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ナイジェル・マンセル、功績を称えられて名誉ある賞を授与される

ナイジェル・マンセルは、モータースポーツに多大な功績を残した人物に贈られるグレゴール・グラント賞を受賞した。

Podium: winner Nigel Mansell, Williams

LAT Images

Nigel Mansell onstage with Sir Chris Hoy and Steve Rider after receiving the Gregor Grant Award
World Champion Nico Rosberg, Mercedes AMG F1, Nigel Mansell
Podium: winner Nigel Mansell, Williams Honda, second place Nelson Piquet, Williams Honda, third place Alain Prost, McLaren TAG Porsche
Nigel Mansell, Williams FW11 Honda leads the field on the warm up lap
Nigel Mansell, Williams
Nigel Mansell
Race winner Nigel Mansell, Williams Renault FW14 gives Ayrton Senna, McLaren MP4/6-Honda a lift
(L to R): Bernie Ecclestone, with Nigel Mansell, FIA Steward on the grid

 ナイジェル・マンセルは、アメリカとヨーロッパにおけるオープンホイールの最高峰カテゴリーでチャンピオンを獲ったわずか4人のドライバーのひとりである(他には、マリオ・アンドレッティ、エマーソン・フェッティバルディ、ジャック・ビルヌーブが該当)。1992年にF1でチャンピオンを獲得したマンセルは、その翌年にインディカー(当時はCART)でチャンピオンを獲得しており、2年連続で大西洋両岸でチャンピオンとなったのは、マンセル唯一人だ。

 グレゴール・グラント賞は、Autosport誌の設立メンバーであり最長期間(1950~69年)編集長を務めたグレゴール・グラントにちなんで命名され、モータースポーツに多大な功績を残した人物に贈られる賞である。

 今年のAutosport Awardで、6個のオリンピック金メダルを持ち、ナイトの称号を授与されたイギリスサイクリング界のレジェンド、サー・クリストファー・ホイがプレゼンターとして登場し、マンセルにグレゴール・グラント賞が授与された。

 マンセルは1986年、87年、91年とF1でランキング2位に終わり、1992年に当時最強を誇ったウイリアムズ・ルノーFW14Bでようやくタイトルを獲得した(マンセルは16戦中、9勝14ポールポジション)。マンセルは当時39歳、デビューから12年目のタイトル獲得は当時の最遅記録であった。

 チームオーナーであるフランク・ウイリアムズとの契約交渉のもつれにより、チャンピオン獲得からわずか2戦後、独断で引退表明を行った。

 F1を離れたマンセルは、カール・ハースとポール・ニューマンが設立したニューマン・ハース・レーシングと契約し、活躍の場をアメリカのCARTに移した。

 CARTではルーキーであり、チーム・ペンスキーのポール・トレーシーとエマーソン・フェッティバルディの強烈な抵抗があったにもかかわらず、マンセルはインディ500では3位、シーズン5勝7ポールポジションを記録して、チャンピオンとなった。

 1994年はペンスキーが支配的なシーズンを送り、マンセルは王者防衛どころか勝利することすらができなかった。しかし、この年の5月にアイルトン・セナ(ウイリアムズ)がレース中の事故によりこの世を去ると、マンセルは再びウイリアムズからF1に4度スポット参戦した。スポット参戦の4戦目であるアデレードで、彼のF1での最後の優勝である、通算31勝目を記録している。

 1995年、ウイリアムズはデイモン・ヒルの相棒として、当時若手のデビッド・クルサードと契約、マンセルはマクラーレンと契約を結んだがわずか2戦の出場でチームを去った。

 マンセルは2005年に国際モータースポーツ殿堂入りを果たしており、1990年には大英帝国勲章・オフィサー章(OBE)、2012年には同・コマンダー章(CBE)を受勲している。

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