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【特集】犬の手も借りたい? ピレリの新兵器“ワンちゃん”はどうF1、そして市販タイヤの開発に貢献しているのか

今年、グランプリ週末になるとある不思議な光景を目にすることがある。ピレリのエンジニアであるマーティン・ウォールが、不思議な形をした3輪車を押しながらコースを何キロも歩いているのだ。

Pirelli grip tester

Pirelli grip tester

Adam Cooper

 ピレリのエンジニアであるマーティン・ウォールがコースを歩く際に押している不思議な3輪車。芝刈り機とサッカーグラウンドに白線を引くラインカーをかけ合わせたような形をしている彼の道具は、グリップテスターだ。コース1周を測定しながら周り、グリップレベルを記録するために開発されたものだ。

 F1用のタイヤ開発とタイヤコンパウンド選択のモデリングを改善するために今年からピレリが導入した発明品。社内では“ワンちゃん(Doggy)”と呼ばれているが、その所以は時々”散歩”という名の測定に連れて行かなければならないからだ。

 ワンちゃんこと、この新しいグリップテスターは、7月のイギリスGPに先立ち初導入された。その後のサーキットでもデータ収集を行なっている。

 その“飼い主”であるウォールは、ウイリアムズF1やジャガー・フォーミュラEチームを経て昨年ピレリに入社した経緯を持っている。

「マーティンは、これを導入してさらにデータを集めようと提案してきた」とピレリのF1及びカーレース責任者のマリオ・イゾラは語る。

「知っての通り、我々は各サーキットでレース週末前の水曜日に路面の粗さを測定している」

「我々は既にサーキットの異なる地点を切り取ったアスファルトの3D画像みたいなモノを持っている。それとの違いは、サーキット全体の実際のグリップレベルを測定できることにある。つまり、コースを断片的に調べるのではなく、連続的に測定できるのだ。これにより、サーキットのグリップレベルをしっかり把握することができた」

「現在は、得られた測定値を路面の粗さやマシンがコース上で体験しているグリップレベルなど、他のデータと相関関係をもたせる取り組みを続けている。レースイベントごとに選択するタイヤコンパウンドとの相関関係があるかどうかを調べているんだ」

 イゾラは、新しいグリップテスターから得られるデータはすでに価値のあるモノになっていると語っている。

「我々はF1に参戦した最初の年から、レーザー機器で路面の粗さを測定してきた。今では10年から11年分のサーキットのデータベースを抱えている」

「サーキットの経年劣化を理解するのにも役立っている。開催してから次の年までの1年間に路面の再舗装をしなくても、粗さのパラメーターにミクロな変化、マクロな変化が現れ、経年劣化が起きるんだ」

「そのサーキットの使用率や夏から冬にかけての天候変化、使用されているアスファルトの種類によっても異なってくるから、良い情報を我々に与えてくれている。ただ、それは完璧じゃないんだ」

「グリップテスターから得られる重要な要素を挙げると、あるコーナーから次のコーナー、ブレーキングポイントからコーナー出口まで、ストレートでのグリップの違いだ。明らかに、コース上を走るマシンに影響を与えるからね」

「また、いくつかのコーナーではグリップレベルが低下していっていることがデータから分かる。マシンが通過することでフラットになり摩擦が少なくなっているからだが、一方ストレートではグリップレベルは高く変化していく」

「ただ、ストレート上ではグリップはあまり重要じゃないんだ。グリップが走行の制限となる場所はストレートにはないからだ」

「だから、将来的にはこうしたデータを使って、良い相関図を作っていきたいと思っている」

Pirelli Doggy, grip measurer at work

Pirelli Doggy, grip measurer at work

Photo by: Pirelli

 また、ピレリはレース週末の走行セッションを通じて路面状況が改善していく過程で、興味深い数値を得ており、将来的な予測モデルの完成に貢献しているという。

「初めてF1を開催したカタールを例に上げてみよう」とイゾラは語る。

「マーティンは、水曜日にコースでグリップレベルを測定した。他のサーキットに比べてかなり低かったね。しかしその後のフリー走行中に、路面コンディションが改善していくのを目の当たりにした。実際のコースのグリップは、我々の測定値よりも高いと感じたよ」

