マクラーレンの最も印象的なF1マシンの開発物語:マクラーレンMP4/4・ホンダ
マクラーレン・ホンダMP4/4は、70年のF1の歴史の中でも最も成功したマシンだと言えるだろう。1988年にアイルトン・セナとアラン・プロストのコンビで16戦15勝。勝率は驚異の93.8%である。そのマシンの秘密を紐解いていく。
Giorgio Piola's colourized illustration of the McLaren MP4/4
ジョルジョ・ピオラ【F1メカ解説】
Analysis provided by Giorgio Piola
今から30年以上前、1988年のF1を席巻したのは、マクラーレン・ホンダだった。当時のマクラーレンのドライバーは、アイルトン・セナとアラン・プロストという、史上最強とも言えるコンビだ。
しかしこの年のマクラーレンの強さは、そのドライバーだけにあるのではなく、理想的なデザインチームとマネジメント陣、パワフルなホンダV6ターボエンジン、完璧なシャシー……その全ての要素の結晶である。
その全てを手に入れたマクラーレンは、このF1というスポーツの歴史上、もっとも支配的とも言える結果を手にしたわけだ。
マクラーレンは1988年からホンダとのパートナーシップをスタートさせた。そしてシーズン開幕へ向け、前年用マシンにホンダエンジンを搭載したMP4/3Bでテストをスタートさせた。
しかしシーズン開幕まであと4ヵ月という時点では、MP4/4は姿形もなかった。それどころか、設計図すら完成していなかったのだ。
マクラーレンは、どこかが突出したマシンではなく、オールラウンダーを生み出そうとしていた。しかし非常にタイトなスケジュールにより、実用的なアプローチを取ることになった。
Steve Nichols, Gordon Murray, Neil Oatley
Photo by: Sutton Images
マクラーレンMP4/4を誰が設計したのか、それは議論の分かれるところだ。マクラーレンではそれまで、ジョン・バーナードが設計の指揮を取っていた。しかしバーナードがフェラーリに移籍したことにより、ゴードン・マレーをブラバムから獲得。その間の空白期を埋めていたのはスティーブ・ニコルズだった。
ただマシンを見ると、マレーがブラバムでも採用していた車高の低いデザインが取り入れられていることが分かり、ドライバーもより寝た姿勢でコクピットに収まっているのが分かる。たしかに時代の流れではあるものの、マレーがブラバムにいた頃にデザインしたBT55の発展系であるというのは、疑いの余地はないだろう。
しかしレギュレーションの変更により、ドライバーの足がフロントアクスル(車軸)よりも後ろになければならず、さらに燃料タンクを小さくしなければならなかったことにより、マクラーレンは1988年シーズンの間に様々な開発を進めることになった。
McLaren MP4-2C 1986 cockpit and sidepod detail
Photo by: Giorgio Piola
またバーナード時代には、モノコック側面をフロアに向けて斜めに絞り込むデザインを採用していた。しかしMP4/4では、フロアに向けて垂直な側面を形成。これにより空力的なメリットを手にできただけでなく、車体のねじれ剛性も大幅に向上することになった。
これに大きく寄与したのは、マクラーレンが自社内にオートクレーブ(カーボンファイバーを加圧・加熱して整形するための窯)を用意したことだ。これにはかなりの出費を要したが、チームは様々なパーツを内製することができるようになった。
ヘラクレス・エアロスペースは、マクラーレンがMP4/1で初めて採用したフルカーボンファイバーのモノコックの実現に貢献した会社であり、その後も様々なパーツの製作でサポートしてきた。しかしこのMP4/4では、FRPの素材を供給したのみだった。
また、マクラーレンはトレンドとも逆行した。多くのチームは雌型のモノコックを採用していたのに対し、マクラーレンは雄型を採用し続けたのだ。
これはミスが発見されたり、開発の余地が見出された時には、ボディワークをすぐに修正できるということを意味していた。またフラットパネルのアプローチでは、マクラーレンは一方向のカーボンファイバー生地を使うことができるため、雌型のモールドを使うチームよりも強力な利益を手にすることになった。
