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セナだけが輝いていたわけじゃない……84年F1デビュー組、それぞれの運命

1984年のブラジルGPは、その年のF1世界選手権の開幕戦であった。しかしそれだけではない、アイルトン・セナ、ステファン・ベロフ、マーティン・ブランドルなど、有望な新人ドライバーの当たり年でもあったのだ。

Ayrton Senna, Toleman TG183B
Martin Brundle,  Tyrrell 012
Stefan Bellof, Tyrrell 012 Ford
Ayrton Senna, Toleman TG183B
Ayrton Senna, Toleman TG183B
Ayrton Senna, Toleman TG183B Hart
Ayrton Senna, Toleman TG183B Hart
Ayrton Senna, Toleman TG183B Hart
Ayrton Senna, Toleman TG183B Hart
Ayrton Senna, Toleman TG183B Hart
Ayrton Senna, Toleman TG183B
Martin Brundle, Tyrrell 012 Ford
Stefan Bellof, Tyrrell 012 Ford
Martin Brundle, Tyrrell 012 Ford
Stefan Bellof, Tyrrell 012 Ford, with Martin Brundle
François Hesnault, Ligier JS23 Renault
François Hesnault, Ligier JS23 Renault
Philippe Alliot, RAM 02 Hart
Philippe Alliot and Jonathan Palmer, RAM 02, 8th
Philippe Alliot, RAM 02 Hart
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 1984年のF1は、まさに大型新人の当たり年だと言われる。アイルトン・セナ(トールマン)を筆頭に、マーティン・ブランドル(ティレル)、ステファン・ベロフ(ティレル)など、後に活躍するドライバーたちが、開幕戦ブラジルGPデ最高峰レースでの第一歩目を刻んだのだ。

 その中で予選最上位だったのはセナだった。セナはポールポジションを獲得したエリオ・デ・アンジェリス(ロータス)から5.1秒遅れの16番手だったものの、チームメイトのジョニー・チェコットを上回った。

 前年、セナとイギリスF3のタイトルを争ったブランドルは、自然吸気エンジンのティレルを駆り18番手。ベロフは23番手だった。なお同じくルーキーであるフランソワ・エスノー(リジェ)は19番手、フィリップ・アリオー(RAM)は25番手である。

Ayrton Senna, Toleman TG183B

Ayrton Senna, Toleman TG183B

Photo by: Sutton Images

 決勝レースで最初に脱落したのはセナだった。セナのターボはわずか8周で音を上げ、マシンストップ。ベロフは11周でストップ、アリオーはバッテリー、エスノーはオーバーヒートでそれぞれリタイアしている。

 新人の中で最後まで生き残ったのはブランドルただひとり。しかも、いきなり5番手フィニッシュという大金星だった。しかし後にこの年のティレルは、いわゆる水タンク事件(水タンクの中に鉛や炭化水素を入れていた事件)が発覚し、同年のリザルトが全て剥奪されたため、この5位入賞は幻と化することになる。

 その1年後、ベロフはスパ・フランコルシャンで行われたグループCカーレースの際に大クラッシュを喫し、命を落とすこととなってしまう。ブランドルは、その事故をピットレーンから目撃した。

「ベロフは確かにワイルドだった。でも、一部の人々が言うように、クラッシャーではなかったよ」

 ブランドルはそう英国Autosportに語っている。

「ジャガーのマシンに乗り込もうとした時、オー・ルージュでその事故が起きたのを見た。確かにその事故は大きなモノだったが、深刻には見えなかったんだ」

Stefan Bellof, Thierry Boutsen, Porsche 956

Stefan Bellof, Thierry Boutsen, Porsche 956

Photo by: Motorsport Images

「その先のことは見なかったし、F1でのチームメイトが死んでいるとは思わなかった。でも当時のスポーツカーレースでは、次に何が起きるのか……という感覚があったんだ。それは1994年のイモラの週末(セナとローランド・ラッツェンバーガーが死去した週末)と同じような感じだった」

「私がいたところから見るよりも、明らかに大きなエネルギーがかかっていたみたいだ。そして私が理解しているところによると、彼が生存する見込みはなかったんだ」

 エスノーは84年を戦い終えた後、翌年からはブラバムに移籍。ただなかなか思うような結果を残せず、シーズン途中でシートを奪われることとなった。その後、ドイツGPではルノーの3台目のマシンに乗り、スポット参戦。そのマシンには、オンボードカメラが搭載されていた。ただこのレースを最後に、F1から退いている。

 アリオーはいくつかのチームを渡り歩き、109レースをスタート。ただ獲得ポイントはわずか7であり、表彰台獲得経験もない。1994年のハンガリーGPでは、出場停止となったミカ・ハッキネンに代わり、マクラーレンMP4/9・プジョーをドライブしている。

 セナは言わずもがな。3回のF1ワールドチャンピオンに輝く大活躍を見せたが、1994年のサンマリノGPで事故死している。一方でセナとイギリスF3タイトルを争ったブランドルは、9回の表彰台を獲得したものの、ついぞ優勝することができず……若き日のライバルと同等の活躍をすることはできなかった。しかし今でも、F1中継のコメンテーターを務めるなど、おなじみのひとりとも言える存在だ。

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