「そこでマーティンは、金曜日の夜に再びグリップテスターを持ってコースに出た。そうしたら、28%ものグリップレベルの上昇を確認できたんだ。たった2回のセッション、それもサポートレースもなかったことを考えると、F1マシンを2時間走らせただけなのにかなり大きな差が生まれた」

「サーキットの特徴を把握するために、こうした情報は全て重要になる。レイアウトの厳しさや路面の粗さだけじゃなく、モデリングにはその他の要素も重要になってくる。グリップにも段階があり、それをコース上で測定したモノと相関関係をもたせたいと思っている」

 この新しいグリップテスターはどのようにグリップレベルを測定しているのだろうか。カギとなるのはフロントタイヤと路面との関係性だ。

「(グリップテスターの)リヤ車軸とフロント車軸間のスリップ比は15%だ」とウォールは語る。

「フロント車軸の縦方向への負荷値から、どれくらいの入力が必要か分かるようになる。そして、抵抗力の度合いに基づいてグリップ値を算出していくんだ」

「基本的に、フロントタイヤはチェーンで繋がっていて、リヤタイヤよりも15%遅く回転している。つまりタイヤは全てチェーンで繋がっていて、タイヤごとに回転させることはできない」

「押して歩くときは、ターゲットとなるスピードを出す必要がある。大体、秒速1メートル進むことをターゲットにしている。異なるサーキットやスピードでやるよりも、年間を通じて同じスピードでやる方が良いからね」

「測定器を持って秒速1メートルで進んでいても、若干の誤差は生まれる。遅かったり速かったりすると警告音が鳴って、スピードを上げるべきか、下げるべきかを教えてくれるんだ」

 現在、測定を行なうグリップテスターのフロントタイヤに使用されているのは、特別に製造されたモノではなく、既製品であるという。

「今のところ、他メーカーが持っていた既製品のタイヤを使用している」とウォールは語る。

「このタイヤは元々、北海にあるヘリパッド用に設計されたモノで、冬場にひび割れる心配はないね」

「路面温度にあまり左右されず、かなり低いところから機能し始める。だから雨が降って寒かったサンパウロから、路面温度が35℃になったカタールへ行った時にはかなり助かったよ」

A Pirelli technician with a grip tester

A Pirelli technician with a grip tester

Photo by: Steven Tee / Motorsport Images

 本来ならばピレリは、レースに使うコンパウンドをベースとした、特製のフロントタイヤを使いたいと思っているようだ。しかし今のところは、この既製品を使っている。それはなぜなのか?

「このツールを使う前に、それについて話し合いを行なった」

 そうイゾラは語る。

「今の段階では、現在使っているタイヤのサプライヤーが設計したコンパウンドを、使う方がいいと思ったんだ。そしてこのツールは、異なるサーキットでも比較できるように、そのコンパウンドで相関関係が取られている」

「基本的にはふたつの選択肢があった。ひとつは、今使っているタイヤを採用するということ。もうひとつは平均的とも言えるC3タイヤと同じコンパウンドを使って小さいタイヤを作り、それを使うというモノだった」

「ただ、その後でサプライヤーからの基準データを得られなくなってしまった。そして今のところはその基準的なタイヤを使いたいので、我々がデータを計測して、それを我々の(F1用の)コンパウンドと相関させようとしたのだ。しかし、これは決断した後に必要となった作業だ」

 C3コンパウンドを使うことになった場合、問題となるのはその作動温度だ。レーシングタイヤは、非常に高い温度で作動するよう、コンパウンドが設計されている。それが既製品とは大きく異なる点だ。

