インタビュー

”狂った”跳ね馬に振り回されたキャリア。でも「後悔なし」:アレジ特別インタビュー

1989年、ティレルからF1にデビューしたジャン・アレジは、その初戦フランスGPでいきなり4位に入賞。翌年には表彰台を獲得するなど、将来のチャンピオン候補として注目された。しかし1991年にフェラーリに加入したのが運の尽きだった……。

Jean Alesi, Ferrari 642

 1989年のフランスGPで、あるひとりの若いフランス人がF1デビューを果たした。ジャン・アレジである。

 この年、ジョナサン・パーマーとミケーレ・アルボレートというコンビでシーズンをスタートさせたティレル。第4戦メキシコGPではアルボレートが表彰台を獲得するなど、まずまずの戦いぶりを見せていた。

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 しかし第7戦からスポンサーの都合によりアルボレートが退き、それまで国際F3000を戦っていたアレジが加入。すると、いきなり4位入賞を果たしてみせたのだ。その後もイタリア、スペインで入賞。チームメイトのパーマーを凌ぐ走りを見せたのだ。

 翌年もティレルに留まったアレジは、開幕戦アメリカGPでマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナと伝説的なバトルを披露し、2位表彰台を獲得。その後もモナコで2位に入るなどした。その走りから、将来のチャンピオン候補ともてはやされた。

 1991年、アレジはフェラーリへと移籍。チームメイトは同胞の伝説的ドライバー、アラン・プロストである。しかし当時のフェラーリは政治的混乱、技術的混乱が加速していった頃……タイトルなど望む術もなかった。フェラーリの熱狂的ファン”ティフォシ”たちも、失意のどん底に突き落とされていった。

 1991年にタイトル争いを繰り広げたのは、ホンダV12を武器に紅白のマクラーレンを操ったセナと、前年限りでフェラーリのシートを失い、ウイリアムズに移籍したナイジェル・マンセル。マンセル+ウイリアムズは速さを見せたが、マシンはトラブルが頻発……最終的にはセナに軍配が上がった。

 一方でフェラーリでは、プロストをもってしてもルーキーシーズン以来となる未勝利で、シーズン終了を待たずにチームを離れた。アレジも表彰台がやっと。ベルギーGPでは勝利の可能性もあったが、エンジントラブルによりリタイアを余儀なくされた。

 Jean Alesi, Tyrrell, in 1990

Jean Alesi, Tyrrell, in 1990

Photo by: Rainer W. Schlegelmilch

 しかしなぜアレジは、そんな低迷期のフェラーリに加入してしまったのだろうか? 実は彼は、1990年の初めにウイリアムズと1991〜1993年までの契約を締結していたのだ。ただこの契約には、ウイリアムズ側が契約を履行するかどうか、9月までに判断できるというオプションが付けられていた。

 当時ウイリアムズのパートナーだったルノーは、セナを獲得できるかもしれないという可能性に魅了され、フランク・ウイリアムズと水面下で議論し、なかなか結論を出せずにいた。

 夏が近づくにつれ、アレジは自身の将来が不透明であるという懸念に悩まされていった。

「それはとても悪い状況だった。僕にとっては、とても不快だったよ」

 アレジは当時のことをそう振り返る。

Jean Alesi, Tyrrell, in 1990

Jean Alesi, Tyrrell, in 1990

Photo by: Rainer W. Schlegelmilch

 国際F3000時代のチームオーナーであり、当時F1参戦を目論んでいたエディ・ジョーダンが、当時のアレジにとっての相談役だった。しかしアレジの我慢は限界に達し、イギリスGPの際にフランク・ウイリアムズに直談判。「契約を実現させてほしい」と訴えた。

 ちょうどその頃、フェラーリも1991年のドライバーを探していた。マンセルが”引退”を表明したため、その後任が必要だったのだ。アレジにはそのフェラーリからオファーが舞い込んだが、最終的にアレジは契約上の懸念をフェラーリに託し、「状況を整理して欲しい」と頼み込んだ。

