院を余儀なくされる。ただ、不屈の闘志で僅か2戦を欠場しただけでレースに復帰。マクラーレンのジェームス・ハントとタイトルを争った。

 この年の最終戦は日本の富士スピードウェイで初開催された”F1イン・ジャパン”。しかし大雨に見舞われたため、ラウダはわずか2周で”自主”リタイア。ハントにタイトルを奪われることとなった。

 ラウダとハントの戦いは、日本でも2014年に公開された映画『ラッシュ/プライドと友情』でも克明に描かれている。

 翌77年にはタイトルを奪還するも、78年からばブラバムに移籍。ブラバムでは2年走ったが、カナダGPのフリー走行中に急遽引退を表明した。

 その後ラウダは、オーストリアでチャーター航空機の事業立ち上げに従事し、F1の世界からは離れる。

 しかし1982年にマクラーレンからF1復帰。1984年には自身3度目となるチャンピオンに輝いた。

 1985年限りでF1から2度目の引退。その後は1990年代にフェラーリのコンサルティング・マネージャーを務め、その後ジャガーF1チームの代表を2001〜2002年にかけて務めた。

 2012年からはメルセデスのF1チームのノン・エクゼクティブ・チェアマンを務め、チームに帯同。現在の最強チームを形作る上での、重要人物のひとりだった。

タイトル獲得数:3回(1975、1977、1984)
優勝:25回
ポールポジション:24回
ファステストラップ:24回
F1デビュー:1971年オーストリアGP
F1初勝利:1974年スペインGP

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