戦いはスタート前から始まっている! グリッド上で起きたハプニング集

F1では各車が所定のスターティンググリッドに付き、停止状態から発進するスタンディングスタートが採用されている。今回はそんなグリッド上で起きたハプニングをいくつか振り返っていく。

戦いはスタート前から始まっている! グリッド上で起きたハプニング集

■1979年アメリカ西GP

■1979年アメリカ西GP
1/9

写真:: LAT Images

 ロングビーチ市街地コースで行なわれた1979年のアメリカ西GP。このレースでは、スターティンググリッドがピットロード及びフィニッシュラインのあるメインストレートではなく、バックストレート上に構えられていた。こういった特殊な状況もあってか、ポールポジションのジル・ビルヌーブ(フェラーリ)は所定のグリッドをウィービングをしながら通り過ぎてしまった。

 それを見た4番グリッドのパトリック・デュパイエ(リジェ)はビルヌーブに追い付き合図を送ったが、一部のマシンはレースがスタートしたと勘違いし、ジャック・ラフィー(リジェ)は他車に追突されマシンを降りるなど混乱が生じた。

 結果的にスタートは仕切り直しに。ラフィーはスペアカーに乗り換えピットレーンからスタートすることができた。また、混乱の元凶となったビルヌーブはポールポジションから再スタートすることを許され、結果的にこのレースを完勝している。

■1981年ベルギーGP

■1981年ベルギーGP
2/9

写真:: LAT Images

 ゾルダーで行なわれた1981年のベルギーGPの週末では、悲劇的な事故が2度も起こった。金曜のプラクティスではカルロス・ロイテマン(ウイリアムズ)がピットロードでオゼッラのメカニックを跳ねてしまうというアクシデントが発生。このメカニックは重傷を負い、レース後の月曜に亡くなった。

 当時のピットロードは狭く、速度制限もなく、多くのスタッフが横切るという危険な状態だった。数人のドライバーはピットロードの安全性向上を訴える抗議の一環として、決勝のスターティンググリッドにつかなかった。しかしながら、主催者側はフォーメーションラップをスタートさせた。

 そんな混乱の中、フォーメーションラップの隊列もバラバラ。数台のマシンが一部のマシンの帰りをグリッド上で待つという状況となった。2番グリッドのネルソン・ピケ(ウイリアムズ)が停車しているマシンたちをかき分けながら、ようやく所定の位置に着こうとする頃、待ちかねていた4番グリッドのリカルド・パトレーゼ(アロウズ)はエンジンがオーバーヒートしてしまい、手を大きく振ってジェスチャーした。そこで彼のメカニックがエンジンを再始動させようとコースに入ったが、あろうことかそこでレースはスタートしてしまった。

 何台かのマシンはパトレーゼ車の後部にいるメカニックを間一髪で避けたが、チームメイトであるジークフリート・ストールは避けきれず、パトレーゼ車の後部に突っ込んでしまった。メカニックは脚を骨折する重傷を負ったが、幸い命に別条はなかった。

 この事故により、メカニックはレース開始の15秒前からグリッド上に入れなくなった。

■1982年アメリカ西GP

■1982年アメリカ西GP
3/9

写真:: LAT Images

 1979年に続き、ロングビーチではまたしてもグリッド上で混乱があった。前述の通り各ドライバーはメインストレートを出発し、バックストレートにあるスターティンググリッドに整列するが、ロータスのエリオ・デ・アンジェリスは手違いもあってか間違ったグリッドに停車してしまった。

 デ・アンジェリスはすぐに間違いに気付き、リバースギヤに入れてバックしたが、後ろにいたチームメイトのナイジェル・マンセルと接触してしまった。マンセルはデ・アンジェリスがさらにバックしてくると思いギヤをリバースに入れたが、そこでスタートライトが青に変わってしまった。マンセルはレーススタートをバックで迎えるという、何とも不名誉な記録を残すこととなった。

■1984年オーストリアGP

■1984年オーストリアGP
4/9

写真:: Sutton Images

 エステライヒリンク(現レッドブルリンク)で行なわれた1984年のオーストリアGPはF1世界選手権の400レース目だったが、スタートライトの点灯ミスにより締まらないレースとなってしまった。

 ライトは赤から一瞬緑に変わり、また赤に変わった。多くのマシンはスタートを切ったが、奇数グリッドのエリオ・デ・アンジェリス(ロータス)、パトリック・タンベイ(ルノー)、テオ・ファビ(ブラバム)らはもたつき、混乱が生じた。結果的に赤旗が掲示され、スタートはやり直しに。再開後のレースではニキ・ラウダ(マクラーレン)が地元GPを勝利で飾った。

