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トヨタが勝つ”べき”だったグランプリ:2009年F1バーレーンGP

今から11年前、トヨタは間違いなく、F1での初勝利をバーレーンで祝っていたはずだ。ヤルノ・トゥルーリがポールポジションからスタート……しかし、それを結果に繋げることができなかった。

Timo Glock, Toyota TF109

Timo Glock, Toyota TF109

Rainer W. Schlegelmilch

 2009年のF1シーズン終了直後、トヨタは東京で記者会見を開き、このシーズン限りでのF1撤退を発表した。大規模な体制で8年間にわたってF1に挑んだにもかかわらず、結局1勝も挙げられずに終わった。

 当時は世界が金融危機に見舞われていた時代。前年にはホンダが、そしてトヨタと同じ2009年にはBMWが、相次いでF1から撤退。それまでは、世界各国の巨大自動車メーカーの戦いだったF1の姿が変わるタイミングでもあった。

 ただこの2009年のバーレーンGPでトヨタは、限りなく勝利に近づいた。

 ヤルノ・トゥルーリはポールポジションからレースをスタート。レース中のファステストラップもマークした。しかし最終的には、勝ったジェンソン・バトン(ブラウンGP)から9.1秒遅れの3位に終わった。このグランプリで最も速かったのは、間違いなくトヨタだ。しかし、なぜそれが勝利に繋がらなかったのだろうか?

 2009年のF1シーズンは、非常に珍しい形で始まった。同年、F1はレギュレーションが大きく変更。フロントウイングが幅広く、リヤウイングが高くなり、様々な空力付加物を搭載する事が禁止された。また、KERS(運動エネルギー回生システム)の使用も許されることになった。

 シーズン序盤、特に強さを見せたのは、ホンダのマシンとファクトリー、スタッフなどを引継ぎ、メルセデスのエンジンを搭載したブラウンGPだった。ブラウンGPはダブルディフューザーを採用して、大きなダウンフォースを生み出し、これによって高いパフォーマンスを発揮した。

 このダブルディフューザーはトヨタも採用。それもあって、シーズン序盤から高い競争力を示した。また、ダブルディフューザーを持っていなかったにもかかわらず、レッドブルが3番目の戦闘力を発揮した。

 対して、前年まで勝利を争ってきたフェラーリ、マクラーレン、ルノーなどのマシンのパフォーマンスは低迷。ブラウンGPは新規参戦、トヨタとレッドブルは当時まだ未勝利のチームであり、勝利に向けた”意思決定”に関して、うまくいかないことがあったとしても、驚くべきことではなかった。

 とはいえトヨタは、年々戦略が改善されつつあり、難しい状況からポイントを獲得することもあった。

 ブラウンGPはバトンが開幕戦オーストラリアと第2戦マレーシアを連勝、セバスチャン・ベッテルが第3戦中国GPでレッドブル・レーシングにF1初優勝をもたらした。

 トヨタは開幕戦で、リヤウイングの問題のためにピットレーンからのスタートとなったにもかかわらず、トゥルーリが3位、チームメイトのティモ・グロックが4位を獲得。マレーシアでもグロック3位、トゥルーリ4位となり、同年のマシンTF109のパフォーマンスの高さを示した。チームが戦略をまとめさえすれば、非常に大きな可能性が広がっている……周囲はそう見ていた。そしてバーレーンはその最大のチャンスであるように思われた。

Jarno Trulli, Toyota celebrates his pole position in parc ferme

Jarno Trulli, Toyota celebrates his pole position in parc ferme

Photo by: Sutton Images

 トヨタは2005年に2度のポールポジションを獲得している。ひとつ目はアメリカGP……ミシュランタイヤ装着マシンが、フォーメーションラップを走っただけでリタイアした、あのレースだ。当時、レースを走らないことはほぼ規定路線だったため、超軽量で走ったトゥルーリが、最速ラップをマークしたのだ。また雨の影響を受けた同年の鈴鹿では、ラルフ・シューマッハーがチーム2度目のポールポジションを獲得している。

