ハロを批判していたヒュルケンベルグ、”複雑な感情”抱くも有用性認める
ハロの批判を続けていたヒュルケンベルグだが自らが引き起こした大クラッシュを経て、複雑な感情を抱きながらも、その有用性を認めている。
写真:: Glenn Dunbar / Motorsport Images
コックピット保護デバイス”ハロ”が登場して以来、その見た目を酷評していたニコ・ヒュルケンベルグ(ルノー)だが、ベルギーGPでの大クラッシュを経て、複雑な感情を抱きながらもその有用性を改めて認めた。
今シーズンから導入されているハロだが、その見た目を批判する人は多く、一部のドライバーからも批判的なコメントが出ていた。
しかし先週末のベルギーGPでスタート直後に発生した大クラッシュで、フェルナンド・アロンソ(マクラーレン)のマシンが、シャルル・ルクレール(ザウバー)のマシンの上を通過。ルクレールのハロには、アロンソ車のタイヤマークがべっとりとついていた。
F2で牧野任祐と福住仁嶺がクラッシュした件も含めてハロの有用性が証明されたことで、ハロについての意見を変える者も多かった。
ブレーキングでミスをし、アロンソに追突したことで多重クラッシュを引き起こしたヒュルケンベルグは、ハロに対する意見が変わったかと尋ねられると、まだ完全には受け入れられていないと話した。
「僕はまだハロの大ファンではないと思う。でも現実に起きたことを見て、特にマシンに乗っている際の安全性という面でF1に何かをもたらしてくれるということを認めなければならない」
「だからそれについて複雑な気持ちはまだあるが、それはそれだ」
一方でヒュルケンベルグは、スパでの一件でハロの安全性が疑いようの無いものになったと述べた。
「間違いなく、とても有用で良いデバイスであることが証明されている」
「ハロについたタイヤマークがなければ、何が起こったのか推測するだけだっただろう。しかしそれを見れば、明白だ」
「そのような観点から、(ハロは)頭部を安全に保つために非常に良い仕事をしている」
ハロの外観を嫌っているのは、ケビン・マグヌッセン(ハース)も同様だ。彼もハロの効果については認めたが、見た目についてはまだ受け入れていないようだ。
「誰も怪我をしなかったことを嬉しく思っている」と、マグヌッセンは語った。
「現実に誰もが怪我はしたく無いし、誰かに傷ついてほしいわけでもない」
「だが、僕の考えは変わらない。バイクのホイールがふたつなのと同じように、ハロがないのがF1だと思っている」
「だけどもちろん、ハロが命を救ったところを見て『ハロがない方がいいのに』とは思わない。この場合、それがそこにあって良かったと思っている」
ハロがなかった場合、アロンソ車のタイヤがルクレールの頭部を直撃していたかどうかは証明されていない。しかしルクレール本人は、自分の脚でマシンを降りられたという事実によって、ハロの外観に関する議論は終わりにすべきだと考えている。
「ハロがなければどうなっていたかは分からないけど、クラッシュの写真を見てみると、言うまでもなくハロが頭の上にあって良かった」
「今や、それはF1にあって然るべきだ。見た目が良いか悪いかは関係ないし、それがこれ以上話題になるとは思わない」
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