【ギャラリー】今季こそ古豪の復活なるか? 名門ウイリアムズの歴史を彩る名車たち
フェラーリやマクラーレンと並び、F1を代表する名門チームであるウイリアムズ。近年はタイトル争いから遠ざかっているが今季こそ古豪復活となるだろうか。
フェラーリやマクラーレンと並び長い歴史を持つ名門チームであるウイリアムズで活躍したマシンたちをピックアップ。復活の日はいつか?
1. FW06(1978年~1979年の第4戦)
エンジニアリング・ディレクターとしてチームを長年支えたパトリック・ヘッドが手掛けた最初の1台。
創設者のフランク・ウイリアムズは自らが興したフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズを手放し、ヘッドと新チームとしてウイリアムズを1977年に設立。マーチから購入したマシンでF1を戦いながら体制を整え、実質的な1年目にして表彰台を獲得してみせたのだから驚きだ。
このマシンが登場する前年、ロータスがグラウンド・エフェクトカーのロータス78で4勝を挙げたことで他のチームはそれに追随したが、ウイリアムズはあえてそうしなかった。
他のチームがグラウンド・エフェクトカーを飼いならすのに苦労する中で、新加入のアラン・ジョーンズが15戦目のアメリカ東GPで2位表彰台を獲得した。
1979年の第4戦アメリカ西GPではジョーンズが3位表彰台を獲得し、満を持して投入したグラウンド・エフェクトカーであるFW07へと栄光のバトンをつなげた。
2. FW07(1979年第5戦~1982年第3戦)
ウイリアムズが初めて投入したグラウンド・エフェクトカーであり、最初のタイトルをもたらした1台。改良が重ねられハイパフォーマンスを維持したことからも、1978年をグラウンド・エフェクトの追求に費やしたことが正しい決断だったことを証明している。
1979年の第9戦イギリスGPではジョーンズがポールポジションを獲得。決勝ではジョーンズがリタイアした一方、チームメイトのクレイ・レガツォー二が念願のF1初優勝をチームに届けた。シーズン後半はジョーンズが3連勝を飾るなど、コンストラクターズランキング2位となっている。
1980年には改良型のFW07Bが登場。ジョーンズが5勝をマークしてドライバーズチャンピオンに輝き、コンストラクターズランキングでは2位のリジェに倍近い差をつけた。
レギュレーション変更に対応したFW07Cは、開幕2戦連続ワンツーフィニッシュと好スタートを切ったものの、ジョーンズとカルロス・ロイテマンの関係が悪化。コンストラクターズタイトルこそ連覇したものの、この対立が災いする形でドライバーズタイトルは逃した。
なおD型は実戦投入こそされなかったものの、リヤ4輪の6輪車として有名だ。
3. FW11(1986年)&FW11B(1987年)
1983年から始まったホンダとのタッグが結実し、チームにとって3度目のコンストラクターズタイトルを獲得したのが1986年。当時のマシンはFW11である。
同年のウイリアムズは全16戦9勝をマークする活躍を見せたが、ネルソン・ピケとナイジェル・マンセルは、三つ巴の争いの末マクラーレンのアラン・プロストに敗れ、ドライバーズタイトル獲得を逃した。
1987年に投入されたFW11Bは、ターボエンジンに対する規制強化をはねのけ、16戦中11戦で表彰台に上がったピケがドライバーズタイトルに輝き、チームもコンストラクターズタイトルを獲得した。
この年限りでホンダエンジンを失ったウイリアムズは、しばらくマクラーレンの黄金時代を許すことになった。
4. FW14B(1992年)
セミATギヤボックス、アクティブサス、トラクションコントロールといったハイテク装備を武器に、圧倒的なパフォーマンスを見せたマシン。言わずと知れた空力の鬼才エイドリアン・ニューウェイと、ヘッドが設計した1991年のFW14を改良した1台だ。
当初はシーズン序盤のみ使用する予定だった暫定マシンだったが、そのまま1シーズンを戦うことになったというエピソードも、その強さを物語っている。
モナコGPでは首位を独走していたマンセル車のホイールにトラブルが起き、マクラーレンのアイルトン・セナとの激戦の末敗れたことがあまりにも有名だ。
結果的にはマンセルが16戦中9勝、リカルド・パトレーゼが1勝をマークしている。
5. FW15C(1993年)
FW14Bが作り出した時間的余裕を存分に活かしたFW15Cもまた、名車の1台。休養明けのプロストが7勝、デイモン・ヒルが3勝している。
パワーステアリング、パワーアシストブレーキ、アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)などハイテク装備がさらに追加され、アクティブサスもさらに洗練された。
なお、この年でメインスポンサーだったキヤノンやキャメルとの契約を終了。強いウイリアムズを象徴するカラーリングも見納めとなった。
6. FW16(1994年)
アイルトン・セナが事故死した、悲劇の1台。ハイテク装備が一斉に禁止され、神経質な挙動を見せた。
皮肉にも、セナの死後に相次いだレギュレーション変更に対応する中で、投入された改良型のFW16Bは神経質な空力特性が改善された。
デイモン・ヒルが6勝、マンセルが1勝を挙げてウイリアムズはコンストラクターズチャンピオン3連覇を成し遂げた。なお、惜しくも1ポイント差でミハエル・シューマッハー(ベネトン)に敗れ、ヒルは戴冠を逃している。
7. FW18(1996年)
5勝したもののタイトル獲得を逃した前年のFW17(B型含む)を改良したマシン。16戦中12勝という記録は、FW14BやFW15C(ともに16戦中10勝)を上回り、チーム史上最多だ。
2022年にグラウンド・エフェクトカーが復活するまで、ニューウェイが得意としていたハイレーキ(マシンを前傾させる)コンセプトを初めて採り入れている。
すでにCART(現インディカー)で実績を残していたとは言え、ジャック・ビルヌーブが鮮烈のF1デビューを飾った印象も強い1台だ。
8. FW19(1999年)
現状、ウイリアムズが最後にタイトルを獲得した1台となっている。ビルヌーブが7勝し、ダブルタイトルを獲得している。
マシン開発の要であったヒルとニューウェイがお家騒動でチームを離れ、チームも翌年のレギュレーション変更に備えたため、あまりアップデートが行なわれなかったと言われているが、ライバルの不運もあってタイトル争いが最終戦までもつれ込んだ。
シューマッハーとの接触で物議を醸す形とはなったものの、ビルヌーブはF1デビュー2年目にしてタイトルを獲得してみせた。
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