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F1でわずか1勝、されど1勝……10人のドライバーたち

70年のF1の歴史の中で、1勝のみでグランプリシーンから去っていったドライバーも数多くいる。そのドライバーの中から特筆すべき10人をピックアップ。

Podium: race winner Pastor Maldonado, Williams, second place Fernando Alonso, Ferrari, and third place Kimi Raikkonen, Lotus F1

写真:: Sutton Images

 70年のF1グランプリの歴史の中で、わずか1勝のみでグランプリから去ったドライバーも何人かいる。しかし、されど1勝。多くのドライバーが表彰台すら経験できず引退していく中、その頂点に立ったのだ。

 今回はその1勝ドライバーの中でも、特筆すべき10人を振り返ってみよう。

パストール・マルドナド:2012年スペインGP

 

Race winner Pastor Maldonado, Williams FW34 celebrate

Race winner Pastor Maldonado, Williams FW34 celebrate

Photo by: Andrew Hone / Motorsport Images

 

 パストール・マルドナドの2012年スペインGPでの初優勝は、現代の御伽噺のようなモノだ。

 マルドナドはその前年、ベネズエラの石油企業であるPDVSAの多額の支援を受け、ウイリアムズに加入した。しかし、同年のウイリアムズはチーム史上最低とも言える低迷期。マルドナドはわずか1ポイントの獲得に終わった。

 しかし2012年はレギュレーションが変わり、パフォーマンス差が接近。実際、開幕から7戦連続で、異なるドライバーが勝利するという激戦のシーズンとなった。ウイリアムズは新たにルノーのパワーユニットを獲得。ウイリアムズ・ルノーという1990年代の黄金パッケージの復活に、期待が集まった。

 シーズン前半、ウイリアムズは前年以上の走りを見せ、順調にポイントを獲得していた。そしてスペインGPではタイヤとのマッチングが合い、さらに戦闘力を増した。そんな中マルドナドは、予選で2番手タイムを記録。最速だったルイス・ハミルトン(マクラーレン )は燃料搭載量が少なく失格となったため、マルドナドはポールポジションを手にした。

 スタートでマルドナドは、フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)に先行されるが、ピット戦略で逆転。その後、力強い形でレースを逃げ切り、初優勝を飾った。

 ただレース後、ウイリアムズのガレージでは火災が発生し、数人のチームメンバーが火傷を負うなど、パーティは台無しとなった。

 そして一気にスターダムにのし上がっていくかに思われたマルドナドだが、その後の成績はパッとせず。次にポイントを手にしたのは10戦後の日本GPだった。

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アレッサンドロ・ナニーニ:1989年日本GP

 

Alessandro Nannini, Benetton

Alessandro Nannini, Benetton

Photo by: Motorsport Images

 アレッサンドロ・ナニーニのF1での唯一の勝利は、F1の歴史の中でも悪名高いレースでのモノだった。

 1989年の日本GPは、マクラーレンのチームメイト同士、アイルトン・セナとアラン・プロストが、タイトルを目指して激しく争っていた。そしてふたりはシケインで接触。プロストはその場でリタイアとなったが、セナはコースに復帰して走り続けたため、プロストのタイトル獲得の希望が潰えたかに見えた。

 セナはダメージを負ったフロントウイングを交換するためにピットストップを行なった。そして先頭を行くナニーニのベネトンを追いかけた。セナは結局ナニーニを交わしてトップでチェッカーを受けたが、プロストとの接触からコースに復帰する際にシケインをショートカットしたとして、失格処分となった。

 ナニーニはウイリアムズのリカルド・パトレーゼ、ティエリー・ブーツェンと共に表彰台に登壇。これが彼にとってF1で唯一の勝利となった。

 この1年後、ナニーニはヘリコプターの事故に遭い、右前腕を切断する怪我を負った。接合手術の結果、彼は奇跡的にも右手をある程度コントロールできるようになったが、F1キャリアを続けるまでには至らなかった。

 ただその後、ナニーニはレースに復活。DTMではアルファロメオのマシンを、FIA GTではメルセデスを駆って勝利を収めた。レーシングドライバーから引退した後は、母国イタリアで実業家として成功している。

