【特集】勝利への執念があってはならない方向に……F1史に残る不正行為を振り返る:後編
F1ではこれまで、ライバルに対し少しでも優位に立つためにルール違反や不正行為を働くケースが多く見られたが、その中から最も記憶に残るものをピックアップする。今回はその後編。
写真:: Charles Coates / Motorsport Images
1. B.A.R 007、“秘密の”燃料タンク
Jo Bauer, FIA Technical Delegate makes checks to the BAR Honda 007 of Jenson Button on the grid
Photo by: Sutton Images
ジェンソン・バトンと佐藤琢磨を擁し、2004年シーズンのF1でコンストラクターズランキング2位を獲得したB.A.R。2005年シーズンもドライバーラインアップを継続し、チーム史上最高の1年となった2004年を上回る成績を目指したが、開幕3レースで1ポイントも獲得することができず、出足からつまずいてしまった。
ただ第4戦サンマリノGPではバトンが3位、佐藤が5位に入り、本来の力を取り戻すことができた。しかし、レース後車検の結果バトンのマシンは最低重量に5kg満たないことが発覚し、失格処分となってしまった。B.A.R 007は通常の燃料タンクから燃料を抜いただけの状態では重量制限をクリアしていたが、スチュワードはふたつ目の燃料タンクが存在することを発見。ここからも燃料を抜いた結果、規定重量を下回ったのだ。
B.A.R側はこのタンクにある燃料は「エンジンを動かすために最低限必要な燃料」であると主張。つまり、この燃料はレース中に消費されるものではなく、実質的には車体重量の一部だという解釈を展開したのだ。スチュワードも当初はその言い分が正当であると判断し、一度は裁定が保留された。
しかしFIAはこれを不服として控訴。その結果、国際控訴裁判所もFIAの主張を認めた。B.A.Rの燃費データも調査されたが、レース全体を通してB.A.R 007が本当に適正な重量を保っていたかどうかは断言できなかった。
ルールの解釈のズレによって起こったこの失格騒動により、B.A.Rは2台共サンマリノGPのリザルトから除外され、続く2レース(スペインGP、モナコGP)の出場停止を言い渡された。B.A.Rはこの年コンストラクターズランキング6位に終わり、2006年からはホンダがチームを買収。ホンダワークスチームとして2008年まで活動した。
2. ベネトンによるトラクションコントロール使用疑惑
Michael Schumacher, Benetton B194 Ford
Photo by: Motorsport Images
1990年代初頭は、F1に“ハイテクブーム”が起こった。ドライバーを補助するような電子制御システムが次々と実戦投入され、それをふんだんに搭載していたウイリアムズは、1992年シーズンと1993年シーズンを圧倒的な強さで制し、ダブルタイトルを獲得した。しかし、1994年からFIAはこれらのハイテクデバイスを禁止することを決定。アクティブサスペンションも、トラクションコントロール(ローンチコントロール)も、アンチロック・ブレーキシステムも全て使えなくなったのだ。またレース中の再給油もこの年から解禁された。
この年ウイリアムズに移籍したアイルトン・セナは、ベネトンがレギュレーションによる規制をかいくぐっていたことに気付いていた。セナが疑念を持ったのは、ベネトンが開幕戦ブラジルGPで見せた素早いピットストップ、そして第2戦パシフィックGPで自身が早々にリタイアした後、コースサイドにいた時に聞こえてきたベネトンB194の音だった。
第3戦サンマリノGPでセナが事故死した後、FIAはベネトン、マクラーレン、フェラーリの3チームに対し、エンジンマネジメントシステムのプログラミングデータを提供するよう求めた。その中でベネトンは、エンジンメーカーのコスワースが“商業的な理由”によりデータをFIAに渡すことを渋ったため、提出が遅れて罰金を科されることになった。
その年の暮れ、FIAはソフトウェアの解析を終了し、ベネトンのソフトウェアに“オプション13”と呼ばれるものが組み込まれていることを発見した。これは紛れもなくローンチコントロールシステムであり、ドライバーがワンアクションで発進できるようにするものであった。
ベネトンは、これらのシステムがテスト目的でしか使われていないと主張し、使用するには長い起動プロセスが必要だとしたが、FIAはドライバーがまるでゲームの“裏技”コマンドを入力する時のように、ステアリングホイールで一定の操作を行なうことによって起動させられることを突き止めた。しかし、FIAはこのシステムがレースで実際に使用されたという証拠を見つけることができなかった。