 結局アレジは、フェラーリに加入することになった。フェラーリはウイリアムズから契約を買い取る形になり、その代金の一部として、1990年にプロストが走らせた641/2がウイリアムズに贈呈されることになった。ウイリアムズのファクトリーにあるミュージアムには、今も多数のウイリアムズのマシンに混じり、1台のフェラーリが収蔵されている。

Eddie Jordan, Jordan chats with Jean Alesi, Ferrari

Eddie Jordan, Jordan chats with Jean Alesi, Ferrari

Photo by: Ercole Colombo

 ウイリアムズ・ルノーは、その後急速な進歩を遂げた。1992年と1993年にはダブルタイトル連覇。その後2年間はベネトン+ミハエル・シューマッハーの台頭に遭ったものの、1996年と1997年にも連覇している。そういうことを考えれば、アレジがウイリアムズに行けなかったことが、キャリアの成否を大きく左右したとも言えるだろう。

 ただアレジは、フェラーリに行ったことでも満足したという。彼の”レーシングソウル”を満たしたのだ。

「人々からは、チャンピオンチームに”ノー”と言うのが正しかったのかとよく尋ねられる」

 そうアレジは言う。

「まず第一に、起きたことに後悔はしていない。僕がフェラーリと共に生きたこと、彼らと共に過ごした時間、それは魔法のようだった」

「僕は本当にそう感じている。そしてファンによく覚えられていると思うし、彼らも満足してくれていると思う。これは、自宅のリビングルームにトロフィーを並べるよりも、はるかに大きい意味がある。確かに、ウイリアムズに加わらなかったことで、多くの素晴らしい結果を手にすることができなかったかもしれない。でも、その代わりに僕が得たモノは、僕にとっては特別で魔法のようなモノだった。後悔はないよ」

Jean Alesi with his Ferrari 643 and the team in the garage

Jean Alesi with his Ferrari 643 and the team in the garage

Photo by: Ercole Colombo

 とはいえティレルからフェラーリに移籍したというのも、レーシングドライバーとしては大きな一歩だ。しかしアレジは、ティレルでキャリア初期を過ごしたことが正しいことだと、フェラーリに移籍したことで実感したようだ。

「フェラーリはティレルと比べて、施設という意味では月とスッポンほどの違いがあった」

 そうアレジは言う。

「でもティレルが持つスピリッツは、フェラーリのようだった。トップからメカニックまで、誰もが情熱的だったんだ。ケンとノラのティレル夫妻と過ごしたことは、とても素晴らしかった。彼らから感じた信頼感は、僕にとっての全てだった。彼らは僕がずっと覚えている、素晴らしくて美しいカップルだ」

Jean Alesi, Ferrari 643

Jean Alesi, Ferrari 643

Photo by: Ercole Colombo

 フェラーリのドライバーになるということは、熱狂的なファンであるティフォシたちからの、信じられないほどのプレッシャーに晒されるということを意味する。それについて尋ねると、笑い飛ばしてこう語った。

「僕はただ楽しんでいただけだよ。アランが全てのプレッシャーを背負ってくれた。彼は、世界タイトルをフェラーリに戻す役割を担っていた。僕じゃないんだ」

「僕としては、僕の立場はジル・ビルヌーブのようだった。いつでも自由にプッシュすることができたんだ。誰も、僕の結果を期待していなかった。ただ一生懸命ドライブし、全てのファンに楽しみを届けるためにそこにいたんだ。彼らは、僕がフェラーリのためにレースしていることを喜んでいるみたいだった。彼らのためにパフォーマンスすることができて、嬉しかったよ」

Jean Alesi's Ferrari fans

Jean Alesi's Ferrari fans

Photo by: Rainer W. Schlegelmilch

 シーズン前のテストが順調に進んだことにより、フェラーリは大きな期待を抱いて1991年シーズンに臨んだ。アレジは開幕戦アメリカGPの舞台であるフェニックス市街地コースの、金曜予選でトップタイムを記録した。しかしフェラーリ642は、アレジがこの1年前に躍動した際に操ったティレル018ほど、このコースに適していなかった。搭載されたV12エンジンは、ティレルに積まれていたフォードDFRよりも強力だったが、ドライバビリティという面では劣っていたのだ。