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ルイジ・ファジオーリ:1952年フランスGP

Luigi Fagioli, Alfa Romeo 159

Luigi Fagioli, Alfa Romeo 159

Photo by: Motorsport Images

 ルイジ・ファジオーリは、戦前のグランプリから活躍したドライバーである。第二次世界大戦が勃発した時、彼はすでに42歳だった。そして戦後レースに復帰し、1950年から制定されたF1世界選手権にも出走。すでに52歳になっていた。

 アルファロメオのマシンを駆り、最初のグランプリ(1950年イギリスGP)では2位。その年には勝利を手にすることができなかったが、安定して上位を走った。

 翌年、ランスで行なわれたフランスGPで、やはりアルファロメオのマシンを駆り優勝することになる。しかしこのレースでは、チームのエースであったファン-マヌエル・ファンジオのマシンにトラブルが発生したため、ファジオーリにはマシンをファンジオに譲るようチームオーダーが出された。当時は、レース中にマシンを乗り換えることも可能だった。結局ファンジオがトップでチェッカーを受け、ファジオーリはマシンをシェアした形で優勝を手にした。彼はすでに53歳となっていた。

 ただファジオーリは、チームオーダーに激怒。その場でグランプリレースからの引退を決断する。

 その後ファジオーリは、ランチアのスポーツカードライバーとして活躍。しかし、スポーツカーのレースとして行なわれたモナコGPのフリー走行中、トンネルで大事故に遭遇。その時の怪我がきっかけで死去することになった。

ヨッヘン・マス:1975年スペインGP

Jochen Mass, McLaren M23-Cosworth

Jochen Mass, McLaren M23-Cosworth

Photo by: Motorsport Images

 ヨッヘン・マスは1975年のスペインGPで、F1での唯一の勝利を手にした。しかし悲劇的なレースとなったため、その勝利を祝うのは難しかった。

 1975年のスペインGPは、モンジュイックの公道コースで開催された。しかし、多くのドライバーがコースの安全性に抗議し、レースへの参加を拒否。マクラーレンでマスのチームメイトだったエマーソン・フィッティパルディも参加を拒否したため、マスは唯一決勝に進んだマクラーレンのドライバーとなった。

 フィッティパルディらの懸念が正しかったことは、レースで証明されてしまう。ロルフ・シュトメレン(エンバシー・ヒル)がリヤウイングを失い、コース外に飛び出してしまったのだ。この事故でカメラマンなど5人の命が奪われてしまうことになった。

 マスはこのレースで勝利を収めたが、F1がモンジュイックに戻ることはなく、マスもこれ以外のレースに勝つことはできなかった。ただ彼は、後にスポーツカーレースで活躍し、1989年のル・マン24時間レースでは、ザウバーC9・メルセデスを走らせ、優勝している。

ピーター・ゲシン:1971年イタリアGP

Peter Gethin, BRM P160, wins the 1971 Italian Grand Prix

Peter Gethin, BRM P160, wins the 1971 Italian Grand Prix

Photo by: Motorsport Images

 ピーター・ゲシンは、1969年の欧州F5000選手権で活躍。翌年、テスト中の事故で亡くなったブルース・マクラーレンの後任として、マクラーレンからF1デビューを果たした。

 ただ、同年はわずか1ポイントしか獲得できず、1971年もなかなかポイントを手にできずにいた。しかし、ペドロ・ロドリゲスがスポーツカーレースでの事故で亡くなった後、その後任としてBRMに加入。強力なBRM製V12エンジンは、超高速のモンツァで特に競争力があった。

 このレースは伝説的な1戦となった。ゲシンはマーチのロニー・ピーターソン、ティレルのフランソワ・セベール、サーティースのマイク・ヘイルウッドと四つ巴となり、最終ラップの最終コーナー”パラボリカ”を立ち上がった。ゲシンはそんな中、トップでチェッカーを受けた。2位ピーターソンとの差は0.01秒、4位ヘイルウッドでさえ0.18秒差という大接戦の決着となった。

