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蘇った日本製F1マキF101がモナコを走った日

1974年、1台の日本製マシンが、F1に挑戦した。MAKI F101である。そのマシンがこのほど復活し、ヒストリックモナコGPに出走。設計を手掛けた小野昌朗が、モナコの2日間を語る

MAKI F101

MAKI F101

ベルギーからの1通のメール

 2015年10月初め、東京アールアンドデーのWebサイトの問い合わせに1通のメールが届いた。MAKI F101に関して、その設計をしたMasao Ono(小野昌朗)とコンタクトしたいという内容である。MAKI F101とは、1974年と1975年のF1グランプリに参戦した、日本製のF1マシンである。

 メールアドレスからたどって調べてみると、クラシックレーシングカーを扱っているマルク・デービスというベルギー人であることが分かったので、返信し、そこからやり取りが始まった。分かったのは、彼がスパ・フランコルシャンサーキット近くのスタブローの博物館で長い間眠っていたMAKI F101を買い取り、レストアしてレース参加を目指していることである。

 マルクからは、英国のヒストリックレーシングカーのメインテナンスを専門にしているガレージでレストアされているMAKI F101の写真が次々に送られてきた。見るとリベットを外してモノコックの床板を張り替えるなど広範囲に手を入れている。更には「リヤのアップライトを作り直したいのだが、図面はないか」と言ってきた。なぜかマルクが手に入れた時、リヤアップライトは他の車両のものを無理やり取り付けてあったのである。
 昔の書類をひっくり返したところ奇跡的に図面が残っていた。コピーを送ってやった
ところ木型から作り直して新たにマグネシウムで鋳造し、機械加工を経てアップライトが完成した。

ガレージで整備を受けるMAKI F101
ガレージで整備を受けるMAKI F101

Photo by: Roman Klemm

ハウデン・ガンレイとの再会 

 このクルマは、ヒストリックモナコGP参戦を目指して、レストア作業が行われていた。このイベントへの参加にはFIAのテクニカルパスポートが必要であり、真正な部品が使われていないと発給されないのだという。こうしてアップライトが出来上がったMAKI F101はFIAテクニカルパスポートを取得し、ヒストリックモナコGPにエントリーしたところめでたく受理され、参加できることになった。ヒストリックモナコGPは参加者からの人気が高く、エントリーしても受理されないことが多いらしい。MAKI F101は珍しい車両ということでエントリーが受理されたのかもしれない。

 エントリーが受理された段階で、マルクからモナコへ来ないかという誘いが来た。めったにない機会であるから、勿論行くことに決めた。ここまでがモナコ行きのいきさつである。

 モナコについたのがレース前の木曜日。翌5月13日午前8時、ホテルロビーでマルク・デービスと始めて会い、パドックパスなどを受け取った。彼は古いレーシングカーを25台以上所有し、かつそれらでレースに参戦する熱心なアマチュア・レーシングドライバーである。初対面であるが、何十通ものメールをやり取りしているのでそんな気はしない。その後パドックに行くとピットロードに隣接したガレージでMAKI F101は整備を受けていた。

 写真で見ていた通り昔のままのところ、新たに作り直され、昔よりも改善されているところなど様々であるが、基本的なレストア作業レベルが高いことを確認し安心する。レースエンジニア、メカニックと車両状態の確認をしているところにハウデン・ガンレイが現れた。ガンレイは1974年MAKI初年度のナンバーワンドライバーである。 

ハウデン・ガンレイと小野昌朗/MAKI F101
ハウデン・ガンレイと小野昌朗/MAKI F101

Photo by: Roman Klemm

 MAKIは当時、当初の活動予算が大幅に縮小されたため、レース参加が遅れ、しかも2戦目のニュルブルグリングでサスペンションの故障によりクラッシュ、ガンレイは両足骨折を負った。そのような事情の中、契約終了に関して難しい交渉をした相手である。

 私は2000年、ヴィーマックのパートナーであるクリス・クラフトの案内でシルバーストーンのイベントを視察に行ったときに、BRDC(英国レーシングドライバー協会)のクラブハウスでガンレイと再会している。その時は正直に言ってぎこちない再会だったが、今回はガンレイが2014年グッドウッド(フェスティバル)でMAKI F101オリジナルと再会していたこともあり、打ち解けた雰囲気で話すことができた。今はGrand Prix Drivers Clubのプレジデントを務めながら、母国のニュージーランド、英国、アメリカ、イタリアを行き来する生活だという。

様々なF1マシンが集う、ヒストリックモナコGP

 モナコヒストリックGPは今年で第10回目だそうで、約20年前から2年に一度、本番F1GPの2週間前に開催されている。本番のGPと同じコースを走り、観客スタンドなども本番と同じである。

