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角田裕毅、渡欧からわずか2年でF1昇格。関係者たちが目の当たりにした彼の“すごさ”とは?

FIA F2のルーキーシーズンで大躍進を遂げ、F1シートを射止めた角田裕毅。彼を特別な存在にした要因は何なのだろうか? 角田本人と、彼と共に仕事をしてきた人間に話を聞いてみた。

角田裕毅、渡欧からわずか2年でF1昇格。関係者たちが目の当たりにした彼の“すごさ”とは?

 2021年には、史上初めて2000年代生まれのドライバーがF1でレースをすることになる。アルファタウリの角田裕毅だ(同じくルーキーのミック・シューマッハー、ニキータ・マゼピンは1999年生まれ)。彼は昨年のFIA F2でその速さとレース運びの巧さを見せつけただけでなく、持ち前の知性で同僚たちを感動させてきた。

 motorsport.comはアルファタウリのZoomを利用して、ヤス・マリーナ・サーキットと筆者の自宅を繋ぐことで角田にインタビューを行なうことができた。角田は丁寧にお辞儀をして挨拶を交わしてくれたが、メディア担当の女性にマスクを外してもいいと声をかけられた。5000km以上離れた場所からコンピュータを通しての感染リスクは、ゼロと言っていいだろう。彼は本当に好青年だ。

 このインタビューが行なわれたのは、角田が来たるF1デビューに向け、アブダビでのポストシーズンテストに臨む直前。しかしほんの数週間前まで彼はF2で激しいランキング争いを繰り広げており、F1参戦に必要なスーパーライセンス獲得に向けた最低条件であるランキング5位以上をクリアできるかどうか、不透明な状況だった。

 バーレーンで行なわれた終盤2ラウンド、その1ラウンド目の予選ではスピンを喫してグリッド最後尾に。レース1ではそこから挽回して6位に入ったものの、レース2では1周目の接触でパンクに見舞われ入賞を逃した。この時点で角田のランキングは5番手。最終ラウンドに向けて緊張感が高まっていた。

「正直なところ、バーレーンでの1ラウンド目から2ラウンド目までの間はとても緊張していました」と角田は振り返る。

「もちろんプレッシャーも少しありました。ただ、1ラウンド目のフィーチャーレースでのペースはとても良かったですし、予選もスピンをしてエンジンが止まってしまったものの、楽にトップ3に入れるようなポテンシャルがあったと思います。だから自信は変わらず持ち続けていました」

「マット(オグル/カーリンの角田担当エンジニア)とはどうやって状況を改善するかたくさん話し合いましたし、臨床心理士も精神的にどういった準備をすればいいかアドバイスをくれました。だから悪くはない状態でした」

Robert Shwartzman, Prema Racing and Yuki Tsunoda, Carlin

Robert Shwartzman, Prema Racing and Yuki Tsunoda, Carlin

Photo by: Mark Sutton / Motorsport Images

 スーパーライセンスを獲得することは、レッドブルジュニアの人事権を握るヘルムート・マルコから課された最大のミッションであった。F3での経験が1年しかないまま(優勝もスプリントレースの1回のみ)F2に上がった角田にとって、それを成し遂げることはかなり難しいことだと言えた。

「ヘルムートからは、スーパーライセンスを獲得するためにはシーズン中に最高の状態でなければならないと言われました」と角田。

「それが僕にとってメインの目標になりましたが、ルーキーシーズンですし、ホイールも18インチになりますし、簡単なシーズンになるとは思っていませんでした。大変なシーズンになるだろうと。でもほぼ完璧な形でシーズンを締め括れたので、間違いなく僕自身成長できたと思っています」

 角田の言う通り、彼の最終ラウンドでのパフォーマンスはほぼ完璧に近かった。FIA F2では1ラウンドで獲得できる最大ポイント数が48となっているが、角田は43点を一気に稼いだ。最終的にチャンピオンとなったミック・シューマッハーとのポイント差を48から15まで縮め、スーパーライセンス発給条件“一発クリア”となるランキング3位を手にしたのだ。

 少し過去に話をさかのぼろう。角田は2018年に日本のFIA F4でチャンピオンに輝いた後、わずか2年でアルファタウリのF1シートを獲得したわけだが、彼はF4でのタイトルが確定する直前、F3ヨーロッパ選手権に参戦するモトパークのテストに参加するため、ヨーロッパに渡った。当時のモトパークにはレッドブルジュニアのダニエル・ティクトゥムが所属しており、F3ヨーロッパでシューマッハーとタイトル争いを展開していた。

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 モトパークの代表であるティモ・ランプケイルは、当時のことを次のように振り返る。