「僕らはムジェロで多くの時を過ごし、多くの開発を行なった」

 アレジはそう振り返る。

「僕らが抱えていた主な問題は、電気系の不具合だった。セットアップも実に複雑だった。ムジェロでは、何をすべきかを正確に理解しており、信頼性にも優れていた。でもフェニックスに行った際、バンプのある路面やコーナーではとても運転しにくいモノだった。そこで初めて問題に直面し、信頼性という面でも、最悪のシーズンになってしまったんだ」

Gerhard Berger, McLaren MP4/6 Honda, heads the pack in Phoenix

Gerhard Berger, McLaren MP4/6 Honda, heads the pack in Phoenix

Photo by: Motorsport Images

 ギヤボックスが壊れたことでリタイアすることになったが、アレジはこの開幕戦でファステストラップを記録。チームメイトのプロストは、2位でフィニッシュした。しかしプロストにとってはこれが、シーズン最高の成績ということになってしまった。

 アレジは次のように続ける。

「マシンはずっと予測不可能だった。当時はとても原始的なセンサーが付いていたんだけど、デフが突然ロックされてしまい、ドライブするのはとても難しかった」

「アランが鈴鹿でタイトルを逃した1990年の後、僕らは同じベースのマシンで1991年に向けた戦いをスタートさせた。競争力があると自信を持っていたんだ。でも、実際に起きたことには、とても失望した」

Alain Prost, Ferrari 642, Jean Alesi, Ferrari 642

Alain Prost, Ferrari 642, Jean Alesi, Ferrari 642

Photo by: Motorsport Images

 ただプロストにとっては、チームメイトがアレジだったというのは素晴らしいことだっただろう。1990年にはナイジェル・マンセルとの関係に苦しみ、その前のマクラーレン時代には、セナとの緊張感ある時期を過ごした。

「同じ国出身だからということもあるかもしれないけど、僕にとってはアランが師匠だった」

 アレジはそう語る。

「レースのキャリアを通じて、彼はプロフェッサー(教授)だった。彼は僕が組んだチームメイトの中で唯一、足を引っ張ろうとはしなかった人物だ。絶対にオープンだった。当時はその理由が分からなかったが、今では彼のドライビングスタイルが違うということに気付くことができる。彼のセットアップに従うと、僕が求めていたモノとは大きく違ったんだ」

Alain Prost, Ferrari 643

Alain Prost, Ferrari 643

Photo by: Motorsport Images

「だから、彼には隠すべきモノが何もなかった。彼がやっていることを僕のスタイルに取り入れたら、間違った方向に進んでしまう。しかし、彼は素晴らしいチームメイトだった」

 アレジはモナコGPで、フェラーリ加入後初の表彰台を獲得した。ただそのレースも、順風満帆だったわけではない。彼は予選で苦しみ、9番手からのスタート……これは、アレジの1991年シーズン予選最低成績だった。しかもそのタイムは、彼が前年まで所属していたティレルの、ホンダV10を搭載した020を駆るステファノ・モデナよりも1秒以上遅かったのだ。

Jean Alesi, Ferrari 642

Jean Alesi, Ferrari 642

Photo by: Ercole Colombo

 アレジは、1年前に乗ったティレル019に比べ、1991年のフェラーリがどれほど酷かったかを語った。

「とても長く、鈍感なクルマだった。僕のドライビングスタイルは、ストリートコースを飛び回るように走るというモノだ。でもマシンは、僕が望んだようには反応してくれなかった」

「チームは『予選のことは忘れて、マシンを完走させるだけでいい』と言っていた。どういうわけか、僕は表彰台を獲得することができたけど、マシンのパフォーマンスにはとても失望したんだ」

Race winner Ayrton Senna, McLaren, second place Nigel Mansell, Williams, third place Jean Alesi, Ferrari

Race winner Ayrton Senna, McLaren, second place Nigel Mansell, Williams, third place Jean Alesi, Ferrari

Photo by: Sutton Images

 ピットストップが長くなったことにより5位に終わったプロストとは異なり、アレジは少なくとも周回遅れになることはなかった。

 その後、フェラーリは新たなシャシー643を急いで開発。フランスGPでデビューすることになった。このマシンは、アレジがティレル時代に共に働いていたジャン-クロード・ミジョーが指揮を取り、エアロを刷新したモノ。しかし、マクラーレンやウイリアムズに追いつくことはできなかった。

