F1スポンサー界の伝説、ジョン・ホーガンが1月上旬に死去

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F1スポンサー界の伝説、ジョン・ホーガンが1月上旬に死去
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F1のスポンサーシップとマーケティングのパイオニアであるジョン・ホーガンが、今月はじめに新型コロナウイルス感染症により亡くなった。76歳だった。

 F1のスポンサーシップおよびマーケティングのパイオニアであり、フィリップモリスをF1に定着させた人物として知られるジョン・ホーガンが、新型コロナウイルス感染症により今月初めに亡くなった。76歳だった。

 ホーガンはF1にスポンサーシップという概念が持ち込まれたばかりの頃から活躍した人物である。

 幼少期からモータースポーツに親しんできたホーガンは、60年代後半に広告業界での仕事をスタート。コカコーラとの関係を構築し、当時F3のドライバーだったジェームス・ハントやゲリー・ビレルらを小額ながら支援した。そしてその後、ロン・デニスとニール・トランドルが運営するロンデルF2チームをサポートした。

 1973年にはフィリップ・モリスに参加。当時同社はすでに、タバコブランド”マールボロ”を用いてBRMのスポンサーを務めていた。しかし1974年、エマーソン・フィッティパルディが加入することになったマクラーレンに”移籍”。これはホーガンが主導したことだった。

 フィッティパルディはその74年にドライバーズタイトルを獲得。マールボロとマクラーレンの関係は、絶好の形でスタートした。

 しかしフィッティパルディは、75年限りでマクラーレンを離れ、コパスカーに移籍。ホーガンは旧友であるハントをマクラーレンに推薦した。そして1976年のタイトル獲得につながることになった。

 70年代後半、マクラーレンは進路を見失い、3年連続未勝利という暗黒の時代を迎えることになった。これを救ったのも、ある意味ホーガンだと言える。ホーガンはデニスに声をかけ、彼が運営する”プロジェクト4”とマクラーレンが統合。マクラーレンはデニス体制に移行していった。

 そしてカーボンファイバー製モノコックを初めて採用した”MP4”が1981年に登場。ジョン・ワトソンがイギリスGPで勝利すると、チームは再びトップチームの一員へと返り咲くことになった。そしてアラン・プロスト&アイルトン・セナの体制となり、最強チームに……黄金期を迎える。

 マールボロはマクラーレンをサポートするのと平行して、フェラーリとの関係も強化。1996年限りでマクラーレンとの関係を解消し、以後はフェラーリのメインスポンサーとなった。その後、ミハエル・シューマッハーを擁した跳ね馬は最強時代を送ることになった。

 ただ最強チームをサポートしただけではない。マールボロは、最盛期には数多くの若手ドライバーをサポート。マシンに赤白のロゴを掲出せずとも、レーシングスーツの胸の部分にワッペンを掲げるドライバーが、当時は数多くいたものだ。それはあたかも、現代のレッドブルのような存在だったと言えよう。

 ホーガンは2002年にフィリップ・モリスを去り、ジャガーF1のスポーティングディレクターを務めた。彼の存在は、他のチームのスポンサー担当にも大きな影響を与えることになったが、ジャガーF1自体が混乱期にあったこともあり、すぐにチームを離れることになった。

 その後、現在マクラーレンのCEOを務めるザク・ブラウンの会社”JMIマーケティング”で相談役を務めるなどした。

 ブラウンはホーガンの死去に際し、次のようにSNSに投稿している。

「新型コロナウイルスと勇敢に戦った後亡くなったジョン・ホーガンに対し、深く追悼の意を表する。ジョンは紳士であり、パイオニアであり、モータースポーツとF1の伝説的な存在だった。個人的なレベルでは、彼は素晴らしい指導者であり、友人だったんだ」

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シリーズ F1
執筆者 Adam Cooper