このモノコックの最後の利点は、バスタブと呼ばれる構造である。基本的にはシート後方のバルクヘッド、ダッシュボード、サイドパネルといったコクピットの全体を占めていた。これは一体整形であり、完璧な構造とねじり剛性を向上させることになる。
このバスタブの品質は、時間の経過と共に改善されていくことになった。そのため、モノコックの他の部分とはその色味が異なる事例も存在した。
Ayrton Senna, McLaren MP4-4 Honda
Photo by: Rainer W. Schlegelmilch
このMP4/4は、空力面では目立った特徴はない。これは現在のF1と比較すると、実に奇妙なことにように思える。にもかかわらず、複数のサーキットの特性を克服するために、3つの異なる空力パッケージが用意されていた。
サイドポンツーンのレイアウトは、バーナードがMP4/1Cで取り入れた、ラジエターを通った気流の排出口を上部に配置する方法を捨て、側面に排出口を設ける形となった。
McLaren MP4-1C 1983 detailed overview
Photo by: Giorgio Piola
セナがロータスから移籍してきたのに伴い、チームはホンダのV6ターボエンジンを手にすることができた。それまでホンダエンジンは、ウイリアムズとロータスに供給され、特にウイリアムズの1986年、87年と2年連続でのコンストラクターズタイトル獲得に貢献していた。
このホンダの1988年用エンジンRA168Eは、700馬力の出力を誇るなど非常に強力だっただけでなく、燃費効率も優れていた。さらに、現在の基準と照らし合わせても高い信頼性を誇っていた。
1988年のレギュレーションでは、ターボのブースト圧の制限が前年までの4barから2.5barに引き下げられた。また燃料搭載量も、195リットルから150リットルに減少されることになった。また自然吸気エンジン搭載車に対し、ターボエンジン車は40kgのハンデキャップを背負わされることになった。
ホンダはこの損失を埋めるために、シェルと共同で特別な燃料を開発。これにより、幅広いトルクバンドを実現することになった。
ホンダのRA168Eエンジンはクランクシャフトが低いのが特徴で、1987年にTiltonがロータス用に開発した小型クラッチと組み合わされた。このTiltonのカーボンクラッチは直径わずか5.5インチ。他のチームは直径7.5インチのクラッチでも苦労していたが、Tiltonは優れた熱管理やスムーズな作動、高いトルク容量などを実現。これによりマクラーレンは、ホンダエンジンが要求することに対処することができた。
Mechanics work on the McLaren MP4-4 Honda of Alain Prost
Photo by: Rainer W. Schlegelmilch
このような低いクランクシャフトと小型のクラッチにより、マクラーレンはギヤボックスのデザインに関して、既成概念にとらわれない発想が必要だった。この問題を克服するために、ゴードン・マーレイはブラバム時代にも共に仕事をしたワイズマンに協力を依頼した。
ワイズマンはエンジンを可能な限り低く保ち、ドライブシャフトの角度に悪影響を及ぼさない、3シャフトのギヤボックスを考案した。ロータスは一般的な2シャフトのギヤボックスを使用していたが、低い位置にクランクシャフトがあることに対応するため、エンジンを少し傾けたこととは対照的だ。
ギヤボックスのデザインは、ホンダエンジン同様、オイルシステムに特に注意が払われた。いずれもドライサンプを使用し、温度の制御、信頼性の向上などを達成し、マシンにかかる大きなGフォースにも耐えることができた。
McLaren MP4-4 1988 overall view
Photo by: Giorgio Piola
マクラーレン・ホンダMP4/4は、間違いなくその時代を代表するマシンの1台であり、F1の歴史の中でも特筆すべきマシンの1台である。しかも様々な逆風を克服し、ターボ時代の最後を飾った傑作マシンと言えるだろう。
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