 参加マシンは、その年代によりいくつかのカテゴリーに分かれている

■1961年より前のF1とF2

■1952年から1955年までのフロントエンジンスポーツカー

■1958年から1960年までのフォーミュラジュニア

■1961年から1965年までの1.5リッターF1

■1966年から1972年までの3リッターF1

■1973年から1976年までの3リッターF1

 一見不規則にも見えるが、カテゴリー分類には経験による合理性が感じられる。

小野昌朗とMAKI F101
小野昌朗とMAKI F101

Photo by: Roman Klemm

  練習走行で様々な車両が結構なスピードで走るエキゾーストノートを聞きながらMAKI F101のレストア状況を引き続きチーフメカニックから確認する。アクスルなど疲労が心配な部品はすべて作り直され新しい部品に組み替えられて、燃料タンクは総走行距離が短いことから小型化されている。DFVやヒューランドのトランスミッション、APのブレーキなどといった部品の入手性はまったく問題ないとのこと。作業品質は高い水準で、信頼性がありそうに感じる。消耗部品にも事欠いた1974年75年の状況に比べると車の状態ははるかに良い。

 興味深かったのはサスペンションセッティングである。当時のセッティングシートも奇跡的に見つかったのでマルクを通じて送っておいたが、その当時に比べスプリングが圧倒的に硬いのである。たしかにコジマのときはMAKIより硬いセッティングであったし、その後ウイングカーの時代になってバネレートの考え方は大きく変わったが、当時の車もばねを固くして車高もその分下げてやればもっと速かったのかもしれない。現在のヒストリックレーシングカーはみなAVONのタイヤを履いているが、レース距離が短いこともあり、コンパウンドは相当柔らかいようであった。硬いサスペンションセッティングは、タイヤの特性にもよるのであろう。

 チーフメカニックによるとモナコに来る前に英国で行った事前のテストでMAKI、シャドウ、ヒル(ローラ)を同じドライバーが走らせたが、MAKIが一番速かったという。

走行開始。ようやく証明されたF101の真価

【土曜日】
 午前中から予選が始まる。ちなみにマルクはモナコのコースは今回初めてで、事前に最近のF1のオンボード映像を見て、狭いコースに目が付いていかないといっていたが、混み合ったコースを冷静に走りタイムを削っていく。午前中のセッションは参加40台中26位である。1位は元F1ドライバーのアレックス・カフィ、2位は日本人実業家の久保田克昭さんであるが、元F1ドライバーと対等に走っているのは立派。そのほか日本でもおなじみのエマニュエル・ピロなど錚々たるドライバーたちもいるが、ドライバーの腕のばらつきは大きい。午後、MAKIが参加するカテゴリーの2回目の予選の前に雨がぱらぱらと降りだした。マルクは大事を取って路面コンデションの悪い中での走行をパスしたが、予選順位は変わらなかった。

MAKI F101
MAKI F101

Photo by: Roman Klemm

日曜日
 緊張と興奮が入り混じる状態でプロとアマチュアドライバーが、40年前の車両とはいえF1を駆って走るわけである。予想通りスタートは混乱した。ウオームアップラップからクラッシュがあり、結局周回数が1週減らされてレースがスタートする。スタート時の混乱によりトップグループとは少しギャップが開いてしまったが、マルクはコンスタントに走りつづけ、途中脱落する車も多い中、トンネルの中でまとめて3台追い越しを敢行したりして順位を少しずつ上げていき、最終的には13位で完走した。ドライバーもメカもMAKIの新たな歴史を刻んだといって大喜びしてくれた。

 予選、レースを通じて、少なくとも中堅チームの車両とは対等に走れるはずという当時漠然と持っていた裏付けのない自信を確認できた気がした。とはいえ、フェラーリ、マクラーレン、ロータス、ブラバム、ティレルなどのトップチームとはまだ差があった。

マキF101の血脈は、コジマKE007へ

 MAKI F101の後、コジマエンジニアリングで私が設計を担当したKE007はMAKIによるヨーロッパでのレース経験をベースに、当時のトップチームと同等以上の性能を実現することを目標としていた。

 1976年の富士でKE007がトランスポーターからパドックに降ろされた時、多くのF1関係者が見に来た。その時MAKI時代からの顔見知りのある一流チームのマネージャーが私に対して“At least, you were learning something.(少なくとも、あなたは何かを学んだようだね)”といって微笑みかけてきたことを思い出す。

 41年ぶりに見るMAKI F101は、その当時のF1マシンたちに囲まれて元気に走っていた。開発したときの意気込みはもっと高かったし、レーシングカーの速さはドライバーの腕、走らせる体制にも大きく依存するので単純に考えてはいけないが、私を含んで当時20歳代のメンバーだけで開発したMAKI F101が中堅チームの車両と同等に走るのを見るのは感慨深かった。コスワースDFVエンジン、ヒューランドギヤボックス、APブレーキなど誰でも買える部品とアルミ板を折り曲げリベットで組み立てたモノコックを組み合わせることでF1が作れたあの時代にしかありえないことであろう。今考えると無謀だったかもしれないが、一方であの時MAKIの活動にかかわることができて本当に幸せだったと思う。

 それにしても長い間博物館で眠っていたMAKI F101が41年ぶりにその頃のマシン達と一緒にモナコを走れるというところにF1の偉大さを感じた。 

1973 – 1976  Formula 1 Grand Prix Cars race
1973 – 1976  Formula 1 Grand Prix Cars race

Photo by: Jean-Philippe Legrand

執筆:小野昌朗

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