無限ホンダ初優勝の大荒れモナコGPから30年。パニスが当時を回想「朝起きると雨が降っていて声が出た」
1996年のモナコGPで、オリビエ・パニスが優勝した番狂わせから30年。パニス本人が当時を振り返った。
1996年5月19日、F1モナコGPでリジェ・無限ホンダのオリビエ・パニスが果たした優勝は、F1史に残る番狂わせのひとつだ。あの日から30年が経った。
パニスは1994年のデビュー当初から光る速さを見せており、リジェですでに表彰台も経験していた。その才能に疑いの余地はなかったが、1996年当時の同チームには優勝を争えるような力はなかった。予選順位も多くがグリッド6列目〜8列目といったところで、レースで生き残れば、当時6位までだった入賞に届くかどうか……といった立ち位置であった。
迎えた第6戦モナコGPの予選でパニスは、電気系のトラブルに苦しんだこともあり14番手に終わった。当時は3台目のマシンが用意されていたが、チームメイトのペドロ・ディニスが自分のマシンとスペアカーを両方クラッシュさせてしまい、パニスには乗り換えるマシンがなかった。
ただ興味深いことに、パニスは日曜朝のウォームアップセッションで最速タイムをマークしており、決勝に向けて自信を深めていた。
パニスはF1公式サイトのインタビューでこう語っている。
「朝起きた時、窓を開けて雨が降っていたので声が出た」
「妻に『今日は表彰台に上がるぞ』と言ったら、『いやいや、モナコで14番手スタートなのにふざけてるわ!』と言われた。でも僕は『雨が降っているから何が起こるか分からない』と言ったんだ。自分自身に“できるんだ”と言い聞かせていた」
「ウォームアップで僕がトップだった時、みんなは『どうせ軽タンだろう』と思っていて、あることないこと言っていた。でも僕は自分のマシンに自信があったから、言わせておいたんだ」
ウエット路面でスタートした決勝は大荒れの展開となった。ポールポジションからスタートしたフェラーリのミハエル・シューマッハーは1周目のポルティエでクラッシュして早々に戦線離脱。ウイリアムズのデイモン・ヒルがレースをリードする中、パニスは着実にポジションを上げていた。
Race start
Photo by: LAT Images via Getty Images
路面が乾いていく中、パニスはライバルに先んじてスリックタイヤに交換したことで、ウイリアムズのジャック・ビルヌーブ、マクラーレンのデビッド・クルサードら数台をアンダーカットすることに成功。さらにはフェラーリのエディ・アーバインをロウズヘアピンでオーバーテイクしたことで、3番手まで上がった。
しかしこの時点で、トップのヒルとは49秒差、2番手を行くベネトンのジャン・アレジとは22秒の差があった。優勝は夢のまた夢かと思われた。しかし41周目にはヒルがエンジントラブルで、61周目にはアレジがサスペンショントラブルでリタイア。パニスはついにトップに立った。
「ウエットの中、7台を追い抜いたんだ。ピットストップでもいくつか順位を上げた」とAutosportに語るパニスは、こう続ける。
「全てがリスクを伴うものだった。アーバインを抜いた時も、彼と接触したのでフロントウイングが壊れたと思っていたけど、大丈夫だった。それで今日は僕の日だと思ったんだ!」
ヒルの撒いたオイルに乗ってしまいながらもなんとか持ち堪えたパニスは、クルサードを5秒後方に従えて首位をひた走った。その20秒ほど後方にはザウバーのジョニー・ハーバート、ビルヌーブ、マクラーレンのミカ・ハッキネン、ティレルのミカ・サロといった集団が続いていたが、ビルヌーブは5周遅れだったフォルティのルカ・バドエルを抜く際に接触してリタイア。ポルティエでスピンし、再始動しようとしていたアーバインにサロが追突、そしてそのサロにハッキネンが追突するという玉突き事故も発生するなど、最後まで波乱が続いた。
コース上に残ったのは、パニス、クルサード、ハーバート、そしてザウバーのハインツ-ハラルド・フレンツェンの4台のみ。パニスは終盤、クルサードが1秒差まで迫る場面もあったが、この時リジェは燃料がギリギリだったという。パニスはAutosportにこう語る。
Olivier Panis, Ligier
Photo by: Paul-Henri Cahier / Getty Images
「残り6周でエンジニアから『燃料が足りないのでピットに入らないといけない』と言われた。僕は『なんで? そんな馬鹿な』と言ったけど、できるだけ燃料をセーブしようとした」
「無線では当時のチーム代表だったフラビオ(ブリアトーレ)まで入ってきて、英語、フランス語、イタリア語で僕のことをピットに入れようとしていた」
「DC(クルサード)がかなり近くまで来ていたけど、燃料セーブを続けて、フィニッシュすることができた。表彰台に向かう時にフィニッシュラインにクルマを止めたんだけど、その後再始動しようとしたらできなかった。燃料が空だったんだ。運が良ければなんとでもなるもんだね!」
パニスの言う通り、運が味方した要素は大いにあった。パニスは6速ギヤを使わず、リフト&コーストで燃料を節約していたが、当初78周の予定だったレースは制限時間の2時間に到達したことで75周でチェッカーが振られた。1周でも多くレースが行なわれていたら、パニスは勝利を手にできなかったかもしれない。
Olivier Panis, Ligier
写真: Paul-Henri Cahier / Getty Images
またレース後にもちょっとしたハプニングがあった。モナコGPの優勝者はレーニエ大公主催の晩餐会に招待されるが、パニスはまさか優勝するとは思っておらず、スーツを持参していなかったため慌てて手配した。一方で2位に入ったクルサードはスコットランドの民族衣装であるキルトを着て晩餐会に出席したが、その後夜更けまでチームメイトのハッキネンとバーで飲み明かしていたら、気付いたらハッキネンがキルトを着ていて自分はスーツ姿になっていたという。
いずれにせよ、モナコでのパニスの勝利は記録的なものとなった。パニス、そしてエンジンサプライヤーの無限ホンダにとっては初優勝で、リジェにとっても15年ぶりの勝利だった。パニスは「僕だけじゃなく、チームにとっても最高の瞬間だった。高値で売れるようになったからね」と言う。
「アラン・プロストにも、僕が一番“カネのかかったドライバー”だと言われたよ!』
リジェは翌1997年、プロストの買収により『プロスト・グランプリ』として再出発を切るも、あまり目立った成績は残せなかった。ただ初年度の1997年はパニスが開幕から上位入賞を繰り返してダークホースとして注目を集めたが、カナダGPでのクラッシュで両足を骨折して長期欠場を強いられ、その勢いは無惨にも消え去った。
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