「彼はたしかに、ある程度ダウンフォースを追加してくれた」

 アレジはそう認める。

「それでマシンが悪化したわけじゃないけど、僕らはまだまだ、他のトップチームの開発スピードをはるかに下回っていた。ハンドリングの問題はいくつか解決されたけどね」

Jean Alesi, Ferrari 643

Jean Alesi, Ferrari 643

Photo by: Motorsport Images

「でもそれは、アランの助けになることはなかった。実際、それはいくつかの問題を引き起こし、彼はチームを離れることになった。ステアリングはとても重く、パワーステアリングもなく、アランは本当にマシンに苦労し始めた。そして結果が出なかった後、鈴鹿で爆発してしまったんだ」

「アランは3〜4レースを終えた後、チャンピオンシップに勝つチャンスがないということを理解していた。それで、もう十分だと思ったんだろうね。でも彼がチームを離れたと聞いた時、僕はショックを受けたんだ」

Jean Alesi and Alain Prost, Ferrari

Jean Alesi and Alain Prost, Ferrari

Photo by: Ercole Colombo

 マシンの出来が悪かったため、シーズン中盤にはチーム代表のチェザーレ・フィオリオはすでにチームを離れていた。

「彼(フィオリオ)は細部にまで拘っていた。チームを勝利に導くため、大きな情熱を持っていたんだ」

 そうアレジは言う。

「でもマラネロの政治は非常に強かった。解雇された時、彼はただ上層部によって下された決定に従っていただけなんだ。やりすぎだよ」

 シーズンの半ばに投入されたアップデートにより、フェラーリは戦略的な柔軟性が増した。このマシンはグッドイヤーのBコンパウンドに非常にマッチしており、とても長いスティントを走ることができた。そしてそれがベルギーGPで完璧に機能……アレジはノンストップでレースを走り切ろうとした。

Jean Alesi. Ferrari 643

Jean Alesi. Ferrari 643

Photo by: Motorsport Images

「それが、僕にとってF1での最初の勝利になるはずだった」

 そうアレジは語る。

「エンジンがブローアップする前、僕はとても硬いコンパウンドのタイヤを履いていたため、ピットストップをする必要がなく、レースをリードしていた。アイルトンは僕の後方にいたし、マンセルはすでにリタイアしていた。彼が停まる直前に、僕が抜いていたんだ。セナは2番手を争い、僕を追いかけようとはしていなかった」

「でも突然、僕のエンジンがブローアップしてしまった。バルブに問題があったんだ。僕らのマシンは7速までギヤがあったが、最高のパワーを引き出すためには、エンジンを最高回転数で使う必要があった。初期の段階では6速までしか使っておらず、7速目は、エンジンを労るための、一種のオーバードライブのようなモノだった。でも、十分じゃなかった。僕らは常に、バルブの問題を抱えていたんだ」

 マシントラブルは、シーズンを通じてアレジを苦しめた。完走できなかった9レースのうち6レースが、マシントラブルが原因だった。

Jean Alesi, Ferrari 642, runs from his burning car

Jean Alesi, Ferrari 642, runs from his burning car

Photo by: Motorsport Images

 アレジはモナコの他、ホッケンハイムとエストリルでも表彰台を獲得した。特にエストリルは、驚くべきピットストップが特徴だったと言えよう。

「完全に狂っていたよ。当時はピットレーンに速度制限がなく、指定の位置に停止するまでスピードはかなり速かった。ブレーキをかけた時にリヤのコントロールを失いかけたから危なかったけど、誰にもぶつからずにタイヤ交換を受けることができた」

 シルバーストンでは、素晴らしいチャンスを掴み損ねた。スタート直後、マクラーレン・ホンダのゲルハルト・ベルガーと、ウイリアムズのリカルド・パトレーゼがコプスコーナーで接触……アレジはこれを避けるため、9番手までポジションを落としたものの、その後プロストらをオーバーテイクし、3番手まで浮上してみせた。