「まさにそれがポイントなんだ」

 そうイゾラは語る。

「我々の(F1タイヤ用)コンパウンドは全て80℃以上で機能する。秒速1メートルでテスターを押しても、(タイヤの温度を)80℃に維持することはできないよ!」

「だからこそ、今ツールで使われているタイヤを使った方がいいんだ。そこからデータを後処理して、F1用コンパウンドとの相関図を作るんだ」

 また、ウォールがコース上で測定を行なう際は、できるだけ走行ラインに沿って押し歩くことが重要になる。

「我々はアウト側のタイヤにラインを合わせて歩いている。というのも、徐々にタイヤデグラデーション(性能劣化)が起こるなら、そこに変化が現れるからね。私はYouTubeにアップされているポールラップの映像を見て、ライン取りを分析している。前日の夜に見て覚え、それを実行に移すんだ」

「(F1初開催の)カタールでは、F4の映像を使ったから普段とは少し違った。だからF4がF1マシンとどう異なるかという予想を立てなくてはならなかった。F4では縁石をかなり使って走っていたが、F1マシンはエイペックスに乗ることは少なかった。先んじて動いておく必要があるものだね」

「(グリップテスターでは)縁石は対象外だ。デコボコがあるとデータは使い物にならないから、できるだけ縁石の近くを通るようにしている。できるだけ理想のラインに近づくようにね」

 グリップテスターから得られたデータはメモリーカードに記録されるが、ウォールは測定中もリアルタイムでデータを確認することができる。

「画面にはグラフが表示されている。そこでアスファルトの変化によるグリップレベルの増減を確認することができる。大洪水によって施設に被害が及んだスパ(・フランコルシャンサーキット)では、サーキットの様々な地点で修復が必要になったことがあったよね」

「コーナーによっては少し汚れているところもあり、グリップの低下が確認できた。カタールの砂と同じように、本来あるべきではないものがコース上にあるとグリップは変化するんだ」

 ウォールはグリップテスターの“散歩”の途中に起きたエピソードをいくつか語ってくれた。特にF1全体が雨に翻弄されたベルギーGPでは、ドライとウェットでのグリップレベルの違いを数値で知ることができたという。

「(ハンガリーGP決勝後の)日曜日の夕方にハンガロリンクを回った時、ブタペストではロックダウンが迫っていて、誰もが国外に出たがっていた。しかも、測定中に作業用トラックが追い越しをかけてきたり、雨が降り出しそうだったりと面白かったね!」

「あとはベルギーGPの水曜日には、スパのオールージュを半分登ったところで古いF1マシンを見つけた。ラ・ソースからレ・コームまでの間で撮影をしていて、測定を止めて誰かに迎えに来てもらう必要があったんだ」

「再び測定しようとした時には、ハンガリーGPの後に完全に充電されていなかったため、充電切れになってしまった。セクター2の最後まで周り、セクター3に差し掛かったところで止まってしまった。スパは5周くらいしたと思うけど、そのうち1回は雨の中だった」

「でも、スパは良かったよ。パラパラと雨が振っていて、霧の中で気温も低かったから乾きづらい路面状態だったからね」

「サーキットを1周回る間も、データに現れていてとても興味深かったんだ。その後にドライコンディションの中でも回った。得られた比較データは、モデリング部門に渡され、水の量によって走行中のグリップにどの変化が出るかを知ることができたんだ」

 グリップテスターが威力を発揮するのは、カタールGPのようにF1が初開催のサーキットへ向かう時だ。ただし、それはサーキット側の用意が整っている時に限る。そのため、工事が遅れている次戦サウジアラビアGPの舞台であるジェッダ市街地サーキットでは、グリップテスターを持ち込んでの事前測定を行なうことは叶わなかった。その一方で、マイアミ市街地サーキットは、来年5月のF1初開催までにはサーキットは完成していることだろう。

