カルロス・ロイテマン、79歳で亡くなる。F1で12勝、1981年にランキング2位を獲得したアルゼンチンの英雄
1981年のF1世界選手権でランキング2位を獲得したカルロス・ロイテマンが亡くなった。79歳だった。
1970年代から1980年代初頭にかけてF1で活躍し、1981年にはネルソン・ピケと最終戦までもつれるタイトル争いを展開しランキング2位になったことで知られるカルロス・ロイテマンが、7月7日に亡くなったことを、娘が認めた。79歳だった。
ロイテマンは、F1の競争が最も激しかった時代のひとつだとされる1970年代から80年代前半にかけて活躍。フォークランド紛争の影響で1982年に引退するまで146レースに出走した。ブラバム、フェラーリ、ロータス、ウイリアムズと名門チームを渡り歩き、12勝と6回のポールポジションを記録した。1981年はネルソン・ピケとタイトル争いを繰り広げたが、最終戦でネルソン・ピケに逆転されて1ポイント差でチャンピオンを逃した。
上位6人にしかポイントが与えられない時代に46回の表彰台、6回のポールポジション、6回のファステストラップ、22回のフロントロウ、66回のポイント獲得など活躍した。
引退後は政治家に転身。2003年からはアルゼンチンの上院議員を務めている。また地元のサンタフェ州では州知事を2期務めたほか、アルゼンチン大統領選への出馬も打診されたことがあるが、本人が辞退した。
ロイテマンは、1950年代に5度のワールドチャンピオンに輝いたファン・マヌエル・ファンジオに次いで、アルゼンチンで最も成功したドライバーであった。
Carlos Reutemann, Brabham BT44B
Photo by: David Phipps
ロイテマンは5月初め、消化器系の出血を起こしたことにより地元サンタフェの病院に搬送された。また、その4日後は新たな内出血を起こすなど病状が悪化したと伝えられ、170km離れたロサリオの病院に転院。集中治療室に運ばれていた。
しかし病状は徐々に回復していき、5月16日(日)には集中治療室から一般病棟に移されたことが明らかとなっていた。その後さらに6日間の経過観察が行なわれた結果、入院から17日が経った21日にロイテマンは無事退院することができた。
ところがここ数日で病状が急速に悪化。サンタフェにあるヘルスセンターの集中治療室に入院していたという。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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