Gerhard Berger, McLaren MP4/6 Honda, heads the pack at Silverstone

Gerhard Berger, McLaren MP4/6 Honda, heads the pack at Silverstone

Photo by: Motorsport Images

「僕らは200kgの燃料を搭載してレースをスタートさせていたので、マシンはとても重かった」

 そうアレジが当時のことを説明する。

「アランは最初の10周に細心の注意を払っていたけど、僕はそうじゃなかった。僕は全ての周回でプッシュしていたんだ。彼が120m手前でブレーキをかけていたなら、僕は90mまでブレーキングせずに突っ込んでいた。彼を抜いた時、オーバーステアが大きかったのを覚えている。でも、良いオーバーテイクだった」

 しかしアレジは、ラルースの鈴木亜久里を周回遅れにしようとした際、その動きを誤解。ノーズとサスペンションを壊し、オーバーテイク劇は終了を迎えた。

「気にしないでよ。僕がオーバーテイクしたことなんて、誰も覚えていないよ」

 アレジは笑ってそう語った。

Jean Alesi, Ferrari 643

Jean Alesi, Ferrari 643

Photo by: Ercole Colombo

 アレジにとってもうひとつ印象的なレースは、スペインGPだったと言えるだろう。彼はスタートでフライングしたとみなされ、ペナルティを受けたのだ。

「全てはドライバーズブリーフィングから始まった」

 アレジはそう明かす。

「(ジャン-マリー)バレストルがやってきて、彼の”ショー”を始めたんだ。そして彼は叫んだ。『私はピットウォールで見ている。もし誰かがフライングしたら、私はペナルティを与えるだろう』とね。アランとアイルトンは、常にこれを巡って争っていた。僕はそれを、飽き飽きして見ていたよ」

Alain Prost, Ferrari, with Jean-Marie Balestre, FISA President

Alain Prost, Ferrari, with Jean-Marie Balestre, FISA President

Photo by: Sutton Images

「そのレースでは、コースはダンプコンディションだったけど、小雨しか降っていなかった。僕のスタート位置はブリッジの下だったから、リヤタイヤが停まった部分は乾いていたんだ。それで僕はものすごいスタートを決め、いくつかポジションを上げたんだ。そしたら彼らは無線で『ペナルティ! ペナルティだ!』と言ってきたが、僕は『そんなことない! そんなことないよ』と言った。その後で、それがバレストルだということに気付いたんだ」

「ペナルティボックスはピット入り口のところにあった。それで10秒のペナルティを消化してスタートを切った後、ピットレーンで1速、2速、3速と加速していった。そしてミナルディのピットのあたりで7速まで上げたんだ」

Gerhard Berger, McLaren MP4/6 Honda leads Ayrton Senna, McLaren MP4/6 Honda, Nigel Mansell, Williams FW14 Renault, Michael Schumacher, Benetton B191 Ford, Riccardo Patrese Williams FW14 Renault, Jean Alesi, Ferrari 643 at the start

Gerhard Berger, McLaren MP4/6 Honda leads Ayrton Senna, McLaren MP4/6 Honda, Nigel Mansell, Williams FW14 Renault, Michael Schumacher, Benetton B191 Ford, Riccardo Patrese Williams FW14 Renault, Jean Alesi, Ferrari 643 at the start

Photo by: Motorsport Images

 もしウイリアムズに加入していたならば、アレジが成功できていたか……それは分からない。でもひとつ確かなことは、アレジ本人はそれを気にしていないということだ。

「マシンに問題があったかもしれないけど、F1を戦うには良い時期だった。アラン、アイルトン、ナイジェル、ネルソン(ピケ)、ゲルハルト……そういうドライバーたちと対戦した。最高の時代だった。ドライバーとして、ファンと同じくらいの情熱をかけていた」

「フェラーリをドライブしたことで、ファンから受けたリスペクトは本当に大きかった。結果は出なかったけど、良いお土産を手にすることができた。フェラーリで最高の時間を過ごしたよ」

 アレジは結局、1995年のカナダGPで挙げた1勝のみでキャリアを終えた。しかし今もイタリアでの人気は高く、イタリア国内でスピード違反を犯したとしても、罰金を払う必要すらない……とさえ言われている。

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