 このレースはゲシンにとって唯一の勝利となっただけでなく、史上最も僅差の決着であり、さらにレース中の平均速度(242.615km/h)も、2003年のイタリアGPで更新されるまで、最速記録だった。

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ジャン-ピエール・ベルトワーズ:1972年モナコGP

Jean-Pierre Beltoise, BRM P160B

Jean-Pierre Beltoise, BRM P160B

Photo by: Motorsport Images

 1972年シーズン、ゲシンのBRMでのチームメイトは、フランス人ドライバーのジャン-ピエール・ベルトワーズだった。ベルトワーズはオートバイレーサーだったが、F2でも能力を発揮し、F1にステップアップしてきた。しかし、マトラで過ごした4年の間に勝利を手にすることはできなかった。

 ベルトワーズは、雨模様となった72年のモナコで輝きを見せた。スターティンググリッドは4番手。ポールポジションにはエマーソン・フィッティパルディがつけ、フェラーリのジャッキー・イクスとクレイ・レガッツォーニが2番手3番手につけていた。

 ベルトワーズは素晴らしいスタートを決めると、ラスカスまでに首位に立つ。そしてその後は後続を引き離し、イクスに38秒の差をつけてトップチェッカーを受けた。他のドライバーは1周以上遅れた。

 このベルトワーズ唯一の勝利は、BRMにとっても最後の勝利ということになった。

オリビエ・パニス:1996年モナコGP

David Coulthard, Olivier Panis and Johnny Herbert on the 1996 Monaco podium

David Coulthard, Olivier Panis and Johnny Herbert on the 1996 Monaco podium

Photo by: Sutton Images

 オリビエ・パニスにとっての唯一の勝利は、1996年のモナコGPだった。

 リジェに加入して3シーズン目、パニスはモナコで予選14位となった。レースはウエットコンディションでスタートすると、ポールシッターのミハエル・シューマッハー(フェラーリ)は1周目でクラッシュ。他のドライバーたちも、レース序盤に姿を消した。

 4番手に上がっていたパニスはロウズヘアピンでフェラーリのエディ・アーバインをパス。その後ジャン・アレジ(ベネトン)とデイモン・ヒル(ウイリアムズ)が相次いでリタイアしたことで、一躍先頭に躍り出ることになった。

 後方からはマクラーレンのデビッド・クルサードが迫っていたが、パニスはこれを抑え切り、トップチェッカーを受けた。3位ジョニー・ハーバート(ザウバー)までの3台のみが同一周回だった。

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ビットリオ・ブランビッラ:1975年オーストリアGP

Vittorio Brambilla celebrates after damaging his March

Vittorio Brambilla celebrates after damaging his March

Photo by: Motorsport Images

 雨に見舞われたグランプリは、予期せぬ結果となる可能性が高い。1975年のオーストリアGPも、まさにそんな1例だった。

 ビットリオ・ブランビッラは、その年11レースをスタートしながら、完走できたのはわずか3回。そしてエステルライヒリングでは、ポールシッターのニキ・ラウダ(フェラーリ)から1秒遅れの8番グリッドを手にした。

 決勝は雨。恐れを知らないブランビッラは、徐々にポジションを上げ、先頭のラウダと2番手のジェームス・ハント(ヘスケス)を追った。そしてラウダがドライのセットアップで苦しみ始め、ハントのマシンも不調に陥ったことで、ブランビッラが首位に浮上。54周のレースは29周に短縮され、ブランビッラがトップチェッカーを受けた。

 ブランビッラはチェッカーを受けた直後に手を高く上げ、喜びを表現した。そしてすぐにスピンし、クラッシュしてしまう。彼はフロントウイングにダメージを負った状態でウイニングラン。観衆に手を振った。しかしそれ以降、彼が表彰台に立つことはなかった。

ジャン・アレジ:1995年カナダGP

Jean Alesi, Ferrari 412T2

Jean Alesi, Ferrari 412T2

Photo by: Sutton Images

 ジャン・アレジは、1990年代に最も人気のあったドライバーのひとりだ。しかし、競争力のあるクルマには恵まれなかった。

 アレジは1991年にウイリアムズと契約していたが、これを破棄してフェラーリ加入を決断した。これは、最高の選択肢とは言えなかったが、その才能と情熱により、アレジはティフォシから熱狂的な支持を集めることになる。

