片山右京「ヴェンチュリLC92は改めて”美しいクルマ”だと思った」:鈴鹿サウンド・オブ・エンジン
鈴鹿サウンド・オブ・エンジンでヴェンチュリLC92に乗る予定だった片山右京。しかしエンジン不調で、それは叶わないことになってしまった。

『鈴鹿サウンド・オブ・エンジン2016』の初日。前日深夜から降っていた雨も上がり、午前中は今回出走するF1マシンの練習走行が行われた。このセッション終了後、一般の来場者を対象にグリッドウォークが実施され、鈴鹿サーキットのメインストレートには、今回来場を果たしたF1マシンやグループCマシンが一同に並べられた。
このグリッドウォークでひときわ注目を集めたのは、ヴェンチュリLC92だった。なぜならば、マシンの横には、当時のレーシングスーツを身にまとった、片山右京が立っていたのだ。
「ちょっと恥ずかしいよね」
そう照れ臭そうに語る片山には、無数のカメラが向けられ、大混雑となっていた。
LC92は、片山にとってF1での最初の相棒となったマシン。しかも、92年以来の対面だったという。
「久々の対面だったから、『おーっ!』となってハグしたよ」
そう片山は語る。
「実はあんまり思い入れはないと思っていた。色は派手だし、レーシングスーツも格好良く見えないし……むしろ滑稽だと思っていた。でも、今見たらそれも斬新だし、F1のデビューイヤーだから、特別な思い入れがあったみたい」
「ここに来る前は実はとても忙しかったんだけど、シェイクダウンの時に聞いたランボルギーニV12エンジンの音を思い出したりして、それをモチベーションに頑張ってこれた」
「実はハード面は良いモノが揃っていた。エンジンもパワーがあったし、シャシーも翌年の初めに乗ることになるティレル020(1991年に中嶋悟らが走らせた後、92年、93年と、足掛け3年にわたって使われた)よりも全然良かった。重量配分もベストではなかったし、エンジンが重い分剛性も低かったけどね。当時のF1は幅2mだし、タイヤも大きいし、迫力ある。改めて見ると、『こんなに美しいマシンだったのかぁ』って思ったよ」
しかし実は、そのランボルギーニV12エンジンがうまく作動せず、明日も含めて、今回走行できないことになってしまった。
「もてぎ(スーパーGT最終戦)で、トヨタTS010に乗れないということを聞いて、落ち込んでいた。でも、ヴェンチュリには乗れるということでここにやって来たんですけどね……。ベアリングを交換したり、ミッションをオーバーホールしたり、全部やってくれて、それで他のマシンとは一段違うコンディションに仕上がっていた。あとはエンジンに火が入るだけだった」
「オーナーさんも、『すいません、また今度』と言ってくれたので、また機会があると思います。そもそも、謝ってもらうようなことじゃないですよ」
片山はこの日、当時のレーシングスーツを持参していた。実は腰の部分のマジックテープが壊れていて、奥様がそれを直してくれたのだと言う。
「恥ずかしい……」
そう言いながらも、片山はスーツをバッチリと着込み、グリッドウォークでマシンの横に立って、ファンを楽しませた。そして、ヘルメットを被り、コクピットに収まってポーズを決めた。
ちなみに、LC92で思い出に残っているレースを問うと、日本GPとカナダGPを挙げた。
「日本GPではフェラーリ(ニコラ・ラリーニ)を抜いたんで、それを皆も覚えてくれてるのかなと思っていたら、『シケインでチームメイトのガショーに追突されてましたよね?』ということばかり言われた(笑)。そっちの記憶の方が大きいみたい」
「カナダGPは、残り7周くらいの時点で、5番手を走っていたんだよね。あの時は、シフトがまだHパターンなんで、片手ハンドルで片手シフトだった。それは慣れてるはずなんだけど、手がしびれてきていて、それで5速に入れるべき時に3速に入れてしまった。その後異音がして、3〜4周もすると、ピストンがバルブに当たるのがわかるようになってきたんです……。だから、リタイアした後に片手で謝ろうとしたんだけど、手が上がらなくて、片手で支えて謝ったため、合掌のようになってしまったんです」
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