「最も難しいサーキットのひとつに数えられるハンガロリンクで2日間のテストを実施した」

「彼はダン(ティクトゥム)と共にテストをした。彼がハンコックタイヤで一度も走ったことがなかったことを考えると、驚くべきものだった」

「その時点でレッドブルとホンダは、日本の才能ある若手を共に育成したいと考えていて、ユウキはあらゆる要素を兼ね備えていることを証明していた。彼を選ぶのが正しい選択であることは明らかだった」

「最初のランチタイム休憩を迎える頃には、ダンと同じ燃料を積んだ状態でダンのコンマ1秒差以内に肉薄するようになっていた。彼はテストに向けた準備のために日本でF3マシンを数日間走らせていたというが、例え20日間走り込んでいたとしても、驚くべきテストだったことには変わりない」

 この時点でFIAは、2019年からスタートするFIA F3選手権に向けてチームの選定をしていた。ランプケイル曰く、角田はモトパークからFIA F3に参戦する予定だったが、モトパークの同カテゴリー参戦が認められなかったため、その計画は立ち消えになったという。

「当初の計画では、彼は我々とFIA F3を戦う予定だった」

「しかしFIAの誰かが、モトパークはF3に加わるのに十分なチームではないと判断したんだ……」

Yuki Tsunoda, Jenzer Motorsport

Yuki Tsunoda, Jenzer Motorsport

Photo by: Joe Portlock / Motorsport Images

 角田は結局イェンツァー・モータースポーツから新生FIA F3に参戦し、それと並行して従来のF3車両(ダラーラ317)で競われるユーロフォーミュラ・オープン(EFO)にモトパークから参戦することとなった。現在の評判を考えれば、それぞれのカテゴリーで1勝にとどまっているのは驚きでもある。

「最初のうちは、マシンを乗り換えることのマイナス面が出ていた」とランプケイル。

「しかし最終的には、それが彼を強いドライバーにした。様々なマシンに適応し、速く走らせることができるドライバーになったんだ」

 この年、角田と同じレッドブルジュニアであるリアム・ローソンもFIA F3とEFOに参戦しており、ジュニアチーム内の序列を巡って角田の直接的なライバルとなった。彼らはF3のモンツァラウンドやEFOのスパラウンドで優勝を争ったが、後者はレ・コームで互いに譲らず接触リタイアに終わった。ランプケイルはさらにこう続ける。

「ユウキには(スパでコース上に)留まる権利があった。ただ理論的には、彼(角田)があと50cmスペースを空けていれば接触することはなかっただろうし、レースにも勝てただろう。レースのリザルトやチャンピオンシップのことを考えて一歩引けるというのも、ひとつの資質なのだ」

「最終的に我々は彼を安定して走れるレベルまで成長させることができた。彼は卓越したレース運びを見せてくれるようになったんだ(モンツァでの最終ラウンドでは一時16番手まで落ちながら3位フィニッシュ)」

 FIA F3をランキング9位、EFOをランキング4位で終えた角田はF3相当のカテゴリーに残ることなく、2020年からFIA F2にステップアップ。新たにレッドブルジュニアに選ばれたユアン・ダルバラと共にカーリンで戦うことになった。しかし、F2開幕前に開催されたトヨタ・レーシング・シリーズ(TRS)では1勝(それもリバースグリッドでのレース)しか挙げられず、チームメイトのローソンやイゴール・フラガに敗れてランキング4位に終わった。

「彼がF3のマシンとの違いに苦しんでいたことは事実だ」

 そう語るのは、角田が所属していたM2コンペティションのジョナサン・モーリー。この年のTRSで採用されていた車両はタトゥースT318で、これはFIA F3とは異なるリージョナルF3規格の車両だ。

「特に予選では上位に食い込むのに時間がかかった。しかし彼は私がこれまでに見てきた中でも最高のドライバーのひとりだ。無謀なアタックに見えてもしっかりコントロールできている」

「彼の経験を考えれば、彼がF2で見せたものは信じられないレベルだ。彼はしっかり地に足がついている。良い奴だし、意欲的でクレバーでもあるから、彼のことは好きだ。環境さえ整えば彼はF1で成功するだろう」

 カーリンのチーム代表であるトレバー・カーリンは、2020年シーズンを共に戦った角田を次のように評する。

「彼は他の多くのドライバーと違って、走行距離を重ねていない。1年前だったら、彼はF2で数年経験を積む必要があると言っただろう。しかし、シーズンが進むにつれてその速さが明らかになっていったんだ」

「フリー走行や予選では、ユウキはほとんどのセッションで上位に顔を出していた。もちろんシーズンの立ち上がりは素晴らしいものではなかったし、レッドブルリンクではターン3でロックアップしてユアンを押し出してしまったこともあった」

「だから私はこう思った。『なんてことだ。速い日本人ドライバーを手にしたのはいいが、少しクラッシュの多い日本人ドライバーだった。あまり好きではないな』とね」

「しかし、彼はマシンの長さに慣れていなかっただけで、前方のマシンにフロントウイングをぶつけてしまったのは最初の3ラウンドだけだった。マシンのサイズを理解してからは、何の問題もなかった。速さはあるし、レース運びも巧い。どんどんと成長していった」

