Road to F1〜夢への道のり〜:ロマン・グロージャン編
2009年にルノーでF1デビューを果たし、今季はチーム発足当初から所属するハースで5年目を迎えるロマン・グロージャン。今回はそんな彼のジュニア・フォーミュラ時代を振り返る。
写真:: GP2 Media Service
2003年
スイスのジュネーブで生まれたグロージャンは、カートを卒業した後、2003年にスイスを中心に開催されるフォーミュラ・リスタ・ジュニアという選手権に参戦。10戦全勝という圧倒的な強さでタイトルを獲得した。
2004年
Romain Grosjean, SG Formula
Photo by: Edd Hartley / Motorsport Images
前年の入門フォーミュラでの活躍が認められ、グロージャンは2004年にフォーミュラ・ルノー2.0シリーズへ参戦。SGフォーミュラというチームからフランス選手権(フォーミュラ・ルノー2.0WEC)へのフル参戦と、ヨーロッパ選手権(ユーロカップ・フォーミュラ・ルノー2.0)へのスポット参戦を開始した。
フランス選手権では1勝を挙げてランキング7位と、決して悪い成績ではなかったが、さらなるステップアップのためにはより良い結果が必要だということを彼自身も自覚していた。
2005年
Romain Grosjean, Signature-Plus
Photo by: Andrew Ferraro / Motorsport Images
2005年もSGフォーミュラに残留し、前年に引き続きフォーミュラ・ルノー2.0のフランス選手権とヨーロッパ選手権に参戦した。フランス選手権では16戦中10勝、13回の表彰台と10回のポールポジションを獲得する活躍でチャンピオンに輝いた。またヨーロッパ選手権でも8レースに出走し、2度表彰台を獲得。マカオGPデビューも果たし、9位でフィニッシュした。
2006年
Romain Grosjean, Signature Plus
Photo by: Elliot Patching / Motorsport Images
2006年、グロージャンは多くのF1ドライバーを輩出したユーロF3にステップアップ。同時にルノーF1チームの開発ドライバーにも名を連ねた。セバスチャン・ベッテルや中嶋一貴、小林可夢偉など、後のF1ドライバーが7人も参戦していた同年のユーロF3ではランキング12位に終わったグロージャン。しかしマカオGPでは5位に入り、スポット参戦したイギリスF3では2戦2勝を挙げるなど、随所で光る走りを見せた。
2007年
Romain Grosjean, ASM Formula 3, Dallara F305 Mercedes
Photo by: Sutton Images
ユーロF3で2年目となったグロージャンは、強豪のASM(後のARTグランプリ)に移籍。小林、ニコ・ヒュルケンベルグという優秀なチームメイト、そしてセバスチャン・ブエミという手強いライバルがいる中で、グロージャンは6勝を挙げてタイトルを獲得した。
2008年
Romain Grosjean and Nanni Rodriguez
Photo by: GP2 Series Media Service
2008年、グロージャンはフォーミュラ・ルノー、そしてユーロF3でのタイトルを手土産に、F1直下のカテゴリーであるGP2(現FIA F2)にステップアップした。参戦チームはARTだ。彼はGP2の本シリーズに先駆けて行なわれた冬季シリーズ『GP2アジア』にも参戦し、4勝。ブエミを退けて初代チャンピオンとなった。
そしてGP2の本シリーズでグロージャンは、1年目から健闘。前半こそ安定感を欠いていたが、後半戦からコンスタントに上位フィニッシュを果たした。しかしタイトル争いからは既に脱落してしまっており、ジョルジョ・パンターノ、ブルーノ・セナ、ルーカス・ディ・グラッシに続くランキング4位となった。
2009年
Race winner Romain Grosjean, Barwa Campos Team
Photo by: Mandoga Media
グロージャンのGP2参戦2年目は少し奇妙なシーズンとなった。ARTからバルワ・アダックスに移籍したグロージャンは、開幕のカタルニアラウンドでレース1優勝、レースで2位となり、翌モナコ戦でもレース1で優勝するなど圧倒的な強さを見せていたが、モナコ戦のレース2においてタバコ・コーナーで大クラッシュを喫して以降は一転してスランプに。表彰台にも届かないレースが続く中、シーズン途中でルノーF1から声がかかった。
ルノーはこの年のハンガリーGPを最後に、ネルソン・ピケJr.を解雇(これがいわゆる“クラッシュゲート事件”の表面化に繋がることとなる)。翌ヨーロッパGPからグロージャンを起用することを決めたのだ。予想外な形でF1デビューを飾ったグロージャンだったが、1ポイントも獲得することができずにシーズン終了。翌年のシートを手にすることもできなかった。
2010年
Romain Grosjean
Photo by: GP2 Series Media Service
人は一歩後退した時、さらに一歩下がって物事を冷静に見た方がさらなる前進に繋がる場合がある。グロージャンにもそのような考えが頭をよぎったのか、彼はこの年、幅広いレースプログラムに参加し、F1に復帰するための最善の方法を模索した。
まずシングルシーターのレースでは、AutoGPとGP2にいずれもDAMSから参戦。AutoGPは6ラウンド中4ラウンドの参戦ながらいとも簡単にタイトルを奪取し、その後参戦したGP2の後半戦では2度の表彰台を獲得した。
そしてグロージャンはGTカーのレースにも参戦。FIA GT1世界選手権(現GTワールドチャレンジ・ヨーロッパ)ではフォードGT1を駆り2勝。ル・マン24時間レースにも参戦した。
2011年
Romain Grosjean celebrates winning the 2011 GP2 Series title
Photo by: GP2 Media Service
様々なカテゴリーで経験を積んだ後、グロージャンはDAMSで再びGP2へのフル参戦を開始した。まずは挨拶代わりにアジアシリーズでチャンピオンに輝くと、本シリーズでも抜群を安定感を披露。圧勝でGP2王者となり、翌年にロータスからF1再昇格を果たすのであった。
グロージャンのジュニアフォーミュラでのキャリアを統計的な観点で見ていくと、無冠に終わった年の翌年は必ず何らかのカテゴリーでタイトルを獲得していることが分かる。キャリアに浮き沈みこそあれど、2年に1度は必ずどこかでその名を轟かせる……それが彼をF1まで到達させた要因のひとつなのかもしれない。
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