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特集

人々に勇気と感動を与えた“不屈の男”アレッサンドロ・ザナルディ。レースキャリア伝説の瞬間3選

先日59歳でこの世を去ったアレッサンドロ・ザナルディは、サーキットでの英雄的な走り、決して諦めない姿勢が人々の記憶に刻まれている。そんなザナルディの象徴的な瞬間をピックアップ。

Alex Zanardi

Alex Zanardi

写真:: Martin Rose / Bongarts / Getty Images

 5月1日に59歳で亡くなったアレッサンドロ・ザナルディ。彼の訃報を受けて寄せられた多くの追悼コメントに共通していたのは、“不屈の闘志”を体現した男への賞賛であった。

 ザナルディはF3000で活躍した後、1991年にF1デビューを果たしたが、F1では目立った活躍は見せられなかった。しかしアメリカのインディカー(CART)ではチップ・ガナッシで1997年、1998年と連覇を達成し、豪快なドライビングでファンを魅了した。2001年、ドイツのラウジッツリンクでの両脚を失う大事故を経験してもなお、レースへの情熱は消えず。義足をつけてレースに復帰し、パラサイクリングの選手としてもパラリンピックで金メダルを獲得した。
 
 今回はそんなザナルディのレースキャリアの中から、象徴的な瞬間をピックアップした。

痛みを押して入賞:1993年F1ブラジルGP

写真: Ercole Colombo / Studio Colombo / Getty Images

 ザナルディのF1キャリアはその才能を完全に開花させたとは言えなかったが、1993年にインテルラゴスで行なわれたブラジルGPではキャリア唯一の入賞を手にした。このレースでザナルディは飛び石を首に受けて負傷しながらも、痛みに耐えてレースを完走。これは後に彼のトレードマークとなる闘志を示した1戦でもあった。

 ザナルディは1991年にジョーダンで3戦に出走した後、翌年はベネトンのテストドライバーを務めつつ、負傷したクリスチャン・フィッティパルディの代役としてミナルディから数戦エントリーした。翌1993年はロータスのドライバーとして開幕から参戦すると、第2戦のブラジルでは雨に翻弄するレースでポイント圏内に浮上。最後の20周は痛みにより片手運転を強いられたが、それでもチェッカーまでマシンを運んだ。

 その後のザナルディは何度かポイント獲得のチャンスを得るも、トラブルや接触など不運が続いた。この年のベルギーGPで大クラッシュを喫し、翌1994年のスペインGPで復帰を果たしたが、ロータスはすでに競争力を失っていた。

“ザ・パス”:1996年モントレーGP

写真: Jamie Squire / Getty Images

 1996年からインディカーに転向したザナルディは、この年いきなりシリーズ3位でルーキー・オブ・ザ・イヤーを受賞するが、ラグナセカでの最終戦で“ザ・パス”と呼ばれる伝説的なオーバーテイクを披露した。

 最終戦ではジミー・バッサー、マイケル・アンドレッティ、アル・アンサーJr.によるタイトル争いに注目が集まっていたが、最終ラップは優勝争いに皆が釘付けとなった。トップを走るブライアン・ハータを追いかけるザナルディ。彼は通常は追い抜きは不可能と言われる急勾配のシケイン『コークスクリュー』で、果敢にもハータのインに飛び込んだ。

 ターンインしようとしていたハータはザナルディのダイブに気付き、間一髪で接触を回避。ザナルディは勢い余ってダートにはみ出したものの、巧みに立て直してトップで復帰。初優勝目前だったハータを打ち破った。

 ザナルディ自身もこれはリスクの高い賭けだったと認めているが、結果としてこの一撃は完璧に決まった。現代のトラックリミット規定ならペナルティをとられるかもしれないが、まさに一瞬の隙をついた妙技であった。

やり残した13周:2003年ラウジッツリンク

写真: Martin Rose / Bongarts / Getty Images

 2001年ラウジッツリンクでの悲劇は、154周のレースの終盤に起こった。ザナルディは、この時走りきれなかった13周を「やり残した仕事」だと捉えていた。これは彼の強い意志の表れであり、彼は実際にそれをやり遂げた。

 2002年のトロントでパドックに帰ってきたザナルディは、シリーズの代表にラウジッツリンクでのデモ走行のアイデアを持ちかけた。そしてデリック・ウォーカーらの協力の下、2001年に所属していたモー・ナン・レーシングのカラーリングに塗られた特別仕様のレイナードを駆り、ザナルディは再びオーバルを走った。

 ザナルディはまるでブランクなどなかったように、平均速度195mph(約314km/h)で周回。走行後はいつものようにユーモアを交え、「全開で走ったよ。ペダルがないから、“ベタ踏み”とは言えないんだけどね。小さなノブがあるだけなんだ」と語った。
 
 走行後は「もう少し走りたかった」と悔しさも見せたが、両脚を失ってもなお、生きること、そして目標を達成することを諦めないということを証明できて満足していたザナルディ。これこそがまさに彼の人物像を象徴した出来事であった。

 
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