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美しきF1マシン:「フル参戦1年目の中嶋悟&アイルトン・セナの相棒」ロータス99T・ホンダ

角田裕毅が、2021年からF1にフル参戦を果たす。その先駆者たる中嶋悟が1987年に走らせたのが、ロータス99T。このマシンは若きアイルトン・セナもドライブし2勝を挙げた。

Satoru Nakajima, Team Lotus Honda 99T
Satoru Nakajima, Team Lotus Honda 99T
Ayrton Senna, Lotus 99t
Ayrton Senna, Lotus 99t
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T takes the checkered flag
Ayrton Senna, Team Lotus Honda 99T
Satoru Nakajima, Lotus 99t, Ayrton Senna, Lotus 99t
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 2021年、F1に日本人ドライバーが帰ってくる。角田裕毅である。角田は2014年の小林可夢偉(当時ケータハム)以来、日本人として実に7年ぶりのF1参戦ということになる。

 日本人ドライバーが初めてF1世界選手権のレースにエントリーしたのは、1975年イギリスGPのこと。鮒子田寛がマキF101Cに乗り、F1の世界に挑んだのだ。しかし予選落ちに終わり決勝出走は叶わず、その後オランダGPにも挑んだが、やはり予選落ちだった。

 日本人が決勝に出走したのは、鮒子田の挑戦から1年後、F1日本初開催となったF1世界選手権イン・ジャパン(富士スピードウェイ)でのことだった。このレースには4人の日本人ドライバーがスポット参戦し、うち高原敬武(サーティース)、星野一義(ティレル/ヒーローズ)、長谷見昌弘(コジマ)の3人が決勝に駒を進めた。このうち高原が9位、長谷見が11位と完走しているが、3人はいずれもウエットコンディションの中、海外のレギュラードライバーたちの度肝を抜く走りを披露してみせたのだった。

 翌年同じく富士で行なわれた日本GPにも、星野と高原に加えて高橋国光(ティレル/メイリツ)が挑んだが、それを最後にしばらくの間、日本人ドライバーのF1挑戦が実現することはなかった。

 しかし1987年、ひとりの日本人ドライバーがF1のレギュラーシートを手にした。中嶋悟は前年まで全日本F2選手権を3連覇。さらに1986年には国際F3000に全日本F2と並行してフル参戦し、1年目ながらランキング10位となった。この成績により、F1のシートを手にしたわけだ。

 中嶋が加入したのは、ロータス。しかもチームメイトは、当時新進気鋭のアイルトン・セナだった。

 メインスポンサーであるキャメルのカラーである黄色を纏った同年の愛車ロータス99Tには、当時ウイリアムズにも搭載されていたホンダV6ターボが積まれ、最新技術であるアクティブサスペンションも採用されていた。

 ただそのアクティブサスペンションは、まだまだ熟成前の段階。当時使われていたコンピュータでは計算処理が追いつかないということもあり、トラブルが相次いだ。しかしマシンには速さがあり、セナは2勝を含む8回の表彰台を獲得。中嶋も表彰台獲得こそ叶わなかったが、イギリスGPの4位を含む4回の入賞を果たした。開幕戦ブラジルGPの7位は、日本人ドライバーのデビュー戦としては最上位である。また、中嶋が4位に入ったイギリスGPは、ホンダ勢が1-2-3-4位を独占したレースとして、あまりにも有名である。

 ただこの年限りでロータスは、アクティブサスペンションの使用を一旦断念。翌1988年にはパッシブサスペンションの100Tを投入する。中嶋のチームメイトは、セナに代わり1987年王者のネルソン・ピケになった。しかしそのピケを持ってしてもシーズンを通して苦戦し、3位表彰台3回を記録するのが精一杯。中嶋も開幕戦の6位のみの、入賞1回に終わった(とはいえ10位までが入賞という現在の条件に置き換えれば、入賞7回/33ポイント獲得という形にはなる)。同じホンダV6ターボを使い、16戦15勝という大記録を達成したマクラーレンMP4/4とは対照的な結果だった。

 話を1987年に戻せば、日本人ドライバーのデビューイヤーでいえば、最も成功したシーズンだったと言えるだろう。中嶋はF1を目指した理由を「自動車の運転の理想を試す場所」だったからだと以前語っていた。そして当時の日本の”F1バブル”とも言える時代を牽引する一員として、1991年まで活躍した。

 そして今季、角田がF1デビューを迎える。角田は、中嶋が校長を務めていた鈴鹿サーキット・レーシングスクール(SRS)の卒業生。そして「僕には誰よりも速く走りたいという思いがある」と語っていたことがある。その言葉は、中嶋が「運転の理想」と語ったことと、相通ずるようにも感じられる。

 

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