F1 ベルギーGP

2024年F1ベルギーGP以上の接戦も、歴史的に見れば多数あり! F1史上もっとも激戦となった上位5レース

僅差の決着となった2024年のF1ベルギーGP。しかし歴史を紐解けば、それ以上の大激戦となったレースも複数存在する。

George Russell, Mercedes F1 W15

 2024年のベルギーGPは、メルセデスのルイス・ハミルトンが優勝。マクラーレンのオスカー・ピアストリが2位となった。トップチェッカーを受けたのはメルセデスのジョージ・ラッセルだったが、既報の通り車両重量違反が発覚して失格することになった。

 このラッセルから3番手でチェッカーを受けたピアストリまでの差は、1.173秒。近年稀に見る僅差の決着だった。しかし、F1の歴史を見返してみると、もっと僅差の決着はいくらでもある。

 本稿では、今年のベルギーGP以上に僅差の決着となったレース……史上最も僅差の決着だった5戦を振り返る。

5位:2012年モナコGP

1. マーク・ウェーバー(レッドブル)
2. ニコ・ロズベルグ(メルセデス)+0.643秒
3. フェルナンド・アロンソ(フェラーリ)+0.947秒

Mark Webber, Red Bull Racing RB8

Mark Webber, Red Bull Racing RB8

Photo by: Sutton Images

 2012年のモナコGPは、伝説的F1ドライバーであるミハエル・シューマッハー(当時メルセデス)が、予選で最速タイムを記録した最後のグランプリである。しかし前戦で他車と接触したことでペナルティを受けたため、ポールポジションからスタートすることはできなかった。

 その結果ポールポジションからスタートしたのはウェーバー。ロズベルグ、当時マクラーレンに在籍していたルイス・ハミルトンが後方に続いた。

 このレースは、雨がいつ降るのか……そういう不安を抱えたまま各車が周回を重ねていった。しかも差は広がらず、26周目の時点でも、先頭のウェーバーと2番手ロズベルグの差は1.8秒だった。50周を超えた段階でも、トップ6は5.3秒の間にひしめきあった。

 ただ雨はなかなか降らず、残り10周というところでようやく降雨。ただ残り周回数が少なかったこともあり、インターミディエイトタイヤに交換したマシンは僅かだった。

 一方で上位のマシンの差は縮まったが、順位はかわらず。結局ウェーバーが優勝、ロズベルグ、アロンソまでのトップ3の差は0.947秒だった。レッドブルのセバスチャン・ベッテルは4番手で、トップから1.343秒差だった。

4位:2016年アブダビGP

1. ルイス・ハミルトン(メルセデス)
2. ニコ・ロズベルグ(メルセデス)+0.439秒
3. セバスチャン・ベッテル(フェラーリ)+0.843秒

Lewis Hamilton, Mercedes F1 W07 Hybrid, crosses the line and takes the chequered flag to win the race from Nico Rosberg, Mercedes F1 W07 Hybrid, Sebastian Vettel, Ferrari SF16-H, and Max Verstappen, Red Bull Racing RB12

Lewis Hamilton, Mercedes F1 W07 Hybrid, crosses the line and takes the chequered flag to win the race from Nico Rosberg, Mercedes F1 W07 Hybrid, Sebastian Vettel, Ferrari SF16-H, and Max Verstappen, Red Bull Racing RB12

Photo by: Glenn Dunbar / Motorsport Images

 2016年の最終戦アブダビGPは、ルイス・ハミルトンとニコ・ロズベルグの、タイトルを賭けたメルセデス同士の争いとなった。ロズベルグはこのレースを、12ポイントのリードをもって迎えた。しかしポールポジションを獲得したのはハミルトンであり、レースの結果に全てがかかった。

 ハミルトンはスタートでリードを守った。しかし前述の通り12ポイント差……ハミルトンとしては、優勝してもロズベルグが2位でフィニッシュすれば、自分の手にタイトルが転がり込んでこなかったのは明らかだった。ロズベルグが4位以下にならない限り、ハミルトンに勝目はなかったのだ。

 ハミルトンは20周目までにロズベルグとの差を5.6秒にまで広げた。しかしロズベルグは楽に2位をキープ……この状況を打破するため、ハミルトンは”ペースダウンする”という戦略に打って出たのだ。

 ハミルトンはペースを落とし、ロズベルグを抑え込んだ。それにより、後方のマシンにロズベルグを抜いてもらい、自身がタイトルを獲得しようと狙ったのだ。そしてロズベルグの真後ろには、フレッシュなタイヤを履いたフェラーリのセバスチャン・ベッテルが接近していた。

 メルセデスはハミルトンにペースを上げるように指示を飛ばしたが、ハミルトンはこれに従わないばかりか、さらにペースを落とした。

 ただロズベルグは2番手をキープ。最終的にはハミルトンが優勝、ロズベルグが0.4秒差で2位に入った。その結果、ロズベルグがタイトルを獲得。ただロズベルグは、その5日後に電撃的にF1を引退することを決めた。

3位:1981年スペインGP

1. ジル・ビルヌーブ(フェラーリ)
2. ジャック・ラフィット(リジェ)+0.211秒
3. ジョン・ワトソン(マクラーレン)+0.571秒

During 70 laps, they all tried to push Gilles Villeneuve at fault and pass him; they never could and Gilles went on to win his 6th and last Grand Prix

