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ブレーキ進化の歴史が物語る、”走る実験室”モータースポーツで培われるレース技術と量産技術の関係性

先端技術の「走る実験室」とも言われるモータースポーツ。だがブレーキ技術の進化史を振り返ってみれば、レース技術と量産技術は互いに切磋琢磨して進歩してきたことが分かる

#7 Toyota Gazoo Racing Toyota TS050: Mike Conway, Jose Maria Lopez, Kamui Kobayashi

#7 Toyota Gazoo Racing Toyota TS050: Mike Conway, Jose Maria Lopez, Kamui Kobayashi

JEP / Motorsport Images

 自動車レースは、自動車技術の実験の場であると言われる。最先端の技術はまずサーキットの上で試され磨き上げられた後、量産乗用車に搭載されて実用化に及び広く用いられるようになる。こうした技術進展の流れが存在したのは事実で、レースが「走る実験室」と呼ばれる所以である。

 しかし一方で、量産乗用車のために進化した技術が自動車レースの場に応用される例も少なくない。近年はむしろこの逆方向の流れの方が顕著である。いずれにしろ、レース技術と量産技術は密接に関わり影響し合いながら進化してきた。有名な例としてはブレーキがある。

 ストレートを駆け抜けたレーシングカーがコーナー進入に向けてブレーキングすると、カーボンブレーキディスクが発熱して真っ赤に光る。サーキットでは良く見られる迫力のある光景である。

 しかし近年は少々様子が異なる。ル・マン24時間レース3連覇を遂げたトヨタTS050HYBRIDの開発を指揮した村田久武チーム代表兼TMG(トヨタ・モータースポーツGmbH)社長はかつて、コーナーに進入するマシンを捉えた写真を見て「いい写真ですね、ブレーキを見てください。赤く光っていない」と語ったことがある。

 

 一般に、ブレーキは運動エネルギーを熱エネルギーに変換して空気中に放出し制動を行なうエネルギー変換システムだと言える。ブレーキという仕組みの中でいかに摩擦熱を起こし、いかにその熱を放出するかがブレーキ性能を左右する。高速からブレーキを使ったときブレーキディスクが赤熱するのは、運動エネルギーが熱エネルギーに変換されているからであり、ブレーキが利いている証拠でもある。ではなぜ村田代表は赤熱していないブレーキを自慢したのだろうか。

 その理由はブレーキの進化にある。トヨタのル・マンカーが搭載するハイブリッドシステムは、減速時に運動エネルギーを熱エネルギーとして放出するだけではなく、ブレーキを使って電気エネルギーに変換し電池に貯め、加速時に電気モーターを駆動して再利用している。村田氏は、ブレーキが運動エネルギーを効率よく電気エネルギーに変換しているため、その分ブレーキで発生し放出される熱エネルギーが少なくなってブレーキディスクの赤熱が見られないという状況を自慢したのである。

 今や、ブレーキはただ単に走行する自動車に制動をかけるだけではなく、これまで捨てられていたエネルギーを回収する装置、いわゆる回生ブレーキとして働くようになった。こうした新しい仕組みは、トヨタの場合まず世界初の量産ハイブリッド乗用車であるプリウスで実用化され、その後公道よりもはるかに過酷な条件で超高性能を求められるレースの場に持ち込まれてさらに進化を果たしたものだ。

■ブレーキ技術進化の歴史

 スピードを落とし停止させるために自動車に装備されたブレーキは、馬車時代の技術を応用して生まれたものだ。御者がレバーを引くと、テコの応用で摩擦材が回転する車輪に押しつけられ、摩擦が生じて回転を抑制、抑止する仕組みである。1886年に世界初のガソリンエンジン車として生まれた(諸説あり)ベンツのパテント・モトールのブレーキは、後輪と連動して回転するディスクに回した革ベルトをレバーで引き、ディスクと革ベルトの間に摩擦を起こして制動力を生み出す構造になっていた。いわゆるドラムブレーキの元祖である。

 その後自動車の走行性能が上がってくるとレバーと革ベルトのような長閑な仕組みでは制動しきれなくなり、金属製の中空ディスク=ドラムの内側に摩擦材いわゆるブレーキシューを押しつけて摩擦を起こす形式の近代的なドラムブレーキが発明され1900年代に入る頃には実用化された。この形式のドラムブレーキは現在に至るまで用いられることになる大発明であった。

 一方、車輪と同調して回転するディスクをブレーキパッドで挟み込んで摩擦を起こす形式の「ディスクブレーキ」も同じ頃に発明されているようだ。しかし自動車用のブレーキとしてはドラムブレーキの方が広く受け入れられ自動車の標準装備となった。同じタイミングで発明されながらドラムブレーキが普及した理由がある。

 摩擦材を取り付けた片持ち式のブレーキシューを中空のドラム内面に押しつける構造のドラムブレーキは、ブレーキをかけると摩擦力の分力によりブレーキシューがドラムに押しつけられ、摩擦力がさらに増す効果、いわゆる倍力効果が生じるという利点があったのだ。ブレーキをかければかけるほど勝手に摩擦力が高まるのだから都合が良い。

 一方のディスクブレーキは、人間の力で摩擦材をディスクに押しつけて摩擦力を生み出すまではドラムブレーキと同じだが、ドラムブレーキのような「自己倍力効果」は起きず、押しつけた力なりの摩擦しか起きないので制動力としてはドラムブレーキにかなわなかった。したがって当然ながら、高性能を求めるレーシングカーにもドラムブレーキが用いられサーキットを駆け回るようになった。

