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ラルト生みの親、ホンダとも縁の深いロン・トーラナックが逝去。95歳

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ラルト生みの親、ホンダとも縁の深いロン・トーラナックが逝去。95歳
執筆:
2020/07/17 8:52

レーシングカーデザイナー兼エンジニアのロン・トーラナックが95歳で逝去した。

 レースコンストラクター『ラルト』の生みの親であり、ブラバムの共同創設者でもあったロン・トーラナックが亡くなった。95歳だった。

 1925年にイギリスで生まれたトーラナックは、数年後に家族と共にオーストラリアに移住。14歳で学校を中退し、オーストラリア空軍に入隊して戦闘機パイロットとして訓練を受けた。その後、1950年代初頭から兄のオースティン・ルイスとヒルクライムカーの製造を開始し、そのマシンにはふたりのイニシャルをとって『ラルト』(RALT=Ron and Austin Lewis Tauranac)と名付けられた。

 トーラナックはオーストラリアでのヒルクライムレースを通してジャック・ブラバムと知り合い、ブラバムがヨーロッパに拠点を移した後も連絡を取り合う関係となっていた。そしてトーラナックは1960年にイギリスに戻り、ブラバムと共にモーターレーシング・デベロップメント社を設立。これが1992年までF1に参戦することとなるブラバムチームの始まりである。

 ブラバムチームは1966年にブラバム自らのドライブでF1タイトルを獲得すると、翌1967年にはデニス・ハルムがチャンピオンに。その後も様々なフォーミュラカーレースで成功を収めた。

 またラルトは、ホンダ製のエンジンを搭載したF2マシンで1980年代のヨーロッパF2を席巻。1960年代のF2でもブラバム・ホンダで全盛期を築いたトーラナックは、ホンダと非常に縁の深い人物であった。さらにF3では、ラルトのマシンを駆るアイルトン・セナらをチャンピオンに導いた。

 その後トーラナックはラルトをマーチに売却し、オーストラリアへと戻り一線を退いた。

 トーラナックにはふたりの娘がいるが、彼女たちは声明を発表し、7月17日早朝にトーラナックが亡くなったことを明らかにした。以下はその一部である。

「トーラナック家は、ロン・トーラナックが95歳で逝去したことをお伝えします。ロンは金曜日の朝、オーストラリア・クイーンズランド州サンシャインコーストにある自宅で眠るようにして息を引き取りました」

「活動的で、健康で、最期の時まで自立していた彼は、常に何かを達成する必要性を感じ、常に次の目標を頭に入れていました。彼は過去の栄光に決して満足することなく、鋭い工学的思考を常に持っていました」

「彼に最近、自分が設計したマシンの中で最高のものは何かと訊くと、彼は『次のマシンだ』と言っていました。彼が成し遂げたことを非常に誇りに思うと同時に、彼の死を深く悲しんでいます」

 motorsport.comは、ロン・トーラナックのご冥福をお祈りするとともに、彼のご家族に哀悼の意を表します。

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この記事について

シリーズ F1
執筆者 Andrew van Leeuwen