During 70 laps, they all tried to push Gilles Villeneuve at fault and pass him; they never could and Gilles went on to win his 6th and last Grand Prix

Photo by: International Press Agency

 1981年のスペインGPは、ハラマ・サーキットで行なわれた。ポールポジションはリジェのジャック・ラフィット。彼にとってはこれが7回目のPPで、結果的にこれがキャリア最後のPPということにもなった。

 ただそのラフィットは蹴り出しが悪く、先頭から一気に11番手に後退。前年王者のアラン・ジョーンズとカルロス・ロイテマンのウイリアムズのふたりがレースをリード。フェラーリのジル・ビルヌーブが7番グリッドから一気に3番手に浮上した。

 ジョーンズは独走して、13周目の段階でビルヌーブに10.4秒の差を築いた。ただ、ジョーンズはあろうことかコースオフし、15番手まで落ちることになった。

 これで先頭に立ったのは、ロイテマンを抜いていたビルヌーブ。ふたりは後続のジョン・ワトソン(マクラーレン)とラフィットに12秒以上の差をつけていた。しかしワトソンを抜いたラフィットはロイテマンに迫り、オーバーテイク。先頭のビルヌーブの背後に追いついた。

 しかしビルヌーブのフェラーリは、コーナリングは遅いものの、ストレートは速かったため、後続のマシンはオーバーテイクするのに苦労した。

 結局ビルヌーブは後続を抑え切ってトップチェッカー。この時、ビルヌーブの後には4台のマシンが連なっており、最終的にはこの5台が1.24秒という一塊でフィニッシュすることになった。

 なおビルヌーブにとってこの勝利は、キャリア最後の優勝ということになった。

2位:1969年イタリアGP

1. ジャッキー・スチュワート(マトラ)
2. ヨッヘン・リント(ロータス)+0.08秒
3. ジャン-ピエール・ベルトワーズ(マトラ)+0.17秒

Jackie Stewart, Matra MS80

Jackie Stewart, Matra MS80

Photo by: David Phipps

 1969年のイタリアGPの舞台も、今と同じモンツァ・サーキットだった。ただ当時のレイアウトにはシケインがなく、今以上に”スピードの殿堂”というべきサーキットだったと言えよう。

 ランキング首位のジャッキー・スチュワート(マトラ)は、3番グリッドからのスタートで1周目に首位に躍り出たものの……後続を引き離すことができなかった。

 超高速モンツァでは、スリップストリームがよく効く。上位のマシンは存分にこれを活用して、毎周のように首位が入れ替わった。序盤38周の間に首位に立ったのは、スチュワート、ヨッヘン・リント(ロータス)、デニス・ハルム(マクラーレン)、ピアース・カレッジ(ブラバム)4台だった。

 ハルムはブレーキのトラブルで脱落したが、ここにスチュワートのチームメイトであるジャン-ピエール・ベルトワーズ、ロータスのグラハム・ヒル、マクラーレンのブルース・マクラーレンらも加わった。

 ただカレッジは燃料システムの問題を抱えて後退。ヒルはドライブシャフトのトラブルでリタイアと、徐々に優勝を争うドライバーが絞られていった。

 リントが最終ラップのレズモで首位に立ったが、現在は”アスカリ・シケイン”となったコーナーでスチュワートが再び首位に。ベルトワーズが最終パラボリカでインに飛び込んだが、これはリントを妨害する格好に……結局スチュワードがトップチェッカー、2位リント、3位ベルトワーズ、4位マクラーレンの順でフィニッシュラインを超えたが、マクラーレンでも首位から0.190秒の差だった。

1位:1971年イタリアGP

1. ピーター・ゲシン(BRM)
2. ロニー・ピーターソン(マーチ)+0.01秒
3. フランソワ・セベール(ティレル)+0.09秒

Peter Gethin, BRM P160, takes the checkered flag

Peter Gethin, BRM P160, takes the checkered flag

Photo by: Motorsport Images

 1971年のイタリアGPは、ジャッキー・スチュワート(ティレル)がすでに同年のチャンピオン獲得を決めた状態で迎えた。

 予選では、マトラのクリス・エイモンが、スリップストリームも使って1分22秒40を記録してポールポジションを獲得。2番手にはフェラーリのジャッキー・イクスが続いた。

 決勝レースは慌ただしい展開となり、8人がラップリードを記録した。

 残り10周、エイモンは汚れたバイザーを外そうとした際に誤って交換用のバイザーも外してしまうというミスを犯し、減速することになった。これでロニー・ピーターソン(マーチ)、フランソワ・セベール(ティレル)、ハウデン・ガンレイ(BRM)、マイク・ヘイルウッド(サーティース)、そして予選11番手からスタートしたピーター・ゲシン(BRM)の5台による優勝争いとなった。

 ゲシンは55周のレースの52周目に初めて先頭に立ったが、その2周後にピーターソンに抜かれてしまった。そのピーターソンが先頭で最終ラップへ。最終コーナー手前でセベールが首位に立ったが、ブレーキングゾーンでは再びピーターソンが首位を奪い返した。ただコーナーからの立ち上がりが優れていたのがゲシン。結局ゲシンがそのままフィニッシュラインまで駆け抜けた、2位ピーターソンは0.01秒、3位セベールは0.09秒、4位ヘイルウッドが0.18秒、5位ガンレイが0.61秒遅れでのフィニッシュだった。

 歴史上、最も僅差の決着となったレースである。

 

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