ライコネンがフォースインディアからF1復帰していた可能性も? サフナウアー、交渉の裏側明かす
オットマー・サフナウアーは、キミ・ライコネンをフォースインディアに引き入れようとした試みが失敗に終わった経緯を明かした。
ホンダやフォースインディアなどで活躍したオットマー・サフナウアーは、キミ・ライコネンは2012年にフォースインディアのマシンでグリッドに並ぶ寸前だったという。
かつてホンダF1チームを運営するHRD(ホンダ・レーシング・デベロップメント)の副社長を務め、フォースインディアやアストンマーティンのチーム代表も務めたサフナウアー。現在はジェイク・ハンフリーとロブ・スメドレーと共にポッドキャスト番組「ハイ・パフォーマンス・レーシング」の共同ホストを務めており、番組の中でライコネンの獲得を目指したエピソードを明かした。
2009年末にフェラーリを離れた後、ライコネンはF1から一時的に離れてWRCに挑戦。2012年にロータスからF1に復帰した。しかし、フォースインディアの当時COOを務めていたサフナウアーはライコネン獲得を目指し、サンパウロで行なわれた2011年のシーズン最終戦ブラジルGPで、それを実現しようと交渉を試みた。
「キミ・ライコネンと、フォースインディアの契約が成立寸前までいったんだ。彼がロータスに行く前のことだよ」と彼は語った。
「ブラジル……最終戦のことだ。モルンビのハイアットでキミと会った。そこには日本食レストランがあったから、彼の友人ふたりと一緒に会って、フォースインディアに来るよう説得しようとしたんだ。すると彼は『わかった、シーズンが終わったら話そう』と言ったんだ」
Kimi Raikkonen, Lotus F1
写真: XPB Images
ライコネンは完全に”自分ルール”で動いていた。同席した友人はマネジメントを担当していたわけではなく、意外な経歴を持っていた。世界で最も成功したモバイルゲームとも言われるアングリーバードの創業者だったというのだ。
「その2人の友人っていうのが、確か『アングリーバード』の創業者たちだったと思う。だからマネージャーはいなかった。友人たちとライコネンだけだったんだ」
「それでライコネンが、『よし、レッドブルのパーティーで話そう』って言ったんだよ。シーズン終了後、レッドブル・レーシングが大きなパーティーを開いていてね。我々もそこへ向かった」
「でも人混みがものすごくて、『これは入れないだろうな』と思っていたんだ。ところが、キミは自分が中へ入る前に、我々全員がちゃんと入場できるまで待ってくれたんだよ」
しかし言うまでもなく、ライコネンとフォースインディアが契約に至ることはなかった。その理由について、サフナウアーは次のように説明した。
「結局、フォースインディア入りを説得することはできなかった。理由はいろいろある」
「ドライバーには、『こちらの未来の方が他のオファーより明るい』と信じてもらわなければならない。それに、公平を期すために言っておくと、彼がロータスに移籍した当時は、ロータスの方が我々よりも多くのレースで勝っていた。つまり、ロータスの方が強かったということだ」
ロータスとライコネンの契約については、獲得ポイントに応じてボーナスが設けられていたことがよく知られている。
ロータスでの2シーズンでライコネンは390ポイントを獲得し、13回の表彰台入りを果たし、2012年のアブダビGPと2013年のオーストラリアGPで優勝した。ライコネンが残した成績によって生まれた巨額のボーナスを支払えず、チームが破産の瀬戸際まで追い込まれたのも有名なエピソードだ。
仮にロータスではなく、フォースインディアがライコネンを獲得していたら……その契約にポイントボーナスが入っていたら……フォースインディアを引き継いで生まれた今のアストンマーティンF1チームはなかったかもしれない。
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