 そういう意味でバーレーンは、最初の”適切な”ポールポジションだったとも言える。当時の予選は、スタート時に搭載する燃料を積んだ状態で走らなければならなかった。つまりその時点で、レースの最初のピットストップが計画されていなければならなかったのだ。

 そんな中でトゥルーリが最速をマーク。2番手にはグロックがつけた。トゥルーリのラップタイムは、3番手ベッテルよりも0.6秒も速いモノだった。4番手にはバトンがつけたが、これは彼にとっては予想通りのモノではなかった。最初の2〜3レース、ブラウンGPは多くの燃料を搭載したとしても、ポールポジションを手にすることができたのだ。

 ただ当時のコンディションは、ブラウンGPのマシンに適したモノではなかった。BGP001はホンダが作ったシャシーに、急遽メルセデスエンジンをパッケージングしたもの。そのため灼熱のバーレーンで、エンジン冷却に関する問題が生じたのだ。

 スタートでも、トヨタのふたりが好スタートを決める。バトンはベッテルを抜いたが、KERSのパワーを活かしたルイス・ハミルトン(マクラーレン)がその前に出ることになった。ブラウンGPやレッドブル、そしてトヨタは、KERSを積むことによる重量増を嫌うなどして、KERSを搭載しなかった。マクラーレンはKERS搭載することを選んだが、このデメリットがあったとしても随所で最高速を伸ばすというメリットを発揮した。

Timo Glock, Toyota TF109, Jarno Trulli, Toyota TF109, Lewis Hamilton, McLaren MP4-24 Mercedes, Jenson Button, Brawn GP BGP001 Mercedes, Sebastian Vettel, Red Bull Racing RB5 Renault, head into the first corner

Timo Glock, Toyota TF109, Jarno Trulli, Toyota TF109, Lewis Hamilton, McLaren MP4-24 Mercedes, Jenson Button, Brawn GP BGP001 Mercedes, Sebastian Vettel, Red Bull Racing RB5 Renault, head into the first corner

Photo by: Motorsport Images

「良い動きだった。それを確実にすることが、僕にとってはとても重要だったんだ」

 バトンはそう語った。

「それは、僕がトヨタを追いかけることができるということを意味していたし、そのための確かなコースがあった。もし僕が彼(ハミルトン)の後ろで詰まってしまっていたら、僕はオーバーヒートに苦しんだだろう」

 バトンがそう語ったように、彼は他のマシンの真後ろを走らないようにすることが重要だった。その結果、彼はエンジンの温度をコントロールすることができたのだ。そのため、最初の11周はグロックの3秒後方に留まっていたのだ。

 バトンは前を行くグロックよりも4周分、先頭を行くトゥルーリよりも3周分多くの燃料を搭載していた。このことはとても重要だった。そしてトヨタは最初のピットストップで、2台のマシンに硬いプライムタイヤを装着させる。その決断ミスもあり、2台は大きくタイムを失うことになった。

 バトンは15周目にピットストップを終えた後、トヨタの前に出ていた。

「彼らは3ストップのレースをするつもりだと思った」

 そうバトンは語った。

「彼らは金曜日と土曜日に、ブレーキの温度とその摩耗に苦労していた。だからおそらく、12周の走行をするためにプライムに拘り、その後でオプションに戻すと思っていたんだ。でも、そうじゃなかった」

 バトンがそう推測したように、トヨタは当初、3ストップ戦略を採るつもりだった。そうすれば、最初に少ない燃料を搭載していたというのも肯ける。しかしトラフィックの影響などもあり、チームは2ストップに変更。第2スティントでプライムタイヤの使用義務を消化することを決めた。しかし、それがうまくいくことはなかった。