 ただ1990年代前半のフェラーリは、ひどい低迷期。マシンのパフォーマンスも、信頼性も大きく欠如していた。

 信頼性には悩まされ続けたが、1994年からフェラーリのパフォーマンスが徐々に向上。1995年のカナダGPでアレジは、91戦目でついにトップチェッカーを受けた。

 アレジがカーナンバー27のフェラーリでフィニッシュラインを超えた時、フェラーリファンは一斉にコースに雪崩れ込んだ。カナダGPの舞台は、同国の英雄”ジル・ビルヌーブ ”の名が冠されたサーキット。ビルヌーブも27番のフェラーリを駆って、高い人気を誇ったドライバーだったからだ。

 またV12エンジン搭載車がF1で最後に勝ったレースでもある。

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ロバート・クビサ:2008年カナダGP

Robert Kubica, BMW Sauber F1

Robert Kubica, BMW Sauber F1

Photo by: Sutton Images

 2008年のBMWザウバーは、シーズン序盤から高い戦闘力を誇った。特にロバート・クビサはバーレーンでポールポジションを獲得し、最初の6戦中3レースで表彰台を獲得した。

 カナダGPではマクラーレンのルイス・ハミルトンがポールポジションを獲得したが、ピットレーンでフェラーリのキミ・ライコネンと接触。その結果、BMWザウバーのクビサとニック・ハイドフェルドがレースを支配することになった。

 当初前を走っていたのはハイドフェルドだったが、ピットストップのタイミングでクビサが首位に浮上し、そのままチェッカーフラッグを受けた。ハイドフェルドが2位に入り、BMWザウバーが1-2フィニッシュを果たした。

 これはまた、クビサにとってもF1で唯一の勝利となった。よく知られているように、クビサは2011年の2月に、ラリー参戦中の事故により重傷を負った。一時はレース復帰は不可能と思われたが、クビサは目覚しい回復を遂げ、最終的には2019年のウイリアムズからF1復帰を果たした。ただウイリアムズは厳しい低迷期にあり、わずか1ポイントを獲得するのが精一杯だった。2020年はアルファロメオのテストドライバーを務めている。

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F1”1勝”ドライバー

ルイジ・ファジオーリ 1951 フランスGP アルファロメオ
ピエロ・タルッフィ 1952 スイスGP フェラーリ
ルイジ・ムッソ

1956 アルゼンチンGP

フェラーリ
ジョー・ボニエ 1959 オランダGP BRM
ジャンカルロ・バゲッティ 1961 フランスGP フェラーリ
イネス・アイルランド 1961 アメリカGP ロータス
ロレンツォ・バンディーニ 1964 オーストリアGP フェラーリ
リッチー・ギンザー 1965 メキシコ GP ホンダ
ルドヴィコ・スカルフィオッティ 1966 イタリアGP フェラーリ
ピーター・ゲシン 1971 イタリアGP BRM
フランソワ・セベール 1971 アメリカGP ティレル
ジャン-ピエール・ベルトワーズ

1972 モナコGP

BRM
カルロス・パーチェ 1975 ブラジルGP ブラバム
ヨッヘン・マス 1975 スペインGP マクラーレン 
ビットリオ・ブランビッラ 1975 オーストリアGP マーチ
グンナー・ニルソン 1977 ベルギー GP ロータス
アレッサンドロ・ナニーニ 1989 日本GP ベネトン
ジャン・アレジ 1995 カナダGP フェラーリ
オリビエ・パニス 1996 モナコGP リジェ
ヤルノ・トゥルーリ 2004 モナコGP ルノー
ロバート・クビサ 2008 カナダGP BMWザウバー
ヘイキ・コバライネン 2008 ハンガリーGP マクラーレン 
パストール・マルドナド 2012 スペインGP ウイリアムズ

*インディ500の勝者は含まず。1950〜1960年のF1世界選手権には、インディ500も含まれていた。

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