巨星墜つ2022年。”国さん”やレッドブル総帥マテシッツ……今年亡くなられたモータースポーツ関係者の皆様
2022年のモータースポーツシーンには様々なニュースが飛び交う中に、モータースポーツに多大なる貢献を行なったドライバーや関係者、将来を期待されたライダーがこの世を去る悲しい知らせもあった。
2022年も師走を迎え、息をつく間もなく2023年が目前に迫る今日日。この一年を振り返ると吉報があった一方で、訃報もあった。
長年に渡りモータースポーツに多大なる貢献を行なった偉大なドライバーや関係者、将来を期待されたライダーが惜しまれながらにこの世を去ったのだ。
本稿では、2022年に亡くなられたモータースポーツ界の偉人たちを列挙。ご冥福をお祈りします。
大野剛嗣|Max Racingオーナー
Ferrari 488 #424, M Auto Hiroshima: Go Max
Photo by: Ferrari
スーパーGTに参戦するMax Racingのオーナーである大野剛嗣は闘病の末、3月2日に50歳で亡くなった。彼が代表取締役社長を務めたオオノ開發株式会社が運営する「たかのこのホテル」はスーパーGTの大会冠スポンサーを複数回に渡り務めてきた。ジェントルマン・ドライバーとしてもレース活動を展開。競走馬ステラヴェローチェの馬主でもあった。
高橋国光|元レーシングドライバー/チーム監督
高橋国光
Photo by: Mobility Land
日本モータースポーツ界の魁として、高橋国光はホンダのワークスドライバーとしてロードレース世界選手権に参戦し、1961年西ドイツGPの250ccクラスで日本人初優勝を挙げた。四輪転向後は日産やホンダで活躍し、1977年のF1日本GPではスポット参戦ながらも9位完走。1995年にはホンダ『NSX』を駆りクラス優勝に導いた。
59歳で引退するも、その後もチーム監督としてドライバー時代に設立したチームクニミツを率いた。チームは2018年と2020年の2度スーパーGTのGT500クラスでチャンピオンに輝いた。”国さん”の愛称で親しまれた高橋は、3月16日に82歳で逝去された。
間瀬明|モータースポーツ・フォトグラファー
間瀬明
Photo by: Hiroshi Kaneko
日本のモータースポーツフォトグラファーの草分け的存在である間瀬明は、1960年代から欧米で活動を開始。情報の乏しかったF1ブーム到来前から、日本のF1ファンの”目”となってその魅力を伝えた。
間瀬は肺炎のため7月31日に亡くなった。88歳だった。
ビクター・スティーマン|WSSP300ライダー
Victor Steeman, MTM Kawasaki
Photo by: Gold and Goose / Motorsport Images
ビクター・スティーマンは10月8日、スーパースポーツ300選手権(WSSP300)第9戦ポルトガルのレース1で発生した多重クラッシュによって命を落とした。2022年シーズンはタイトル争いの一角として頭角を現し、ランキング2番手につけている中での事故だった。享年22歳だった。
WSSP300では2021年にも死亡事故が発生していた。その際は、MotoGPライダーのマーベリック。ビニャーレスの従兄弟にあたるディーン・ベルタ・ビニャーレスが亡くなっている。
ディートリッヒ・マテシッツ|レッドブル共同創設者
Dietrich Mateschitz, CEO and Founder of Red Bull
Photo by: Jerry Andre / Motorsport Images
エナジードリンクメーカーであるレッドブルの共同創設者であるディートリッヒ・マテシッツは、10月22日に78歳で亡くなった。マテシッツは大のスポーツ愛好家として、1990年代からモータースポーツへの関与を強め、ジャガー・レーシングを買収する形で2005年からレッドブル・レーシングがF1参戦を開始させた。同年にはミナルディも購入し、F1グリッドの4枠をレッドブル勢が占めている。
F1のみならず、MotoGPや世界ラリー選手権(WRC)など多岐にわたるカテゴリーでスポンサーとして多大なる貢献を行なった。
マウロ・フォルギエリ|元F1エンジニア
Mauro Forghieri
Photo by: Motorsport Images
11月2日に87歳でこの世を去ったマウロ・フォルギエリ。彼は1962年から1984年までフェラーリのテクニカルチーフを務め、『158』や『312T』などの名車と共に4度のドライバーズタイトル、7度のコンストラクターズタイトル、54勝に貢献した。
フェラーリ離脱後は、ランボルギーニを経てBMWやブガッティ、アプリリア等を顧客とするオーラル・エンジニアリング・グループの設立に携わった。
星野薫|元レーシングドライバー
星野薫
Photo by: TOM'S
星野薫は、全日本ツーリングカー選手権や全日本GT選手権で活躍。1985年からは関谷正徳や中嶋悟らと共にル・マン24時間レースに参戦した。引退後は全日本GT選手権と後身であるスーパーGTで14シーズンに渡ってF.R.O.の専任ドライバーを務めた。
星野は11月21日に75歳でこの世を去った。
パトリック・タンベイ|元F1ドライバー
Podium: Race winner Patrick Tambay, Ferrari, René Arnoux, Renault, 2nd position, and Keke Rosberg, Williams, 3rd position
Photo by: Motorsport Images
パトリック・タンベイは、1977年の母国フランスGPでサーティースからF1デビューを果たすと、翌年にはマクラーレンへ移籍。その後はセオドール・レーシング、リジェを渡り歩き、1982年には事故死したジル・ビルヌーブの後任としてフェラーリ入りを果たすと、シーズン後半のドイツGPで初優勝。翌年のサンマリノGPで2勝目を挙げた。
F1以外では、ル・マン24時間レースに4度出場。4度目のル・マンにはジャガーから参戦し、4位完走を果たした。
彼の逝去は彼の家族によって12月4日に発表された。享年73歳だった。
フィリップ・ストレイフ|元F1ドライバー
Philippe Streiff, AGS
Photo by: Rainer W. Schlegelmilch / Motorsport Images
12月23日に67歳で逝去されたフィリップ・ストレイフ。1984年のポルトガルGPでルノーからF1デビューを果たすと、翌シーズンの終盤戦にはリジェから出走。オーストラリアGPでは自己最高位となる3位表彰台を獲得している。
1986年からはティレルからフル参戦。1988年にはF2時代に所属したAGSに移籍した。ただ、1989年のプレシーズンテストでロールフープが壊れるほどの大クラッシュを喫し、四肢麻痺に。レース人生を絶たれ車椅子生活となったものの、カートレース運営などモータースポーツでの取り組みを続けていた。
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