マンセルのF1キャリアを終わらせたマシン:マクラーレンMP4/10
1995年のスペインGPを最後に、F1のキャリアを終わらせたナイジェル・マンセル。彼にとっての最後のF1マシンは、マクラーレンMP4/10ということになった。
Nigel Mansell, McLaren MP4-10 Mercedes
LAT Images
1992年にF1王者に輝いたナイジェル・マンセルは、一度F1から退くも、1995年にはマクラーレンからF1に完全復帰した。しかし、わずか2レース走っただけでチームを離れることを決断。一体何が起きていたのだろうか?
ウイリアムズFW14Bを駆り、圧倒的な強さで92年のF1王者に輝いたマンセル。しかしウイリアムズは、翌年からはアラン・プロストを起用することを決定。マンセルはF1を引退することを決めた。そしてその後、1993年と1994年はアメリカに渡り、CARTを戦った(1993年は参戦初年度ながらチャンピオンに輝いた)。
しかし1994年、アイルトン・セナが事故死した後、その代役としてウイリアムズに復帰。F1で4レースを走り、最終戦オーストラリアGPでは勝利も収めた。
このことからマンセルは、ウイリアムズのドライバーとして1995年からF1フル参戦復帰を果たすのではないかと思われていた。しかし結局はマクラーレンに加入することを選んだ。
CARTを離れ、F1に戻るということは、様々な契約上の問題を解決するためにかなりの労力を要した。そして、彼の家族に激動をもたらすことになった。
マンセルがマクラーレン入りを果たしたのには、1994年末のロン・デニスとのミーティングが重要な役割を果たした。しかしデニスも当初は、マンセルはウイリアムズに加入するものと考えていた。
しかしマンセルは、マクラーレンとの契約書にサインした。デニスが語ったマクラーレンの可能性を、マンセルは信じたのだ。しかし彼が発見したのは、この時点でマクラーレンが後れを取っているということだった。
1994年に起きた悲劇的な事故の結果、安全性を向上させるためのレギュレーションが導入された。マクラーレンはその規則変更に振り回されていたのだ。
これに加え、エンジンにまつわる混乱もあった。1995年からマクラーレンはメルセデスエンジンの搭載を始めたが、前年はプジョー、その前年はフォード、そしてその前はホンダと、目まぐるしく搭載エンジンが変わっていた時期だったのだ。しかもこの間には、ランボルギーニV12を使う計画もあり、実際にテストしている。
ランボルギーニV12は、ラルースやミナルディが使っていたエンジンだが、親会社であるクライスラーは、名が広く知られたビックチームとの提携を模索していたのだ。しかし最終的には、この提携は実現しなかった。
エンジン供給の継続性は、当時のマクラーレンが抱えていた問題のひとつにすぎなかった。1995年のマシンMP4/10には、マンセルが勝利を争えるだけのパフォーマンスがないのは明らかだったのだ。その上、マンセルにとってはコクピットが小さすぎた。実際、マンセルは数周しか連続走行することができなかったのだ。
結局マーク・ブランデルが代役を務め、開幕戦と第2戦に出走。その間に、マンセル用の新たなモノコックが作られた。これによりマンセルの、ステアリングと格闘するようなドライビングスタイルを継続することができた。問題だったのは、彼の体型だけではなく、上半身の強さを活用するために肘の部分に余裕が必要な、そのドライビングスタイルにあったのだ。
McLaren MP4/10 Nigel Mansell cockpit
Photo by: Giorgio Piola
マンセルを乗せるために必要な変更は、マクラーレンにとって簡単なことではなかった。スペースを広げるためには、多くの変更が必要だったのだ。
それでも、マンセル用の”MP4/10B”はわずか2レースで準備が整い、第3戦サンマリノGPにはマンセルが出走することができた。
マンセルの求めに対応するための変更により、マシンのパフォーマンスを発揮できることが期待された。しかし、残念ながらそうはならなかった。
コクピットにはスペースが取られ、彼のドライビングスタイルを実現できるようになった。しかし、マシンの特性を克服することができず、開発を進めて問題を修正したとしても、マクラーレンでの日々を悪化させるだけだと彼も分かっていた。
マンセルが強さを発揮したのは、彼のステアリングホイールと格闘するドライビングスタイルが合う、フロントエンドの動きをするマシンに乗った時だ。彼はブレーキングを遅らせてコーナーに進入し、大きくステアリングを切ってマシンを曲げようとした。しかしMP4/10はマンセルが期待したようには動かず、アンダーステアを好むドライバー向きのクルマになっていたのだ。
彼の若いチームメイトであるミカ・ハッキネンは、この問題を回避することができていた。しかし長い経験を持つマンセルは、自分のスタイルを変更したとしても、上位チームとは明らかにペース差があると気付いていたのだ。
McLaren MP4-10 1995 overview
Photo by: Giorgio Piola
このマシンにはいくつか特徴的な部分があった。エンジンカウルは大きく、最近のシャークフィンのような形状となった。その上部には開口部が設けられ、そのすぐ後ろには、ミッドウイングが取り付けられた。またフロア下に気流を導くため、ノーズも非常に高いハイノーズとなった。マクラーレンとしては、最初の本格的なハイノーズマシンである。
しかしマンセルは、MP4/10はタイトルに近づけるだけのマシンではないことに気付いていた。そしてスペインGPでは、マシンの何かが壊れていると感じてピットに戻り、そのままリタイアとなった。これが、マンセルにとって最後のグランプリとなった。
ドライバーズタイトルを獲得し、31勝を挙げたマンセルのキャリアは、そんな残酷な形で終わることになった。
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