 これでブレーキの構造としては一件落着してもおかしくはなかったが、状況はどんどん変わっていく。エンジンの性能が上がり、サスペンションを含む車体の性能も上がって総合的な走行性能が向上してくるとドラムブレーキの限界が見えてきたのだ。

 前述したように、元々ブレーキは運動エネルギーを熱エネルギーに変換して空気中に放出し制動を行なうエネルギー変換システムとして考案されたコンポーネントである。ところがドラムブレーキの場合、中空ドラムの内側で摩擦熱が発生するのでその熱を放出しにくいという構造的な問題があった。

 自動車の走行性能が低く平均速度が低ければドラムブレーキの性能でも対応できた。しかし自動車が高速化し、それに伴いブレーキの使い方も激しくなるとブレーキが発生する熱も増え、ドラムブレーキの内部に熱がこもってその熱が摩擦材を変質させブレーキ性能が低下するという、いわゆるフェード現象が問題となるようになってきたのである。特に、平均速度が高いうえ高速からの急減速を繰り返すレーシングカーでは、フェードは深刻な問題だった。

 そこで、量産乗用車では主流にならなかったディスクブレーキが見直されることになった。ディスクブレーキはブレーキディスクとブレーキパッドが空気に露出しており冷却しやすかったのでフェードしにくい構造だったのである。

 レーシングカーとして初めてディスクブレーキを搭載したのはジャガーCタイプの1953年仕様だと言われている。ジャガーCタイプはル・マン24時間レースに挑戦するためにジャガーが1951年に開発したレーシングスポーツカーで、1953年に向けて製作された最終仕様の前輪に、ジャガーが英国ダンロップとともに開発を続けてきたディスクブレーキが採用されたのだ。ディスクブレーキを装備したジャガーCタイプは1953年のル・マン24時間レースで1-2フィニッシュを飾り、高性能自動車におけるディスクブレーキの有効性が証明された。

#25 Jaguar C-type: David Wenman, Julian Bronson

#25 Jaguar C-type: David Wenman, Julian Bronson

Photo by: Eric Gilbert

 翌年のジャガーDタイプは4輪にディスクブレーキを装備、ル・マン24時間レース参戦初年度こそトラブルで敗退したものの、1955年以降は3年連続でル・マン制覇を果たした。これ以降、サーキットの上ではディスクブレーキが広く普及していった。

 60年代に入って、エンジンの吸気管内に生じる負圧を利用してブレーキの制動力を補助する倍力装置の考案によりディスクブレーキの宿命であった制動力不足という性質も解決し、サーキットから逆流する形で量産乗用車にもディスクブレーキが転用され一般公道上でも使われるようになった。

 その後、さらに放熱効果を高めたベンチレーテッドディスクが考案されるなど、ディスクブレーキの機構が進化し、ブレーキの制動性能は向上していくが、1990年代に入ってレース技術と量産技術の間で興味深いやりとりが行われる。

 高性能化した自動車を制動するブレーキの性能が向上した結果、制動力とタイヤ性能のバランスが変わり、急ブレーキ時に制動力がタイヤのグリップ力を超え、ホイールロックを起こして減速しきれないまま衝突事故を起こすという問題が頻発するようになった。ドライビング技術が未熟なまま自動車の性能を過信した一般ドライバーにとって、制動力とタイヤのグリップ力をバランスさせながら自動車を操るのは難題である。そこで、進歩してきた電子制御技術とブレーキを組み合わせ、コンピュータが制動力を適正にコントロールしてホイールロックを防止する仕組みであるアンチロックブレーキシステム(ABS)が開発される。

 元々ABSは1960年代に発想され、鉄道や一部自動車に用いられてきたが、量産乗用車に普及するのは電子制御技術が進歩した1970年代後半を待たねばならなかった。しかし実用化されるや、ABSはドライビングテクニックでブレーキを操りきれない一般ドライバーにとって大変有益な「安全装置」として受け入れられた。

 ABSが量産自動車の安全装置として実用化され普及すると、サーキットではブレーキの限界性能を引き出すためのツールとしてABSが使えるのではないかという発想が生まれた。しかし競技の中、高速からの急ブレーキに対応するだけのレスポンスを確保するにはまだ電子技術が追いつかず、レース用ツールとしての実用化は量産乗用車に対して大幅に遅れた。サーキットの上でABSが有効なツールであるとようやく認められたのは1993年にウイリアムズFW15Cが採用してアクティブ・サスペンションやトラクション・コントロールとともに猛威を振るったときのことである。

Alain Prost, Williams FW15C

Alain Prost, Williams FW15C

Photo by: Motorsport Images

 もっともF1では翌1994年にハイテク規制の対象として使用禁止となり現在に至っている。ただしF1以外のカテゴリーではABSは徐々に普及し、たとえばFIA-GT3では現在標準装備となっており、ドライビングテクニックが未熟なジェントルマンドライバーのサポートツールとして活用されている。

 そして今やブレーキは、走行する車両を減速させるばかりではなく、加速を促進するためのシステムを支えるコンポーネントへ進化を果たした。ブレーキ技術の進化史を振り返ると、レースが先端技術の「走る実験室」として機能した結果、レース技術が量産技術を牽引したとは一概には言えず、練り上げられた量産技術がレースの現場へ流入してレーシングカーの性能を引き上げた例は少なくない。だがその先で、冒頭のハイブリッド技術のようにレースの現場で小型軽量化などさらに踏み込んだ技術開発が行われ、レース技術が量産技術へフィードバックされることもある。レース技術と量産技術はお互い切磋琢磨して進歩する関係にあるのだ。

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