「我々は3ストップができる可能性を開いておきたかった。トラフィックに遭うことなく、それができると思っていた。そこまではあともう少しだったんだ」

 当時トヨタのエンジニアリング部門のトップだったパスカル・バセロンは、チェッカーフラッグ後にそう語った。

「それは良い戦略だっただろう。それを成し遂げるまで、あとほんの僅かだったんだ。その後、トラフィックに遭遇することが分かった時に、バックアップの戦略を選んだ。これはある面で、期待通りには機能しなかった」

「プライムタイヤは、レース中盤の段階では、予想よりもはるかに悪かった。レースの終盤より、中盤で使った方が良いと思っていたんだ。しかし、それは逆だった」

Jarno Trulli, Toyota

Jarno Trulli, Toyota

Photo by: Sutton Images

 トゥルーリは自身のペースに苦労しただけではなく、3番手を走るベッテルを抑え込むのにも苦しんだ。これは首位に立ったバトンにとって、絶好のレース展開だった。

「そのことは僕らを大いに助けてくれた」

 バトンはそう語った。

「ベッテルが明らかに、トゥルーリの後ろで苦しんでいたからだ。ベッテルが彼を抜いていたら、レースの結果がどうなっていたのかはわからない。彼とのペースは、どちらのタイヤでも同じようなモノだった」

「トゥルーリが僕よりも0.8秒遅く、そしてベッテルがそこに引っかかっているのを見た。『わお! これこそ僕らに必要だったことだよ』と思ったんだ。僕はベッテルを14〜15秒引き離したけど、そのリードでもまだ警戒していた。レースがどうなっていくのか、まだ正確には把握できていなかったからね。僕はエンジニアと無線で話をして、何が起きているのかを考えたんだ」

 ベッテルは2度目のピットストップでトゥルーリの前に出ることができたが、時すでに遅し。バトンの7秒後方だったばかりか、トゥルーリに真後ろに迫られていた。

 トゥルーリはベッテルとは戦略を違えていたため、グリップの高いオプションタイヤを装着し、優れたパフォーマンスを発揮した。しかし、第2スティントのベッテルと同じように、そのパフォーマンス差をもってしてもオーバーテイクには至らなかった。

 ポールポジションからスタートしたにもかかわらず、3位フィニッシュ……その結果はトゥルーリにとって、最悪の結果のようにも思える。しかし2番グリッドから7位に転落してしまったグロックにとっては、さらに悪い結果だった。

「レース後にそのレースを振り返る……そんなのはいつでもできる」

 そうバセロンは語った。

「開発が進んでいれば、もっと多くの燃料を搭載できていたかもしれない。それでもまだ、我々はポールポジションを獲得し、異なるレース展開になっていただろう。それは明らかだ」

「土曜日の時点での戦略は、ポールポジションになることを目指したモノじゃなく、特定の方法でタイヤを使うことを目的としたモノだった。そして、序盤に3回のピットストップができないことが余儀なくされた時、予想通りにはいかなかった」

「我々が目指していたのは、マシンからできる限り最高のペースを引き出すのに安全な形でタイヤを使うことだった。3回のストップで、3スティントをオプション、1スティントでプライムを使うモノだった」

「しかし、2番目のスティントを引き伸ばす必要があったため、それは異なる形になってしまった。プライムが論理的な選択だったんだ。ヤルノはとても良い仕事をした。状況を考えると、彼は最善を尽くしたと思う」

Jarno Trulli, Toyota

Jarno Trulli, Toyota

Photo by: Sutton Images

 奇妙なことは、トゥルーリのマシンは、計算上ではチームメイトよりも2周多く走れるはずだったということだ。しかし実際にトゥルーリは、グロックよりも1周多く走っただけだった。チームも、その原因については理解できていなかったようだ。

「それは、我々が説明しなければならないことのひとつだ」

 そうバセロンは付け加えた。

「ヤルノは1周後にピットストップすることになった。これが、予定していた戦略を実施できなかった原因のひとつだ。当初の予定では、彼のピットストップは13周目だったはずだ」

