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儚くも散った天才、ジル・ビルヌーブの生涯(3):「最後の週末」

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儚くも散った天才、ジル・ビルヌーブの生涯(3):「最後の週末」
執筆:
2020/05/11 10:05

フェラーリF1のスター、ジル・ビルヌーブがゾルダーで命を落としてから38年が経つ。この特集ではビルヌーブの最後の週末とそれに至るまでの出来事を振り返っていく。今回はその最終回だ。

 フェラーリの伝説的F1ドライバーであるジル・ビルヌーブを半生を辿るこの特集。最終回となる今回は、ビルヌーブが命を落とした1982年ベルギーGPの週末を振り返っていく。

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 1982年サンマリノGPでのチームオーダーを巡って、フェラーリのビルヌーブとディディエ・ピローニの関係は一気に冷え切った。ピローニが自分を裏切り、優勝を奪っていったのだと考えたビルヌーブは大きなショックを受け、そしてピローニに対して憎悪の感情を抱くようになった。

 翌戦の舞台は、ベルギーのゾルダー。ヘリコプターでサーキットに到着したビルヌーブの頭の中にあったのは「ピローニを倒すこと」。ただそれだけであった。文字通りの“戦争”だったのだ。

 妻のジョアン、子供のメラニーとジャックといった彼の家族はモナコにいたため、彼はひとりホテルに滞在した。家族が側にいなかったこともあり、彼はくすぶる怒りを鎮めることができなかった。

 金曜日に行なわれた予選初日でビルヌーブは5番手につけた。しかし彼にとって重要だったのは順位ではなく、ピローニよりも10ポジション上で、タイムも1.2秒速かったということである。こうして土曜の最終予選へと向かっていった。

 筆者である私、アダム・クーパーはこの日、観客としてゾルダーにいた。そして土曜の夜、パドックでビルヌーブとすれ違った。彼は非常に険しい表情をしていて、サインをねだる者たちを相手にすることなくガレージへ消えていった。

 そしてそれから約1時間が過ぎた。ピローニにコンマ1秒上回られていたビルヌーブは、最後のアタックをするため、ピットを離れた。しかしトラフィックによりクリアラップを刻むのが難しく、ピローニのタイムを上回れないまま、タイヤがベストな状態を過ぎてしまった。

何としてもピローニのタイムを上回ろうとしたビルヌーブだったが……

何としてもピローニのタイムを上回ろうとしたビルヌーブだったが……

Photo by: Motorsport Images

 ピットに呼び戻されたビルヌーブは、シケインを抜け、続く左コーナーへと進入していった。そして彼の前にはスロー走行をしているヨッヘン・マスのマーチがいた。

 ベテランのマスは1977年、ビルヌーブがマクラーレンからF1デビューした際に同チームに所属しており、その後も交流があったため、ビルヌーブのことはよく知っていた。今回がグランプリ100戦目となるマスは、予選アタックを終えてピットに戻る最中だった。

 ミラーに赤い閃光を見たマスは、右にマシンを寄せ、ビルヌーブが左から追い越せるように進路を譲った。しかしその瞬間にはビルヌーブは既に自分の進路を決めており、マスと同じ右側にマシンを振った。

「ゾルダーでジルは、予選で自分より速いタイムを記録していたピローニを倒すという、大きなプレッシャーにさらされていたと思う」

 そう回想するのは、ビルヌーブの元チームメイトであり親友のジョディ・シェクターだ。

「そういった状況に陥ることは誰でもある。私はモナコでTVカメラマンを跳ねてしまいそうになったことを覚えている。実際には私の方が速かったが、その時はジルの方が速いと思っていたからだ。必死になると、アグレッシブになってしまう」

「確かに私もレーシングカーの中で腹を立てたことが何度もある。セッションが終わりに近付くに連れて、怒りが増してきて、愚かなことをしてしまったり……」

「ゾルダーで何が起こったのか、正確には分からないが、ジルは成功しないチャンスに懸けた。そこにはないギャップに飛び込んだんだ」

 ビルヌーブが最後に見たのは、自分が選んだのと同じ方向に動いたマスのマシンだった。フェラーリの左フロントタイヤはマーチの右リヤに接触し、フェラーリのマシンは宙を舞った。その場面はちょうどテレビカメラからフレームアウトしているが、次にフレームインしたのは、激しく回転してバラバラになったフェラーリのマシンと、そこからシートごと投げ出されるビルヌーブだった。

空中で回転したフェラーリのマシンは大破

空中で回転したフェラーリのマシンは大破

Photo by: Motorsport Images

 ビルヌーブはコーナー外側のキャッチフェンスに叩きつけられる格好となった。ヘルメットは頭から外れていたが、シートベルトは装着されたままだった。

 マスはすぐさまマシンを飛び降り、駆け付けたルネ・アルヌーやデレック・ワーウィックらと共に、何かできることはないか考えた。ピローニが現場に到着した時、マスは彼を遠ざけた。

 数分後、私はピローニが真っ赤な顔をしてパドックを歩いているのを見た。彼はその時ふたつのヘルメットを抱えていた。ひとつは自分のもの。もうひとつは酷く傷付いたビルヌーブのヘルメットだった。彼はフェラーリのモーターホームに向かい、そのドアを閉めた。

 その後何者かがモナコの自宅にいるシェクターに連絡し、ビルヌーブのクラッシュについて伝えた。シェクターはすぐさまビルヌーブ夫人のジョアンにそれを知らせ、自身の当時の妻パムと共にベルギーに向かった。

 ビルヌーブはルーヴェンの病院に搬送されたが、首を骨折するなどかなりの重傷を負っていた。あとはジョアンがやってきて、生命維持装置を切ることを許可するのを待つ……そんな状況だった。そしてその日の夜、ビルヌーブは息を引き取った。悲しみに暮れるフェラーリチームは、このグランプリから撤退して家路に着く準備を既に始めていた。

 ビルヌーブの死はレース界に大きなショックを与え、フェラーリの地元・イタリアと彼の母国であるカナダは喪に服した。フェラーリの御大であるエンツォ・フェラーリは数多くのドライバーの死を目の当たりにしてきたが、ビルヌーブを失ったショックは計り知れなかったという。しかしフェラーリ不在の中、いつものようにグランプリは続けられたのだった。

「ジルは1982年にチャンピオンを獲っていたかもしれない。フェラーリは確かに速かった」とシェクターは言う。

「しかしそれは今となっては誰にも分からない……彼はまだ若手だった。私もかつてはアグレッシブなドライバーだったが、時が経つにつれてレースをフィニッシュしなければいけないということに気付いたんだ」

「ポイントをうまく稼ぐこと、それがチャンピオンになるための方法だ。ただ彼は一周で誰よりも速く走ることが重要だと思っていた。そして予選用タイヤを履いて速いラップを刻む彼の姿は、ある意味で人々に愛されていた」

 

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この記事について

シリーズ F1
ドライバー Gilles Villeneuve
執筆者 Adam Cooper