「それ(F1初開催前のグリップテスト)が目的なんだ」とイゾラは言う。

「サウジアラビアに関してはタイミングが遅すぎたし、今年は新型コロナウイルスのこともあり難しかった。でもマイアミが良い例になる。現地主催者とも連絡を取り合っているし、完成したらレーザー機器とグリップテスターと共にスタッフを派遣するつもりだ。そこで状況を把握して、(タイヤ)選択を調整する予定になっている」

Pirelli Doggy, grip measurer at work

Pirelli Doggy, grip measurer at work

Photo by: Pirelli

 イゾラはグリップテスターで得られた測定データを分析することで、異なるコンディションでもタイヤパフォーマンスを予測できるようになると明るい見通しを立てている。

「我々は測定データをモデリング部門に渡して、分析してもらっている」とイゾラは続ける。

「測定値と、算出されたグリップレベルには良い相関関係が見て取れると考えている」

「そして異なるコンディションを理解することが役に立つんだ。走行ラインの話を例に挙げたが、それは代表例に過ぎない。場合によっては、ある程度グリップのある走行ラインだったり、走行ラインを外れていたり、ホコリやあまり使われていなかったり、様々な要素によって全く異なるグリップになっていることがある」

「サーキットの場所によってどう変化するのか、昼間と夜とではどう異なるのか、ダンプコンディションとウェットコンディションではどう異なるのかを理解することで、他サーキットでも活用できるようになる」

「その違いはパフォーマンスに影響を及ぼすんだ。そのパフォーマンスとは、タイヤにどれだけの入力があるか、タイヤが滑るかどうかということでもある。滑ったら、(タイヤの)表面がオーバーヒートしてしまう」

「つまりオーバーヒートについて話をする時には、コースのグリップレベルが原因になるところもある。グリップテスターでの測定から得られたグリップレベルのデータと、経験で培われたコースコンディションのデータとの相関図を作ることで、少ないデータでもより完璧に近い予測モデルを立てることができる」

「理想としては、コースの路面改善が明確になるから、レース前とレース後に測定ができれば最高だね」

「当然ながら、3連戦だと(決勝レース後に)急いで全ての荷物を梱包して次の会場に移るから、いつでもそれができるワケじゃない。ただ将来的には、複数のサーキットでレース前と後に測定したいと思う。きっと良いデータが集まるはずだ」

 また、イゾラはこの測定はピレリとしても大きな意味があると語る。

「我々はモータースポーツの舞台を無制限の実験室として活用し、そのノウハウを他の目的に活かしている。だからこの分析を始めたことを私は嬉しく思っている」

「ミラノには、市販タイヤ用のシミュレーターがある。我々が使用している予測モデルでも重要視している要素のひとつが、グリップレベルだ。コンパウンドや作動温度領域などによって変化するものではあるが、同時に公道のアスファルトから得られるグリップレベルもサーキットの路面とは異なる」

「だが、サーキットで始めたデータ収集で良いアイデアを思いつけば、それを様々な種類の公道でグリップレベルを試験することができる」

「例えば、高速道路にはハイドロプレーニング現象を防ぐための特殊なアスファルトが使用されているが、我々が走るサーキットに比べるとかなり粗いものだ。市街地などで使われるアスファルトと比較して、そのグリップレベルを分析するのも面白いかもしれない。サーキットに留まる話じゃないんだ」

 イゾラがこう語るように、ピレリとしてもレーシングタイヤから市販タイヤへの技術転用を含め長期的な展望をこの通称“ワンちゃん”ことグリップテスターに見ている。サウジアラビアGPのジェッダ市街地サーキットでも、水曜日に”散歩”をするウォールはトラックウォークを行なうF1ドライバーやチームのエンジニアから好奇の目を向けられていたことだろう。

「よく『それは何?』って聞かれるんだ」と”飼い主”のウォールは言う。

「その時、我々はふざけて『サーキットの距離を測っているんだ』って答えているよ。実際、それも可能だからね!」

 
 
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