 そのことが決定的な違いをもたらしたかもしれない。もし予定通り2周遅れてピットストップすることができていれば、先にプライムタイヤを履いたグロックがバランスの悪さを報告し、チームがそれを考慮することができる余裕が生まれたかもしれない。そうすれば、トゥルーリは再びオプションタイヤを履くということもできたはずだ。それができれば、レースの展開は変わっていた可能性もある。

「ティモがヤルノ以上にプライムタイヤに苦労した理由ははっきりしていない」

 そうバセロンは語っていた。

「それは説明できるようにしなきゃいけない。最終的には表彰台を確保することはできたが、我々が望んでいたポジションではなかった」

「ポジティブに考えるのは本当に大変だ。このレースは勝てたはずなのだから! 我々はレースに勝てる可能性があった……だから、ただ失望するだけだ」

Jarno Trulli, Toyota celebrates his third position with the team

Jarno Trulli, Toyota celebrates his third position with the team

Photo by: Sutton Images

 猛暑のバーレーンで、トヨタは間違った戦略を採った。それでも、マシンのパフォーマンスを考えれば、F1での初勝利は時間の問題であるようにも思えた。しかし、その日が訪れることはなかった。それ以降、ポールポジションを獲得することはなく、グロックがシンガポールGPで2位となり、トゥルーリも鈴鹿でそれと並ぶ成績を収めたが、そこまで。チームではすでに、F1撤退の計画が進んでいた。

「正直に言って、今シーズンにはもっと期待していた」

 トゥルーリは年末にそう語った。

「特にとても良いシーズンスタートを切った後、チームがもっと良い形で進歩することを期待していたんだ。問題は、これが僕らだけじゃなくて、全ての人たちにとって奇妙なシーズンだったということだ」

「とても競争力があることもあれば、まったく競争力がないこともあった。その理由は分からないんだ。僕らはとても良いシーズンスタートを切った。そしてバーレーンでは、トヨタがフロントロウを独占した。でも、モナコでは最後尾にいたんだ。正しく説明する方法が見つからないんだよ」

「優勝したマシン、もしくは1レース前にポールポジションを獲得したマシンが、モナコで最後尾になるなんて、想像できないだろう。僕にとってそれは少し奇妙に聞こえる。説明するために何を言えばいいのか、その答えが見つからない。でも間違いなく、クレイジーなシーズンだった」

「僕らは基本的に、シーズン序盤には2番目に速いクルマだった。おそらくバーレーンでは、勝利を目指して戦うことができたはずだ。しかし、勝つためには全てのことを正しく行なうことが必要で、あらゆる分野で競争力が高くなくてはならない」

 もしバーレーンで勝つことができていれば、それはターニングポイントになったかもしれない。その1勝はチームに大きな自身を与えるだけでなく、金融危機のトンネルの向こうに光があり、F1を続ける価値があることを、会社の上層部に納得させることもできたかもしれない。

 その一方で、バトンにとってはタイトル獲得のための、重要な1戦だったと言える。ホンダ時代に苦しんだチームは、勝利のために正しい指示を実施するのがいかに難しいか、それを証明したのだ。

「目の前にセーフティカーや、リヤライトがない形でチェッカーを受けたのは初めてだったよ」

 バトンはそうレース後に冗談交じりでそう語った。

「素晴らしいレースだったけど、とても厳しいレースでもあった。予想していたようなペースがなかったから、厳しい週末だった」

「10秒先行していたとしても、まだ気を抜くことはできない。そういう時こと、ミスを犯しやすいんだ。そして、トラフィックも難しかった。通常なら上位を走るはずのマシンが上位を走っておらず、僕らは彼らを周回遅れにしていった。今では、彼らが周回遅れにされることをどう感じるか、分かっただろうね」

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