ヘルムート・マルコ、同郷ラウダの死を悼む「受け入れるのは難しい」

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ヘルムート・マルコ、同郷ラウダの死を悼む「受け入れるのは難しい」
執筆:
協力: Christian Nimmervoll
2019/05/24 0:42

レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーであるヘルムート・マルコは、友人であるニキ・ラウダの死は”非常に厳しい”モノだったと語る。

 F1で3回にわたってワールドチャンピオンに輝き、近年はメルセデスF1のノン・エクゼクティブ・チェアマンを務めてきたニキ・ラウダが、5月20日(月)の夜に亡くなった。70歳だった。

 現在レッドブルのモータースポーツ・アドバイザーを務めるヘルムート・マルコも元F1ドライバー。同郷のラウダとは、1968年頃に出会ったという。そしてその後ふたりは、レーシングドライバーとしてのキャリアを通じて、そしてドライバーを引退した後も、非常に近いところで仕事をしてきたという。

「彼の体調が良くないことを知らされていた。しかしそれでも、そのニュースがもたらされた時、大きな打撃を受けた」

 マルコはオーストリアのテレビ番組に電話インタビューとして出演した際にそう語った。

「レースの世界のキャリアを通じて、ニキは常に、私の友人だった。ドライバーとしても、そしてマネジメントの面でもだ」

「彼とはたくさんの経験を共にした。多くの行動を共にし、そして楽しいイベントも共有した。そして、今回の知らせだ……」

「これを受け入れるのは、難しいことだ。人格という面でも、ユーモアという面でも、そして率直さという面でも、今のF1には彼と同じような存在はいない」

 マルコは昨年、ウィーンの病院に入院中だったラウダを見舞ったという。その時マルコは”恐怖”を感じたというが、しかしラウダ自身は楽観的なままであり、その声は力強かったという。

 なおマルコは1972年のフランスGPでBRMのマシンをドライブしていた際、飛び石がヘルメットを貫通し、左目の視力を大きく失うという怪我を負ってレーシングドライバーとしてのキャリアを終えることになった。しかしその前にすでにフェラーリと予備的な契約を交わしていたという。そして、ラウダがフェラーリに移籍するのを、間接的に手助けしたとも語る。

「彼は最初に私のBRMのシートを、そしてその後にフェラーリのシートを私から受け継いだ」

 そうマルコは語る。

「我々は一緒にモデナに行った。彼は私に、エンツォ(フェラーリ/フェラーリの創業者)と最初の交渉をする際、私に同行するよう頼んだんだ」

「最初私は自分自身の中で、『ニキが全てを引き継ぐのは正しいことなのか?』と考えた。しかし、とにかく私は出かけて行ったんだ。そしてその後、このオーストリア人(ラウダ)がそれを引き継ぐことを大いに望んだんだ」

「羨望も敵意もない。おそらく最初は、理論的に『それを変えることができない』と考え、その後『その方が良い。それはニキだ』と気付いたのだ。それ以降、我々は常に、何らかの方法で連絡を取り合っていた」

 またマルコは、ラウダがF1を離れた後の活動についても称賛。特に1991年にラウダが運営していたラウダ航空が墜落事故を起こした際の、彼の行動を強調して語った。曰く、ラウダが「ボーイングのような大企業に対して、それが自分のせいでもパイロットのせいでもなく、飛行機に設計上の欠陥があったことを証明した」ことは、”細心の注意を払い、頑固である”ラウダの典型的な行動だったと語った。

 ラウダは昨年入院する前、グランプリに帯同していた際に常にマルコと朝食を共にしていたという。

「我々にとって最も重要なことは、常にこのスポーツの魅力だった」

 マルコはラウダについて、「本当に家庭的な人」であり、「偉大なオーストリア人のひとり」だったという。そして「善良で寛大な人」だと表現した。

 本当の意味での友人だったのか……そう改めて問われたマルコは、次のように語った。

「そうだ。そう言うことができるだろう。だからこそなおさら、今は痛みを感じている」

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この記事について

シリーズ F1
ドライバー Helmut Marko , Niki Lauda
執筆者 Scott Mitchell
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