

F1レースディレクターのチャーリー・ホワイティングは、F1ベルギーGPでの事故について、ニコ・ヒュルケンベルグに科されたペナルティの裁定理由について説明する。
ルノーのニコ・ヒュルケンベルグには、ベルギーGPスタート直後の事故の責任があるとして、次戦イタリアGPでの10グリッド降格ペナルティが科せられることが決まった。これは、2012年に同様の事故を起こしたロマン・グロージャン(当時ロータス)に科せられた1戦出場停止の処分と比較して甘い裁定であるようにも感じられる。F1のレースディレクターであるチャーリー・ホワイティングが、今回の裁定の決定基準について説明する。
ヒュルケンベルグは、ベルギーGPのスタート直後、1コーナーへのブレーキングでミスを犯し、マクラーレンのフェルナンド・アロンソに追突してしまった。この事故が原因でザウバーのシャルル・ルクレールのマシンも大破。さらにレッドブルのダニエル・リカルドやフェラーリのキミ・ライコネンらも、連鎖的にマシンにダメージを負うこととなった。
この事故の責任を問われ、ヒュルケンベルグには次戦10グリッド降格の処分が科せられた。
2012年のベルギーGPでも、同じような事故が起きた。当時ロータスのグロージャンは、やはりスタート直後の1コーナーで止まりきれず、アロンソ(当時フェラーリ)やルイス・ハミルトン(当時マクラーレン)、セルジオ・ペレス(当時ザウバー)、小林可夢偉(当時ザウバー)らを巻き込む形でクラッシュしてしまったのだ。
当時グロージャンは、この事故の責任を問われる形で、次戦出場停止の処分を受けた。同じような事故の原因を作ったにもかかわらず、両者に対してスチュワードが下した裁定は異なっている。これについてF1レースディレクターのホワイティングは、当時のグロージャンは、シーズン中それまでにも、いくつかのインシデントを生んでおり、それが裁定が異なる理由だと説明する。
事実、この事故をきっかけにペナルティポイントシステムが作られることになった。ペナルティポイントとは、危険な事故などを引き起こしたドライバーに、その度合いに応じてポイントを加算していくもの。12カ月で12ポイント以上になれば、出場停止など段階的に処分が科される。
「彼ら(スチュワード)は、2012年にロマンが起こしたような同様のタイプの事故を振り返ったと思う」
そうホワイティングは語る。
「その事故は、ペナルティポイントの制度を生み出したものだ」
「今回の件は、明らかにニコの責任だった。彼自身もそれを完全に認めていた。彼は3台もしくは4台のマシンを道連れにし、彼らのレースを破壊したのだ」
「それが考慮されたのだと思うし、その視点は正しいと思う。そして、10グリッド降格ペナルティは、彼が予想していたのとほとんど同じだっただろう。彼はそれ以上のことは言っていないらしい」
「グロージャンの事案に戻れば、それ以前の事故も含めて、ペナルティポイントの全体像のアイデアになった。彼はそれまでに、4つの事故を犯していたと思う。それぞれがペナルティポイント3ポイントを科されていれば、彼を出場停止にするのは正当化されるだろう」
「それが12ポイント(獲得で出場停止)になった理由だ。だから将来そういうことがもし起きれば、同じような結果になるだろう」
ヒュルケンベルグはテレビのインタビューで事故の責任を認め、その後でスチュワードの調査を受けた。
「彼がそう言ったことが、スチュワードの裁定を左右したとは思わない。しかし、『それは僕のせいじゃない』とニコが言っても、裁定が違ったモノになったとは思わない。まぁ正直言って、彼にそんなことが言えたとは思えないけどね」
そうホワイティングは付け加えた。
ところで、1周目の同じターン1で、もうひとつ別の事故も起きていた。メルセデスのバルテリ・ボッタスが、ウイリアムズのセルゲイ・シロトキンのリヤに追突したのだ。この事故によりボッタスは、5秒のタイムペナルティと、ペナルティポイント2を科せられた。
しかしホワイティングは、当初このアクシデントは、レーシングインシデントであると考えていたことを認めた。シロトキンの前方で何かが起き、それを避けるために突如ブレーキを踏んだことで、ボッタスが追突したと考えたのだ。
「もしシロトキンの前で何かが起きていたら、それはレーシングインシデントだと思っていた。しかし、そうではなかったし、バルテリは自分で『僕のせいだ』と語ったんだ。そして、シロトキンがバクーでペレスに対して行ったこと、ほぼ直接の比較をした」
この記事について
シリーズ | F1 |
ドライバー | ニコ ヒュルケンベルグ 発売中 |
チーム | ルノーF1チーム |
執筆者 | Adam Cooper |