F1を失ったサーキット:美しくも、危険すぎたモンジュイック

スペインGPの舞台が現在のカタルニア・サーキットやヘレス・サーキットになる前、同GPはモンジュイック・ストリート・サーキットで行なわれていた。このサーキットは、F1カレンダーの中でも最も恐れられたコースだった。

François Cevert, Tyrrell 006 Ford

 現在F1スペインGPの舞台となっているカタルニア・サーキットは、1992年にバルセロナ・オリンピックの準備の一環として建設された。バルセロナの市街地から約30分のところにできたこのコースは、サイクリングのタイムトライアル競技の舞台となった。しかし主な目的は、F1を開催すること。実際には1991年から、同地でF1が開催され、今に至っている。

 このオリンピックの施設の多くは、バルセロナでF1が開催されるようになるずっと前にスペインGPの舞台となっていたモンジュイックに建設された。バルセロナの街を見下ろす位置にあるこのモンジュイックは、歴史的にも重要な役割を果たし、要塞としても理想的な場所だった。

 このモンジュイックの市街地コースでは、1969年から1975年の間にハラマと交互でスペインGPを開催。合計4回レースが行なわれた。

Bruce McLaren passes the Palacio de la Agricultura, now a theatre, in the 1969 Spanish Grand Prix

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 コースは全長3.79kmと短くも、歴史ある丘を曲がりくねって進むようにレイアウトされており、素晴らしい光景となっていた。

 パドックは、古いオリンピックスタジアムに設けられた。起伏あるストレートエンドで、マシンはマジック・ファウンテンを下り、ギリシャ時代の劇場と、国立美術館の横を通り過ぎる。ポブレ・エスパニョール野外博物館の横を通過する高速セクションを抜けると、メインストレートに戻ってくる。

 このように、モンジュイックはモナコを彷彿とさせる、標高変化とキャンバーが存在する、モータースポーツの舞台としては素晴らしい場所だった。しかし、同じように危険も孕んでいた。特にコース後半の高速セクションは、市街地コースとしては速度域が速すぎた。

 さらに問題だったのは、ランオフエリアが存在しないことだ。コースの周囲には木々が林立しており、その場凌ぎのガードレールでコースと区別されていた。

Tom Pryce and Arturo Merzario battle it out past one of the 1929 World Fair sites

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 1975年のレースに先立ち、ドライバーたちは抗議することになった。彼らは、ガードレールのいくつかの部分が適切に取り付けられていないことを指摘したのだ。アメリカGP(ワトキンスグレン)では、ガードレールが緩んでいたことにより、フランソワ・セベールとヘルムート・コイニクが、1973年と74年の2年連続で死亡するという痛ましい事故が起きていた。ドライバーたちはそのことをよく覚えていたのだ。

 当時F1を統括していたFISA(国際自動車スポーツ連盟)は、主催者に対してガードレールを直すように指示した。しかしその修理も完璧なモノではなかった。金曜日の最初のフリー走行はキャンセルされ、2回目の走行にも僅かなドライバーしか出走しなかった。

 夜間に再び修理が行なわれたが、それでもドライバーたちが満足できるようなモノではなかった。マクラーレンのエマーソン・フィッティパルディは、土曜日に3周しただけでマシンを降り、サーキットを離れた。フィッティパルディは前年のチャンピオンである。しかし彼が不在でも、そして参加者の投票によって否定的な意見が出たとしても、レースが予定通り進められる時代だった。

Montjuic's hairpins and cambered turns were reminiscent of Monaco

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 決勝レースで、その不安が的中することになった。ロルフ・シュトメレンが走らせていたエンバシー・ヒルのマシンからリヤウイングが脱落してしまい、ガードレールの上を舞ってコース外に飛び出し、観客席に突っ込んでしまったのだ。この事故でカメラマンとファイアーマンを含む5人が亡くなってしまったのだ。シュトメレンも重傷を負った。

 この事故により同地でのスペインGPは終焉を迎えた。その後、同グランプリの舞台はハラマ、そしてヘレスへと移動。しかし前述のとおり、カタルニア・サーキットが完成したことにより、1991年にバルセロナ近郊へと戻ってきたのだ。

 モンジュイックはそれ以降も、カタルニアの文化の中心的な場所であり続けた。しかしモータースポーツは、ようやく正しい”場所”を見つけたのだ。

 

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