ベネトンはまた、給油ホースのリグにフィルターを付けていなかったことも発覚した。これにより素早い給油が可能となり、1回のピットストップで約1秒を短縮することができた。この事実は、ドイツGPでベネトンのヨス・フェルスタッペンが給油中に火災事故に見舞われたことで発覚したものであり、当時のベネトンのエンジニアは、フィルターがあれば火災を防ぐことができただろうと語っている。ただ、給油リグを管理していたインターテクニック社が、各チームにフィルターを外すように言っていたなどという証言もあり、ベネトンは罪に問われることはなかった。
これらの騒動をお咎めなしでかいくぐり、ミハエル・シューマッハーがドライバーズチャンピオンを獲得したベネトンだったが、チームとシューマッハーはシーズンを通してスチュワードから厳しい目を向けられており、いくつかの罰則も受けた。イギリスGPでは、フォーメーションラップ中にウイリアムズのデイモン・ヒルを追い越したことによるストップ&ゴーペナルティを消化しなかったため失格に。その後ベルギーGPでもスキッドブロックの寸法違反で失格となったことで、保留とされていた2レース出場停止処分が執行された。
3. ミハエル・シューマッハー、“故意”のアクシデント
Michael Schumacher (Ferrari F310B), Jacques Villeneuve (Williams FW19 Renault)
Photo by: LAT Photographic
ミハエル・シューマッハーは言うまでもなくF1史上最高のドライバーのひとりであり、7度のタイトルと91回の優勝がそれを物語っている。しかし、彼はグランプリの重要な局面で自らのアドバンテージが失われそうになる時、半ば強引な手段に出てルールのグレーゾーンを突くことも厭わなかった。
有名な3つのインシデントの内のひとつが、1994年最終戦、オーストラリアGPで起きたデイモン・ヒルとの接触事故だ。タイトル争いでシューマッハーがヒルを1ポイントリードした状態で迎えた最終戦、首位を走っていたシューマッハーはヒルからの猛追に耐えていた36周目の左コーナーでウォールにヒットし、ダメージを負った。次のコーナーでヒルがインから仕掛けるも、そこでふたりは接触。宙を舞ったシューマッハーはそのままリタイアとなり、ピットインしたヒルもサスペンションが致命的なダメージを負っており、そのままマシンを降りた。この瞬間、シューマッハーの初のワールドチャンピオンが確定したのであった。
その3年後、フェラーリに移籍していたシューマッハーは、ウイリアムズのジャック・ビルヌーブとのタイトル争いでも同じようなアクションをとった。またもシューマッハーの1点リードで迎えた最終戦ヨーロッパGP。前を行くシューマッハーに接近したビルヌーブがドライサックコーナーでインに飛び込むと、シューマッハーはイン側にマシンを寄せ、その結果フェラーリのタイヤとウイリアムズのサイドポッドがぶつかった。シューマッハーはこの接触でグラベルにコースアウトし、リタイア。ビルヌーブは結果的に3位でフィニッシュし、逆転タイトルを手にした。
この行為が故意のものだと判断されたシューマッハーは、1997年シーズンのドライバーズランキングから除外されるという重い裁定を受けた。
それから9年、フェラーリのシューマッハーはルノーの若手フェルナンド・アロンソとタイトルを争っていたが、モナコで疑惑の動きを見せることになる。
予選Q3でトップタイムを記録していたシューマッハーは、ラストアタック時にラスカスを曲がりきれずストップ。これによりイエローフラッグが出され、シューマッハーの後ろでアタックしていたアロンソはトップタイムを更新できなかった。ポールポジションとなったシューマッハーは、単にロックアップしただけだと主張したが、FIAは追い抜きが難しいモナコでポールを確保するための戦略的な行為であると判断し、シューマッハーは一転最後尾に降格させられた。スチュワードによると、シューマッハーが“ロックアップした”と主張する場面でのスピードは時速10マイル(時速16km)にも満たなかったという。
4. “ファスター・ザン・ユー”事件
Felipe Massa, Ferrari F10, Fernando Alonso, Ferrari F10
Photo by: Charles Coates / Motorsport Images
“Felipe, Fernando is faster than you. Can you confirm you understood the message?”(フェリペ、フェルナンドは君より速い。このメッセージの意味が分かるか答えてくれるかい?)