■1987年オーストリアGP

■1987年オーストリアGP
5/9

写真:: Sutton Images

 1984年のオーストリアGPでは2度スタートが切られたが、1987年のレースでは3度スタートが切られた。まず1回目のスタートではザクスピードのマーティン・ブランドルがクラッシュしたことで数台がその煽りを食った。これでレースは仕切り直しとなったが、2度目のスタートではナイジェル・マンセル(ウイリアムズ)がクラッチのトラブルにより失速。当時のエステライヒリンクはコース幅が狭かったこともあり、後続は行き場を失くし、結果的に12台ものマシンが絡む多重クラッシュへと繋がった。

 3度目のスタートは当初の予定より2時間も遅れる形となったが、各チームはその間マシンを修復したり、スペアカーを用意するなどして対応した。クラッシュのきっかけを作ったマンセルは、再開後のレースでちゃっかり優勝。その後、表彰台に向かう途中に橋桁に頭をぶつけるという“天罰”が下ろうとは、本人は知るよしもなかった。

■1988年ポルトガルGP

■1988年ポルトガルGP
6/9

写真:: Sutton Images

 1988年のポルトガルGPも、2度スタートがやり直しとなった。1回目はアンドレア・デ・チェザリス(リアル)のエンジンストールによって、2回目はこれまたストールしたデレック・ワーウィック(アロウズ)のマシンにルイス・ペレス-サラ(ミナルディ)が突っ込んだことで仕切り直しとなった。

 3度目のスタートでは、2番グリッドのアイルトン・セナ(マクラーレン)がポールポジションのチームメイト、アラン・プロストの牽制を交わしてトップに立った。2周目のメインストレートではプロストが反撃に出るが、セナは激しく幅寄せして彼をピットウォールに追いやった。レースは最終的にプロストが勝利し、セナはトラブルにより6位に終わったが、両者の間に遺恨を残すレースとなった。

 なお、トラブルを抱えたセナを交わして2位表彰台を獲得したのはマーチのイバン・カペリだったが、この年最強を誇ったマクラーレン・ホンダがコース上でパスされたのはこの第13戦ポルトガルGPが初めてのことだった。

■1998年日本GP

■1998年日本GP
7/9

写真:: LAT Images

 ミカ・ハッキネン(マクラーレン)とミハエル・シューマッハー(フェラーリ)による1998年シーズンのタイトル争いは、最終戦日本GPまでもつれた。逆転タイトルには2位以上が絶対条件のシューマッハーは予選でポールポジションを獲得。ハッキネンは2番手につけ、因縁のライバルがフロントロウで相見えることとなった。

 自身が優勝し、ハッキネンが3位以下ならチャンピオンのシューマッハー。しかしフォーメーションラップを終えスタートを待つ間に、エンジンをストールさせてしまった。これでスタートは仕切り直しとなり、2度目のフォーメーションラップで最後尾に回されるシューマッハー。この瞬間、彼のフェラーリでの初タイトルの野望は実質的に潰えてしまった。(シューマッハーはその後3番手まで追い上げるも、タイヤバーストによりリタイア)

■2001年ブラジルGP

■2001年ブラジルGP
8/9

写真:: LAT Images

 セーフティカーの登場により、スタート時のエンジンストールによって赤旗が掲示されるケースは少なくなった。そのひとつの例が2001年のブラジルGPである。スタートでミカ・ハッキネン(マクラーレン)のマシンがストールして立ち往生したが、短時間のセーフティカー出動によって対処。再開直後のターン1では、ルーキーのファン・パブロ・モントーヤ(ウイリアムズ)がミハエル・シューマッハー(フェラーリ)を半ば強引にパスするという有名なシーンが生まれた。

■2015年イタリアGP

■2015年イタリアGP
9/9
 技術の発展や信頼性の向上により、近年はグリッド上でのエンジンストールはほとんど見られなくなった。2015年のイタリアGPでは、チームの母国レースでフロントロウを獲得していたキミ・ライコネン(フェラーリ)がスタート時にアンチストールに入ってしまい失速。しかしゆっくりと発進することができ、最後尾で隊列に加わった。

 F1がハイブリッド時代となったことで、ドライバーにはエンジン再始動のための多くのオプションが生まれた。2016年のマレーシアGPでは、カルロス・サインツJr.(トロロッソ)がMGU-Kのシステムを利用してエンジンを再始動させた。

 このようにグリッド上で起きたハプニングをいくつか振り返ってきたが、これら9つの事例を年代順に見ていくことで、F1における技術力の進化と安全性の向上を垣間見ることができる。

 

Read Also:

 

シェア
コメント
奔放で自由人な天才、ネルソン・ピケのF1キャリアを振り返る

前の記事

奔放で自由人な天才、ネルソン・ピケのF1キャリアを振り返る

次の記事

ウイリアムズF1、施設や歴代マシンを担保に新規融資を確保

ウイリアムズF1、施設や歴代マシンを担保に新規融資を確保
コメントを読み込む