Pole sitter Yuki Tsunoda, Carlin

Pole sitter Yuki Tsunoda, Carlin

Photo by: Formula Motorsport Ltd

 角田は、かつてランド・ノリスやアントニオ・ジョビナッツィなどの才能ある若手を担当していたレースエンジニアのオグル、そしてチーフエンジニアのステファン・デ・グルートと常に良い関係を築いていた。

「ある時ステファンが言ったんだ。『彼は物分かりが良い』とね」とカーリンは言う。

「ピレリは気まぐれなタイヤなので、我々はレースでどのように走らせればいいかを彼に説明した。すると彼はそれをすぐに理解して、どんどん良くなっていった。彼は自分でしっかりタイヤをマネジメントしていて、巧みなレース運びとタイヤセーブを見せてくれた……彼は速いのにタイヤも温存できるんだ……驚異的だよ」

 角田のタイヤマネジメントの巧さを象徴しているレースのひとつが、バーレーンで行なわれた最終ラウンドのレース1だ。ポールポジションからスタートした角田は序盤にロバート・シュバルツマンとニキータ・マゼピンに先行されてそのアドバンテージを早々に失ったが、タイヤを温存してピットインを遅らせたことが功を奏した。終盤にシュバルツマンとマゼピンがタイヤの消耗に苦しむ中、角田はふたりをオーバーテイクしてトップチェッカー。マゼピンには激しい幅寄せをされたが、それでも彼の前に出ることは簡単だった。

「最初のスティントをもっと長くすることもできたはずだ」とカーリン。

「タイヤのラバーはまだ残っていた。彼をこのまま走らせることもできたが、セーフティカーが出る可能性を考えればリスクは冒せない。だから我々は彼らをカバー(するためにピットイン)したのだ」

 角田本人も、エンジニア達と良い関係を築けたことが良い方向に作用したと語った。

「マットとは最初のラウンドから良い関係を築いていました。簡単ではない状況でしたが、周りには経験豊富なエンジニアもいました。ユアンのエンジニアのストゥー(スチュワート・キング)もいましたし、ステファンとの関係もとても良かったです。僕たちは相性ピッタリだったんです」

「マットはあまり経験のないエンジニアだったので、レース戦略を立てる際にはストゥーの力も少し借りなければいけませんでした。でもシーズン終盤にはうまくいっていましたし、特にバーレーンでの戦略はとても良かったです。サーキットを離れても、僕たちはiRacingで勝負したりしていましたよ!」

Yuki Tsunoda, Honda Formula Dream Project, leaves the pits in the AlphaTauri

Yuki Tsunoda, Honda Formula Dream Project, leaves the pits in the AlphaTauri

Photo by: Andy Hone / Motorsport Images

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 バーレーンでの重要なレースを前に、角田はイモラでアルファタウリのF1マシンをテストしている。F1初テストの感想を尋ねられると、パワーやブレーキの話を差し置いて、F2最終ラウンドに向けて得られたメリットについての話題が出てくるあたり、彼の人柄が伺える。

「僕がイモラでのF1テストで経験できたことは、バーレーンでの2ラウンド目の予選にも活かされています」

「僕たちはソフトタイヤを履いていましたが、予選が夜に行なわれたこともあってフロントタイヤの温度を上げることが難しかったです。おそらく皆ウォームアップに苦しんでいたと思います」

「イモラでもフロントタイヤのウォームアップが難しかったので、アルファタウリからその方法を教わり、そこでの経験をF2での予選に活かすことができました。予選はうまくいって、ポールポジションを獲ることができました。だから僕にとってはただのF1テストではなく、将来の改善に役立つ本当に良いテストだったんです」

 カーリンは、角田の勤勉ぶりを表す次のようなエピソードを披露して締め括ってくれた。

「彼は遅い時間になってもチームの一員として我々と共にいる。それがヨーロッパの言語や文化を理解することにも役立っている。彼はただ一緒にいるのが楽しいと思っているんだ」

「彼は毎朝時間通りに来て、チームのみんなにフィストバンプ(拳を突き合わせること)をしてまわり、エンジニアと共にコンピュータに向かって色々なことを調べ、準備運動をしていたんだ」

 角田のF1参戦が正式に発表されたのは、今回のインタビューが行なわれる数日前だった。彼は「日本のファンの前で鈴鹿を走るのが楽しみです」と笑顔で話してくれたが、メディア担当の女性は「気が早いよ」と一言。しかし、日本のファンは彼が鈴鹿で走る姿を心待ちにしている。その気持ちは日本以外の国の人々も同じであろう。

 

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この記事について

シリーズ F1
ドライバー 角田 裕毅
チーム アルファタウリ・ホンダ
執筆者 Marcus Simmons