当時のフェラーリのレースエンジニアであったロブ・スメドレーがフェリペ・マッサに伝えたこの無線メッセージはあまりにも有名である。この無線交信が行なわれたのは、2010年のドイツGPである。
ひとつのチームにふたりのドライバーが所属するF1では、セカンドドライバーがエースドライバーに順位を譲るよう指示されたり、チームメイト同士でのアクシデントを避けるために順位をキープするよう指示される、いわゆる“チームオーダー”が存在する。しかし、2002年のオーストリアGPでフェラーリがチームオーダーを出し、ルーベンス・バリチェロがフィニッシュ直前でミハエル・シューマッハーに首位を譲った一件をきっかけに、このような行為がF1の評判を落とすと考えたFIAはチームオーダーを禁止とした。
その結果各チームは、マシンのモードやセッティングに関する用語を匂わせる暗号のようなメッセージを用いてチームオーダーを発出するようになった。2013年マレーシアGPでレッドブルのドライバーに出されたことで知られる“マルチ21”などもその一例である。
ただ、2010年のドイツGPで交わされた上記の無線によって、チームオーダーに関する論争が再燃することとなった。マッサは“指示”通りチームメイトのフェルナンド・アロンソに首位を譲り、フェラーリがワンツーフィニッシュを成し遂げたが、レース後にフェラーリは10万ドル(約1100万円)の罰金を科されてしまった。ただ、チャンピオンシップポイントに対する制裁がなかったのは幸運だったかもしれない。
FIAはこの一件を受けて、チームオーダー禁止の規則が形骸化して機能していないと判断し、2011年からこれを取り消すことを決定したのであった。
5. 今では絶対できない? ショートカット事件
Start action
Photo by: Motorsport Images
1950年代に活躍したアメリカ人F1ドライバー、ハリー・シェルは、キャリア初期こそ目立たない存在であったが、1958年にBRMに加入するとコンスタントに入賞を重ね、自己最高のランキング5位となった。そして翌1959年の最終戦、セブリングで行なわれた母国アメリカGPで、彼はクーパーT51にマシンをスイッチした。このレースで事件は起こる。
シェルは予選で3分05秒2という好タイムをマークし、3番手に。チャンピオンの可能性を残していたフェラーリのトニー・ブルックスを差し置いてフロントロウを確保したのであった(当時はフロントロウに3台が並んでいた)。フェラーリはフロントロウをクーパー勢に独占されたことにも腹を立てていたが、レース後にシェルの不正が発覚したことでさらに怒りに駆られることになる。
なんとシェルは、予選中にバックストレートを丸々ショートカットし、こっそりとコースに戻ってきていたのだ。当時のF1は現在に比べてメディアの注目度もそれほど高くなく、カメラもあちこちに設置されているという訳ではなかったためできた芸当と言える。スローダウンし、トラフィックが完全に過ぎ去るのを見計らってコースに合流したシェルだったが、結果的に伸ばせたタイムは数秒であった(ある意味絶妙な塩梅だったのかもしれない)。
因果応報とでも言うべきか、決勝でシェルはわずか6周でクラッチトラブルに見舞われてリタイアした。いずれにせよ、この大胆なショートカットと比べれば、現代のトラックリミットに関する議論はまだかわいい方かもしれない。
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