最大の敵は”涙”だった? 天才ジャン・アレジ、F1唯一の勝利:1995年カナダGP
1989年に彗星のごとくF1デビューを果たしたジャン・アレジ。非力なティレルでアイルトン・セナを脅かすなど、数々の印象的なシーンを生み出した。しかし結局彼のF1での勝利は、わずかひとつ限りだった。
1995年のF1カナダGPを制したのは、フェラーリのジャン・アレジだった。カーナンバーは27。同グランプリの開催地は”サーキット・ジル・ビルヌーブ”であり、27と言えばジル・ビルヌーブが現役時代につけていたナンバー。その奇遇な関係性に、世界中のファンが熱狂した。
一方でアレジにとっては、ようやくの初勝利。それまで、度々手をかけつつも手が届かなかった表彰台の中央を、ついに手に入れることになった。しかも、その日は彼の誕生日(6月11日)でもあった。
ただ彼のキャリア同様、1995年のカナダGPは、簡単なレースではなかった。挑戦的な出来事があり、不満が募る部分があり、さらに感情的な起伏が激しいレースだった……しかし、最終的には良い思い出となったのだ。
残り10周という時、先頭を走っていたミハエル・シューマッハー(ベネトン)がギヤボックストラブルにより緊急ピットイン。これによりアレジが先頭に立ち、地元のファンは興奮した。アレジは当初、何が起きているのか分からなかったという。
「ファンはコースのすごく近いところにいた。そしてそれが起きた時、グランドスタンドで多くの動きが起きているのを見たんだ」
アレジは当時のことを、motorsport.comの独占インタビューでそう答えた。
Jean Alesi, Ferrari 412T2
Photo by: Motorsport Images
「ヘアピンからピット前に戻るまでに、大きなTVモニターがあった。僕はその画面を見たんだけど、何が映っているかまでは確認できなかった。だから何が起きているのか本当に分からなかったんだ」
「その後でピット前を通過した時、メカニックはサインボードのポジションの表示を変える時間がなかった。だから僕はまだ2番手と表示されたままだった。それで僕は『オーケー! 何も変わらない』と思ったんだ。僕はプッシュし続けた。そして僕は観衆と、彼らが振る旗などを見ていた。僕の周りには、本当に大きな、大きな動きがあったんだ」
「次のピットの前を通り過ぎた時、”1番手”という表示を見た。その瞬間から僕は感動してしまい、涙が止まらなかった。それを抑えることができなかったんだ」
「ターン1に向けてブレーキングをした時、目には涙が溢れていたから、正しいラインを維持するのは簡単じゃなかった。その後、そのことについて自分自身に腹を立てたんだ。でもゆっくり、ゆっくりと、今日は僕の日なのかもしれないということを理解し始めた」
確かにその日は、アレジの成功を保証するような展開ではなかった。朝のウォームアップではトップタイムだったアレジ。しかし当時の路面は濡れていた。アレジはレースもウエットコンディションで行なわれることを望んでいたものの、その願いは叶えられなかった。
1周目には、チームメイトのゲルハルト・ベルガーを抜こうとしたが、彼の前を行くデビッド・クルサード(ウイリアムズ)がスピンし、それに巻き込まれそうになった。
「当時の僕らは、日曜日の朝にウォームアップ走行を行なうことができた。そしてそのウォームアップは完全にウエットコンディションだったので、レインタイヤで走っていたのを覚えている」
レースを5番グリッドからスタートしたアレジは、そう語った。
「そのウォームアップを首位で終えた。そしてマシンはすごく良い感触だったんだ」
「ウエットでのレースになることを夢見ていた。でも、実際にはそうはならなかった。スリックタイヤでスタートしたけど、サーキットは100%ドライというわけではなかったから、滑りやすかったんだ」
「ゲルハルトをオーバーテイクしようとした時、同時にデビッドをもオーバーテイクしようとは思っていなかった。そして、彼はスピンした。大変な瞬間だったけど、僕は滑っている自分のクルマをコントロールできた。そしてすごく良いオーバーテイクに成功したんだ」
Jean Alesi, Ferrari 412T2
Photo by: Motorsport Images
ベルガーはピットに戻る途中に燃料を使い果たしてしまい、大きくタイムロスをしてしまう。この一件によりフェラーリは、燃料計算の正確性について、緊張していたという。ただアレジは結局、ガス欠の問題に見舞われることはなかったため、幸運だったとも言えるだろう。
「燃料は本当にギリギリだった」
そうアレジは回顧する。
「僕らは2ストップ戦略を採ることができ、その1回目を行なうことを決めた。でもチーム内のルールでは、先を走っていたドライバーに、いつピットインするかを決める優先権があるということだった。それは、僕にとっては幸運なことだった。僕は給油する、最高の瞬間を活かすことができたんだ」
「ゲルハルトはもう1周走り、ピットインしようとした時に失速した。彼にはもう燃料はなかったんだ」
なおアレジは、ウイニングラン中にガソリンが足りなくなり、ピットに戻ることができなかった。このことからも、燃料がギリギリだったということがよく分かる。
ギヤボックスのトラブルにより順位を下げたシューマッハーは、ステアリングを交換したことによりトラブルの修復に成功。5番手でフィニッシュした。シューマッハーはコース脇に止まったアレジを見つけると、自身のマシンに乗せ、ピットへと戻った。
「ヘアピンで止まった時、信じられなかった。ファンが僕の名前を大声で叫び、僕の勝利を本当に楽しんでくれていたんだ」
「ジル・ビルヌーブが最初に勝った時と同じサーキットで勝てたのは、とても幸運なことだった」
Jean Alesi, Ferrari 412T2, takes his first win
Photo by: Sutton Images
「全てのことが、特別な1日を作り上げたんだ。正直に言ってそれは、僕にとって盛大なパーティだった」
そうアレジは続ける。
「外に出て、友人たちとパーティをしたわけじゃないよ。でも、ファンとマイケル(シューマッハー)と共に、パーティを楽しんだんだ。彼が僕をピットまで連れて帰ってくれた時、彼にこう言ったんだ。『君に技術的な問題があったかどうかは関係ない。僕は僕の勝利を心から楽しんだよ。君はたまたま、僕にポジションを譲ることになってしまった。だから、それを楽しませてよ!』とね。すると彼は『もちろんだよ!』と言って、喜んでくれた。良い瞬間だったよ」
Jean Alesi, 1st position, celebrates his maiden Grand Prix win on the podium
Photo by: Motorsport Images
当時のアレジには知る由もないことだが、そのモントリオールでの勝利は、彼のF1での唯一の勝利となった。それ以外のチャンスは、恐ろしいほどの不運により、彼の指の間からすり抜けていった。しかしその1勝で、自分のキャリアは満足できるモノになったと、アレジは語る。
「この結果は、私がF1で苦戦したということを確認するモノだ。初期のレースから、私は優勝を目指して戦っていた。ティレルでの最初のレースで、4位だったんだ」
「そして次のシーズン、私はフル参戦し、フェニックスではアイルトン・セナと、1周目から最終ラップまで、優勝を争った。だからキャリアの中で、メカニカルトラブルのために止まってしまったり、適切に機能しないモノを手にした時には、時折イライラしていた」
「私は良い結果を手にしないまま、レースを終えなければいけないこともあった。それは、私にとっては厳しいことだった。だからモントリオールでの勝利は、心を開放してくれたようなモノだった」
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