“夢を叶えた男たち”は、今幸せなのか? 求められるF1関係者への『心のケア』
モータースポーツを愛する人間にとって、その業界の人間として仕事をすることは“夢”のひとつだろう。ではその“夢”を叶えた人間は今、幸せな毎日を過ごしているのだろうか?
Red Bull Racing mechanic with Pirelli tyres
Mark Sutton / Motorsport Images
数十年前は年間16戦が当たり前だったF1も、近年はその開催数が増加の一途をたどっている。2020年シーズンは史上最多の22戦で争われるが、将来的にはこれを25戦まで増加させるという計画まで存在する。
過密日程によるF1関係者の負担増加が懸念されるが、FIA会長のジャン・トッドは「自分の好きな世界で仕事ができることを幸せと感じるべき」といった旨の発言をし、それを軽視した。
確かに、衣食住がままならない生活をしている人々からすれば、彼らは恵まれているのかもしれない。しかし、グランプリの世界で働いている人たちは、多くの無視できない問題を抱えているのもまた事実だ。
彼らは1年のほとんどを家族から離れた場所で過ごし、世界各国を転戦する中で長時間のフライトを強いられるため、睡眠不足と激しいストレスに見舞われる。それらが積み重なれば、必然的にうつ病に陥る可能性も高くなる。
また、F1ではスタッフの離職率が高くなっている。かつては若いエンジニアやメカニックがF1での職を手に入れるために、なりふり構わず奔走していた。しかし現在では、多くのスタッフがすぐに『この仕事が合っていない』と判断し、退職している。そのため、F1チームの人員の入れ替わりも激しい。
F1チームには、数えきれないほどの人たちが関わっている。その中で、ドライバーの勝利に貢献できる人もいれば、当然その逆もある。ピットストップでの作業ミス、整備した部品の破損、間違った作戦指示……ひとつひとつの作業には大きな責任が伴うため、それが極度の緊張、ストレスを生む。
また、自分の過失や欠点について、包み隠さず打ち明けることも容易ではない。特に、自分の周りが皆“できる男”であった場合はなおさらだ。
F1業界の“リアル”
Racing Point mechanics pushing the car of Sergio Perez, Racing Point RP19 down the pit lane
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
また、人々が“夢の仕事”だと考えている職業に就いている人は、そこにある負の側面を公にすることはあまりない。しかし、元ウイリアムズの広報担当であるアーロン・ルークは、ストレスが人をどれほど限界に追い込むのかについて、ブログで赤裸々に綴った。彼は当時、自殺を考えるほどだったという。
ブログには次のように記されている。
「F1はビジネスだ。F1のスポーツとしての要素は、脂っこいケバブに申し訳程度に挟んである野菜と同じくらい少ない」
「スタッフは24時間365日、不必要なプレッシャーにさらされている。自殺願望を生むような完全な精神崩壊は、一瞬の心の休息さえも与えてくれない」
「みんなが有名人とお近付きになろうとしてアンバーラウンジ(パーティ)に繰り出す中、僕はホテルでファストフードを食べながらテレビを見ていた。それで満足だったんだ」
「僕はしょっちゅう派手なパーティに誘われたけど、何故わざわざドレスアップをして愛想笑いをしながら、夜を過ごしたいと思うんだろうか? 気の置けない人たちと一緒に過ごすのが一番だ」
「でも、F1のような世界では、ひとりで過ごす時間が長ければ長いほど、孤立していってしまう。小さい派閥の中にいるとなおさらだ。僕はパドックの中で孤独を感じていた。まるで幽霊のようだった」
パドックに小さな“理髪店”。F1界の『心のケア』に一役買うか?
A barbers' stand in the paddock
Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images
こういった現状に注目したのが、国際的な男性健康慈善団体『Movember』である。
ビジネスやスポーツの世界では、その多くがスタッフの精神衛生に注視することの重要性に気付きはじめている。そんな中、Movemberはメンタルヘルスの面で支援をすることで、F1の世界でストレスや緊張を感じている人の手助けができると考えたのだ。
MovemberのF1活動における広報担当者、ダン・クーパーは次のように語った。
「伝統的に、男性は強い人間であろうとするので、弱みを見せない。また、感情を自分自身の中にとどめるべきという風潮すらある」
「確かに、彼らは夢見た職業に就けているのかもしれないが、F1というチームスポーツの中で大きなプレッシャーにさらされていて、時にはそれがマイナスの影響を与える場合がある」
Movemberは前立腺がん、精巣がんといった男性特有のがんに関する啓発活動として、11月(November)に口髭を生やすキャンペーンを行なっている。その一環として、F1メキシコGPのパドックとパドッククラブには小さな理髪店が設けられ、そこでドライバーたちは口髭を整えたり、付け髭を付けるなどして、活動の周知に貢献した。
その理髪店は、チームスタッフなど他のF1関係者に向けても解放された。つまるところ、ストレスを抱えた男性が腹を割って話す空間として、理髪店が適しているからだ。
クーバーはこう付け加えた。
「(F1の世界で働く)男性が、防ぐことのできる理由によって(平均よりも)6歳も若く亡くなっている。しかし、もし彼らが快適な空間でコミュニケーションをとることができれば、彼らの命を救い、その統計を変えることができるだろう」
変わろうとしている価値観
Haas F1 Team mechanics in the garage
Photo by: Andrew Hone / Motorsport Images
スタッフを守り、助けるために何をすべきかを認識し始めたチームもある。ハースのチームマネージャーであるピーター・クローラは、F1にやってきた新世代のスタッフが、物事を抱え込まずに助けを求められるようになると考えている。
「どんな仕事であれ、家族や友人と離れて生活することは容易ではない」とクローラは語った。
「我々は男だらけの業界の中にいるが、みんな常にタフガイである必要はないんだ。そんなことをしていたら、すぐに限界が来てしまう」
「我々の世代も、(スタッフと)コミュニケーションを取ることでサポートができるということをようやく理解し始めたと思う。それはおそらく、我々より前の世代が考えてこなかったようなことだ」
「昔の人たちはそういったことを考えるのに抵抗があったんだろう。でも、今の若い子たちの大半は、いつ、どこで、誰に頼れば良いかを良く分かっていると思う」
Movemberのような団体がF1界の現状に目を向け、アクションを起こしたことは、このスポーツが大きな一歩を踏み出すチャンスかもしれない。
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