アイルトン・セナ、初勝利から35年。運を味方に、大雨エストリルを駆け抜けた日
4月21日は、アイルトン・セナがF1初優勝を決めた日である。1985年のことだった。つまり、あれからもう35年。1984年にF1デビューした彼が、スター街道を駆け上っていく、そんなタイミングだった。
1984年にトールマンからF1デビューを果たしたアイルトン・セナ。センセーショナルな1年目のシーズンを送ると、翌年からは当時トップチームの一角に数えられていたロータスに移籍することになった。
リオデジャネイロで行なわれた開幕戦ブラジルGPでは、電気系のトラブルにより表彰台を逃すことになったセナは、シーズン初ポイントを目指して第2戦ポルトガルGPの舞台、エストリル入りした。
セナは金曜日の予選から速さを発揮(※当時は金曜日に予選1回目、土曜日に予選2回目が行なわれていた)。土曜日の予選2回目ではその速さにさらに磨きがかかり、マクラーレンのアラン・プロストに0.413秒、ロータスのチームメイトであるエリオ・デ・アンジェリスに1.152秒もの差をつけ、自身初のポールポジションを獲得した。
Ayrton Senna, Lotus 97T Renault
Photo by: Motorsport Images
Ayrton Senna, Lotus 97T
Photo by: Sutton Images
当時セナは、ポールポジション獲得について次のように語った。
「最初のラップでは、前を遮るモノはないはずだ。だからそこでリードを築いて逃げたいと思う。そうすれば、自分がどれだけ速く走れるかということが分かるし、それに応じて自分のペースを調整することができる。満タンの状態のマシンも試してみたけど、フィーリングは良かった。でもレース全体の計画は特には立てていないから、コンディションがどうなるか見てみなきゃいけない」
「もし何の問題もなければ、初めてグランプリに勝てることを願っている」
そして迎えた決勝日は大雨。F1、そして世界中のファンは、1年前のモナコで新人セナが見せつけた、ウエットコンディションでのスキルを見せつけられようとしていた。
Ayrton Senna, Lotus 97T leads at the start
Photo by: Sutton Images
Ayrton Senna, Lotus 97T leads at the start
Photo by: Motorsport Images
セナは完璧なスタートを切り、デ・アンジェリスが4番グリッドから2番手に進出。プロストが3番手、フェラーリのミケーレ・アルボレートが4番手に続いた。ウイリアムズのケケ・ロズベルグはスタートで失速。同じくウイリアムズのナイジェル・マンセルは、濡れた路面に足を取られ、ウォームアップラップと1周目にスピンした。
同年のロータス97Tを雨の中で走らせたのは、セナにとってもこれが初めてのこと。にもかかわらず、彼は1周目に2.5秒ものリードを築いた。厳しいコンディションだったため、多くのドライバーがスピンし、右に、左にとコースオフした。
1976年のF1王者であり、BBCテレビのF1解説を務めていたジェームス・ハントは、次のように語った。
「彼が非常に厳しいコンディションとなった昨年(1984年)のモンテカルロで、トールマンを素晴らしい形でコントロールした才能からすれば、ロータスのマシンがどんなモノであるかということは、それほど重要ではないと思う。彼には、驚くべき才能がある」
Ayrton Senna, Lotus 97T
Photo by: Sutton Images
Ayrton Senna, Lotus 97T
Photo by: Sutton Images
セナが独走状態を続ける中、デ・アンジェリスはプロストを抑えて懸命に戦った。
レースが進むに連れて雨は激しくなり、多くのマシンがクラッシュした。そんな中でもロズベルグは、最終コーナーでウイリアムズを激しくクラッシュさせ、そのマシンはコース中央に置き去りにされた。
先頭を行くセナも、手を振り上げて、レースするにはコース上の水が多すぎるとスチュワードに訴えた。そしてプロストは、スタート/フィニッシュラインを横切ったところでアクアプレーンに乗ってしまい、マシンのコントロールを失ってスピン……バリアに接触してリタイアすることになった。
Ayrton Senna, Lotus 97T
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Ayrton Senna, Lotus 97T, Elio De Angelis, Lotus 97T
Photo by: Sutton Images
「それは厳しく、難しいレースだった。全てのコーナー、全てのラップでね」
セナはレース後にそう語った。
「もっとも危険なことは、コンディションが常に変化することだった。マシンをまっすぐ走らせることすら、時々難しかった。レースは中断されるべきだった。プロストのように、ピットの前でスピンする可能性すらあった。コース上にとどまることができてラッキーだったよ」
プロストがスピンするまでに、セナは30秒以上のリードを築いていた。スチュワードはフルポイントのレースを成立させるために、予定されていたレース距離の3/4以上走ることを目指した。しかし実際には、67周したところで2時間を超えたため、そこで終了となった。当初の予定からは、わずか2周少ないだけだった。
セナは17戦目でF1初優勝。2位にはアルボレートが入ったが、セナからは1分2秒978の遅れだった。3位にはルノーのパトリック・タンベイが入ったが、彼は周回遅れだった。
「マシンはどこでも滑っていた。それをコントロールするのは、とても難しかったよ」
セナはそう語った。
「グリップが欠如し、そしてパワーが強すぎるために、マシンが至る所で滑っていた。それを目にした。マシンの唯一の問題がブレーキだったけど、こういうコンディションの中では普通に考えられることだ」
「誰かに近づくと、前が何も見えなくなった。みんな、僕がミスをしていないと思っているかもしれないけど、それは事実じゃない。何度コースをはみ出したか分からないよ。完全にコース外に出てしまったこともあったし、コントロールを完全に失ったこともあった。でも、マシンをコースに戻すことができたんだ」
「みんな『ファンタスティックなコントロールだった』と言ってくれるけど、それは単なる運だったんだ」
Ayrton Senna, Lotus 97T-Renault celebrates 1st position with Team Manager Peter Warr in parc ferme, portrait
Photo by: Motorsport Images
Race winner Ayrton Senna, Lotus 97T
Photo by: Motorsport Images
この勝利がどんなことを意味するのか? それを尋ねられたセナは、次のように語った。
「僕は4歳の時からずっと、モーターレースに努力を費やしてきた。それが、僕に何か良い恩恵を与えてくれたということだと思う」
Race winner Ayrton Senna, Lotus, second place Michele Alboreto, Ferrari, third place Patrick Tambay, Renault
Photo by: Motorsport Images
Winner Ayrton Senna with Patrick Tambay on the podium
Photo by: Renault
セナにとってのベストレースは、ドニントンパークで行なわれた1993年のヨーロッパGPだと言われることが多い。しかしセナ自身は、それを否定した。
「そんなのはあり得ないよ! 僕にはトラクションコントロールがあったんだ」
「確かに、ドニントンで僕は本当のミスは犯さなかった。でも、マシンのドライビングははるかに簡単だったんだ。確かに良い勝利だったと思う。でも、85年のエストリルと比べれば、何もしなかったようなもんだよ」
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