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インタビュー

新生SRS生が見せた驚異の伸び率。佐藤琢磨“校長”の哲学が世界への道を拓く?

インディカー参戦の傍ら、鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)2部門のプリンシパルとして活動した佐藤琢磨。ブライトリング主催のトークイベントに登場した佐藤に、“琢磨体制”1年目のSRSについて話を聞いた。

Takuma Sato, Rahal Letterman Lanigan Racing Honda

Takuma Sato, Rahal Letterman Lanigan Racing Honda

Motorsport.com / Japan

 インディカー・シリーズ参戦10年目を迎えた佐藤琢磨にとって、2019年は挑戦の1年となった。彼は新体制となった鈴鹿サーキットレーシングスクール(SRS)においてSRS-FormulaとSRS-Kartの2部門でプリンシパルに就任。世界最高峰の舞台でレーシングドライバーとして戦いながら、“校長”も務めるというハードな1年を経験した。

 インディカーで自己最多となるシーズン2勝を挙げた佐藤は、帰国後も様々なイベントに参加。忙しいスケジュールの中、11月に行なわれたSRS-Fのスカラシップ最終選考会で、岩佐歩夢を“佐藤琢磨体制”でのスカラシップ第1号として送り出した。

 そして佐藤は12月8日(日)、腕時計メーカーであるブライトリング主催のトークイベント「ジャパン・レーサーズ・スクワッド・ミーティング」に出席し、MotoGPの中上貴晶、エアレースの室屋義秀と軽妙なトークを繰り広げた。その際に彼はmotorsport.comの取材に応じ、新生SRSの1年目を終えて感じたことについて語った。

■今年の生徒は“成長ぶり”がすごかった

 前述の通り、佐藤は3月〜9月にかけて、全17戦のインディカー・シリーズにフル参戦した。その間アメリカにいることが多い佐藤は生徒の走りを直接指導、チェックすることはできないため、バイス・プリンシパルである中野信治を中心とした講師陣が現場を支えた。

 佐藤は、自身が多忙な中で最大限のサポートをしてくれた講師陣に感謝を述べつつ、“佐藤琢磨体制”の1年目を振り返った。

「日々の現場を見てくださった講師陣、そして事務局に感謝ですね。僕は春に1度見た以降はスクールの度に毎回レポートをもらうという形で、10月に(日本に)帰ってきてからSRS-KとSRS-Fにそれぞれ3回ずつくらい足を運びました」

「SRS-KからSRS-Fまで、今年の生徒はポテンシャルが高く、成長ぶりがすごかったです。最終的にはプロドライバーとも互角以上に戦えるレベルに到達していました。それはもちろん彼らの頑張りでもありますが、現場で環境を作ってくれた講師陣も素晴らしかったです」

「今年は『自分は今どこが劣っているのか』『どうやったら速く走れるのか』ということを生徒本人が考える時間を従来よりも多く作りました。いくら走り方を教えても、鈴鹿サーキットを飛び出したら“全く使えないテクニック”になってしまっては意味がないですからね。その結果、どちらのクラスも最後の方でかなり伸びてきました」

 そんな中で講師陣の目に留まり、見事2019年度のSRS-Fスカラシップを獲得したのが岩佐だ。今後はHondaフォーミュラ・ドリーム・プロジェクト(HFDP)の一員として頂点を目指して戦っていくであろう岩佐を、佐藤は次のように評した。

「マシンをコントロールする能力、状況を見極めてピークに持っていく力がすごくあります。1年を通して見ると、スカラシップ選考会に残っていた生徒4名の中でも、彼は最初からコントロールが抜群に上手でした」

「岩佐はカートの経験もありますが、実家がチューニングショップで、足がペダルに届くようになってからはお父さんやおじいさんが作ったクルマを(公道以外で)走らせていたみたいなんですよね。だからカート上がりのドライバーと比べると、重さがあって動きがゆっくりとしたクルマをどうやって動かせばいいかを知っていますね。ただ、メンタル面も含めて実戦で見てみないと分からない部分もあります」

「とはいえ、(スカラシップ選考会に残った)他のドライバーも全く劣っていませんでした。これまでの例にもあるように、何名かを準スカラシップのような形で、ホンダのチームからFIA F4に乗せられるよう相談しています」

■自力で突破しないとF1にはたどり着けない

 2019年現在、日本人F1ドライバーは2014年シーズンの小林可夢偉を最後に誕生していない。ホンダはSRS-F主席生を中心とした若手ドライバーをヨーロッパに送り込んでいるが、スーパーライセンスポイントの壁は厚く、あと一歩のところで夢舞台に届いていないのが実状だ。

 イギリスF3チャンピオン、マカオGP優勝という実績を引っ提げてF1デビューを果たした佐藤は、この現状を率直にどう感じているのか?

「(F1を)取り巻く環境は変わってきていますよね。僕が(英国)F3を走っていた当時は、その上のカテゴリーに国際F3000(現FIA F2)があって、日本にはフォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)がありました。でもF3に勝ってF1に行くというのが一番憧れるルートだったんですよね。今のようにスーパーライセンスにポイント制度はなく、単純にF3チャンピオンは無条件でスーパーライセンスが出るという時代でしたし、ある意味(F1に)行きやすい環境だったのかなとも思います」

 さらに佐藤は今季ヨーロッパで戦ったひとりの若武者の名前を挙げ、F1にたどり着くことの厳しさ、そしてそれを実現するためにSRSの生徒たちが考えていくべきことについて語った。

「ノブ(松下信治)は自分で何とかして突破しようと頑張っています。それでもうまくいくこともあれば、彼だけではうまくいかないこともあり……それを僕たちがサポートしてあげられればベストなんですけど、そういったものも含めて、自力で上がって突破してくれる選手じゃないと最終的にF1にはいけないのかなと思いますね」

「だから、生徒たちにはとにかく自覚してもらわないといけません。どんなコース、どんな条件でもパフォーマンスを発揮できる環境を作るためにどうすればいいか、考えてもらわなければいけないですね」

「そんな中で僕が口を酸っぱくして言っているのは、とにかく早いうちに“経験”をすること。海外に出たからと言って強くなるわけでも速くなるわけでもないんですが、海外に出ることで自分の立ち位置や目指すところが見えるんです。そこで気付いたことを課題として持ち帰って、日々の取り組み方につなげてもらいたいです。そうすれば、最終的にF1に近付けるかもしれません」

 現役時代は、日本人F1ドライバーの中で最も勝利に近付いたと言っても過言ではない佐藤。彼が20年以上にわたる世界との戦いで培ってきた“琢磨イズム”を継承し、これまで閉ざされてきた厚く高い壁をぶち破る……そんな逸材が生まれる日も近いかもしれない。

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